第三十三話 魔帝陛下への恋愛指南(リュデロギス視点)

 リュデロギスと廊下を歩きつつ、レディオンが口を開いた。


「ラジン総督のことは残念だったね」


 リュデロギスは苦い気持ちになる。


「レディオンはあ奴とは仲が悪かったな。シェリーンが無事だったからよかったようなものの……もっとお前の勘を信じるべきだった」

「過ぎたことはしょうがないよ。これから気をつければいい」


 レディオンとともに昇降機エレベーターで四階にある執務室に向かいながら、リュデロギスは新婚旅行中、ずっと気になっていた件を相談してみることにした。


「……なあ、レディオン、相談がある」

「うん、何かな? 魔后陛下のこと?」

「当たりだ。新婚旅行でシェリーンとの距離は縮まったが、予の理想像からはまだまだ遠いというか……彼女の気持ちがよく分からぬのだ」

「魔后陛下は間違いなく、君に好意をお持ちだと思うけど」


「予もそうだとは思う。シェリーンは貞淑だ。好きでもない相手に何度も唇を許すような女性ではない。予のことが嫌いかと聞いたら、『好きか嫌いかで言えば好き』とも言っていた」

「それはまた……微妙な表現だね」

「そうだろう!? その時は喜んでしまったが、思い返してみれば、彼女ははっきりと予を好きだと言ってくれたことがない」


 ザンターグの件で、リュデロギスはシェリーンのためなら全てを捨ててもよいと思えるくらいの、彼女への気持ちを自覚するようになっていた。

 シェリーンがさらわれ、もう会えないかもしれない、と思った時は気が狂いそうになった。彼女を失えば、自分は自分ではなくなってしまうだろう。

 思い詰めるリュデロギスの横顔を眺めていたレディオンが、もしかして、という表情で言った。


「リュデ、好きだとか愛しているだとか、魔后陛下にちゃんと自分の気持ちを言葉で表現している?」


 リュデロギスはハッとした。心当たりがありすぎる。


「……いや、それ以外の言葉では十分すぎるほどに表現しているつもりだが」


 昇降機が四階に着いた。廊下に出ながら、レディオンはため息をつく。


「いいかい? 女性には好意的な態度や贈り物の他にも、きちんと好きだと伝えてあげないと。それを怠ると、相思相愛の恋人同士でもいずれ破局するよ。言い過ぎるとかえってうるさがられると思うかもしれないけど、僕の統計によると、そういうひねくれた女性のほうが少数派だったよ。まして君たちは、表向きは政略結婚なんだから。魔后陛下のご性格上、好きだと言われないと、ご自分も好きだと返せないんじゃないかな」


 グサグサと心に刺さりすぎる従兄の指摘に、リュデロギスはこう返すのが精一杯だった。


「……独身のくせに知ったようなことを。それに、お前独自の統計を持ち出されてもな」

「君たち既婚者は、結婚したとたんに独身をなじるんだから。言っておくけど、君より僕のほうがはるかに恋愛経験が豊富にして多彩だよ」


 ぐうの音も出ない。

 元々、リュデロギスは好意を持っている相手に「好き」と言うのが苦手だった。

 両親が自他ともに認める、相思相愛の夫婦だったからだ。


 王室に優れた血を迎え入れるための結婚だったとはいえ、父は美しい母にべたれで、母も強く優しい父を愛していた。あまりに夫婦仲がよすぎたために、子であるリュデロギスがやきもちを焼くくらいだった。


 そんな幼いリュデロギスを両親は「お前のことも、ちゃんと愛しているよ」「リュデとお父さま、どちらかなんて選べないわ」と抱きしめながらなだめてくれたものだ。


 その両親は、ある日突然失われた。それは当時の魔王の暴挙が原因であって、両親が普段から想いを伝え合っていたこととはなんの関係もないのだが、リュデロギスは怖かった。


 自分たち夫婦が両親のように仲睦まじい関係性を築けたとして、なんらかの理由でそれが突如崩壊したら、果たしてその痛みに耐えられるのだろうか。少なくとも、両親を失ったリュデロギスの傷は未だに完全には癒えていない。


 だが、既にリュデロギスはシェリーンなしでは生きられない。それならば、はっきりと自分の気持ちを伝えても同じことだ。

 リュデロギスは決意を込めて、レディオンに言葉を返した。


「……分かった。近いうちに好きだと伝えてみる」


 話し込んでいたら、いつの間にか執務室の前に着いていた。自動扉を開け、執務室に入ったリュデロギスは机の前に着席すると、前に立つレディオンを見上げた。


「で、報告とは?」

「君たちが新婚旅行に出発してから十日後くらいかな、アルカンから食糧援助の要請が来たから、前もっての打ち合わせ通りに話を受けておいたよ。この件に関しては魔道通信じゃなく、直接報告したほうがいいと思ってね」

「やはり要請してきたか。ほんの少し前に勇者を送り込んできたばかりだというのに、恥知らずなことよ」


「まあ、事態が事態だからね、仕方ないよ。使い魔によると、魔后陛下のご母堂の祖国にまで援助を要請していたようだし。そちらには断られていたらしいけど」

「当然だ。シェリーンの母君の祖国はカラムセナだったか。国王の血縁の娘があのような酷い仕打ちを受ければ、王族はおろか、貴族も国民もアルカンによい印象を持つはずがない」


 リュデロギスだって本音を言えば、援助の要請など断ってやりたかった。しかし、優しいシェリーンはそれを望まないだろうと思い、アルカンに貸しを作るためにも、あらかじめ話を受けることにしておいたのだった。


 リュデロギスはアルカンで魔飛蝗エビルローカストによる蝗害こうがいが発生したという報告をレディオンから受けた時、先方が食糧援助を要請してくるだろうといち早く見越していた。

 レディオンは淡々と告げる。


「さらに、アルカンでは疫病が流行り始めたらしいよ」

「そうか。いったん破滅が始まると、雪崩のように次々と崩れていくものだな。……引き続き、シェリーンの耳には入らないように気をつけさせろ」


 レディオンは何かを言いたげな目をした。

 リュデロギスは思わず問う。


「どうした?」

「リュデ、僕はアルカンのことも、それからあのこと・・・・も、魔后陛下に隠しておくのはそろそろ無理が生じてくるんじゃないかと思っている。さっき、廊下で二人の話を少しだけ聞いてしまったんだけど、魔后陛下が診療所を手伝うことを許すつもりなんだろう?」

「ああ、彼女が望んでいるからな」


「いくら情報統制をしているとはいえ、魔后陛下と国民が接触すれば、情報が耳に入ってしまう可能性が高い。だったら、それより先に君の口から伝えたほうがいいんじゃないか?」

「……お前は、いつも予の痛いところをついてくるな」


 アルカンなど滅んでも構わぬと思う一方で、リュデロギスはシェリーンへの愛おしさが増していくごとに、隠し事をしていることへの罪悪感を覚えるようになっていた。

 シェリーンが街に出ることを自分から提案してしまったのも、その罪悪感を少しでも拭うためではないか、と言われてしまっても否定できない。


(もしも、シェリーンが真実を第三者の口から知れば、もう予のことを信じてはくれぬかもしれぬ……)


 以前は、不安にさせるだけの情報なら、いっそ知らぬほうがシェリーンのためだと思っていたが、彼女は長い旅を通して急速に少女から成熟した女性になろうとしている。むしろ、リュデロギスのほうが己の未熟さを自覚するようになっていた。


 もう、真綿でくるむように彼女をただ溺愛するだけの時期は過ぎ去ってしまったのかもしれない。

 少し寂しさを覚えつつ、リュデロギスはレディオンに言った。


「そうだな、お前の言う通りだ。予の気持ちを伝えた上で、シェリーンに真実を話してみよう」


 ――取り返しのつかないことになる前に。

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