第二十四話 アルカンの斜陽(前半スティーヴン視点)

 アルカン国王夫妻は追放した予言士、ワーズワースが東大陸に渡ったことも知らず、馬車に乗っていた。魔飛蝗エビルローカストに作物を食い尽くされたという農村の惨状を視察するためだ。


 向かう場所が場所だけに、国王スティーヴンの気持ちは晴れない。王妃キザイアはそんな重い雰囲気を払拭しようとしてか、しきりに話しかけてくる。スティーヴンは生返事でキザイアに応えていた。


(ワーズワースの言葉が現実のものになろうとしている……いや、ただの偶然だ)


 スティーヴンの思考を読み取ったかのように、キザイアが話題を変えた。


「それにしても、あの追放した予言士は失礼なことを申しておりましたわね。シェリーンを大魔王に嫁がせたから、この国が破滅に向かうなどと。シェリーンはふさわしい場所に行っただけのこと。今回の事件だって、きっとシェリーンのこととは無関係ですわ」

「……そうだな」


 スティーヴンはうなずいた。シェリーンを連れ戻すわけにはいかない。

 彼は妻子にも国民にも嘘をついている。

 勇者エセルバートが大魔王に勝った、という嘘を。


 確かにエセルバートは不可侵条約を勝ち取ったが、敗北の結果とあっては、エセルバートを勇者だと認めたアルカン国王の名に傷がつく。

 幸いにして、西大陸と東大陸にはほとんど国交がない。スティーヴンが一部の重臣を除いたアルカンの人々に「勇者が勝利した」と言っても、誰もとがめ立てはしないのだ。


 だからこそ、シェリーンを大魔王から引き離すのがまずいことを、スティーヴンはよく分かっていた。

 言ってみれば、シェリーンは不可侵条約を担保する存在なのだ。シェリーンがあちらにいる限り、アルカンは大魔王の影におびえなくてすむ。


 幸い、大魔王はシェリーンが気に入らないと言って突き返してくるような真似はしなかった。その点に関しては安心してよいが、今は視察をすることで被害地の民の苦悩を取り除かねばならない。それくらいは、国王としてスティーヴンも理解していた。


 農村に入った馬車が停まった。スティーヴンは従者が呼びにいった村長をキザイアと待った。

 車窓から見える村は活気がなく、子どもたちの姿すら見えない。

 やがて、村長を連れて従者が戻ってきた。スティーヴンはキザイアとともに馬車から降りる。


 村は死んだようだった。あちこちに植わっている木々はどれも丸裸で、樹皮まで痛々しく食い荒らされており、蝗害こうがいに見舞われたことを物語っている。

 村長は言葉少なに畑まで案内してくれた。村人たちは護衛に守られた国王夫妻を歓迎することもなく、遠巻きに見守っている。


「……こちらが畑のあった・・・・・場所です」


 村長が手で指し示した空間には、これから収穫期の夏を迎えるというのに小麦という小麦が食い尽くされた、無惨な畑が広がっていた。

 畑の中に呆然と立ち尽くしていた農夫たちが、不審そうにスティーヴンたちを見やる。村長が淡々と説明する。


「こちらは視察においでになった、国王王妃両陛下でいらっしゃる」


 農夫の一人がサッと表情を変え、どなった。


「お優しかったアナベラさまの亡きあとに、王女さまを閉じ込めた挙げ句、大魔王に嫁がせた罰が当たったんだ!」

「そうだ! シェリーンさまがお生まれになってから、蝗害なんか一度もなかったし、ずっと豊作続きだったんだぞ!」

「帰れ! お前らなんぞ、国王でも王妃でもない!」


 農夫たちは石でも投げつけてきそうな剣幕で喚き立てている。

 普段は近衛兵や護衛に守られているスティーヴンも、さすがに危機感を覚えた。


「両陛下! 馬車にお戻りください!」


 護衛たちに守られながらスティーヴンとキザイアは馬車まで戻り、ほうほうの体で駆け込む。キザイアの美しい顔は恐怖と怒りで青ざめている。


(アナベラとシェリーンに、まだ心を寄せる者たちがいたとは……)


 まさか、こんな農村にまで、宮廷人しか知らないようなうわさが出回っているなどとは思わなかった。その点も衝撃的だったが、何よりスティーヴンを憂鬱な気分にさせたのは、民心が自分たち夫婦から離れ始めていることだ。


 かつては、スティーヴンが好きなように振る舞っても、最終的には要望通りになった。だが、それは国がうまく回っていたからで、そうでなくなった時、民衆は牙をむき始めるものなのだ。いくら相手が国王であっても。

 もう若くない国王は、ようやくそのことに気づき始めていた。


   ***


 シェリーンが目を覚ますと、恐ろしく美麗な男性が自分の顔をのぞき込んでいた。


「ひゃあ! へ、陛下っ!?」


 悲鳴のあとに起き抜けのかすれた声で相手に呼びかけ、ガバっと身を起こす。

 リュデロギスはくすりと笑った。


「シェリーンは寝顔も可愛いな。堪能させてもらった。それに、その反応も可愛らしい」


 シェリーンはたまらず、顔を両手で隠した。


「そ、そんな……寝起きの顔なんて、みっともなくてお見せできません……!」

「予とあなたは夫婦になったのだから構わぬだろう? ああ、さすがに女官に着替えさせる時は、予は居間で待っているから言ってくれ」

「あ、当たり前です!」


 シェリーンが大きな声を上げると、リュデロギスがまた顔をのぞき込んできた。


「シェリーン、ディンゼに来たばかりの頃より、感情を見せてくれるようになったな。嬉しいぞ」


 そういえば、そうかもしれない。以前だったら、リュデロギスにあんな口を利く自分を想像もできなかった。


(もう……)


 リュデロギスに翻弄されっぱなしなことを悔しく思いつつ、魔道具の呼び鈴を使って女官たちを呼ぶ。こんな感情を抱くのも、以前の自分なら考えられなかったことだ。


「陛下、これから着替えますので」


 シェリーンが強めに主張すると、リュデロギスはほほえましいものでも目にしたようにニコニコしながら寝室を出ていく。

 身支度をすませたシェリーンはリュデロギスの待つ居間へと移動した。

 リュデロギスは居間にいる間に侍従たちを呼び寄せていたらしく、既に着替え終えて新聞を読んでいた。ワイシャツの上にベストを着てスラックスを履いた、シンプルかつ上品な装いだ。


(陛下は何を着てもお似合いね……)


 シェリーンは思わず見とれた。リュデロギスはそんなシェリーンを見て優しく笑うと、手招きする。

 シェリーンは椅子に座る。リュデロギスが新聞を畳んで脇に置いた。


「もう朝食は頼んである。おそらく、この街の郷土料理だろう。それよりも、シェリーン」


 昨夜のこともあり、ついシェリーンは身構えてしまう。


「……なんでしょう?」

「昨日から、予とあなたは正式に夫婦になったのだ。これから予のことは『リュデ』と呼んでくれ」


 シェリーンは唖然あぜんとした。


「え……?」


 とてもじゃないが、リュデロギスを愛称で呼ぶことなんてできそうにない。恐れ多いし、何より恥ずかしい。

 リュデロギスはねだるように語りかけてくる。


「よいではないか。両親からもそう呼ばれていたし、予を子どもの頃から知っている者は、たいていそう呼ぶぞ」

「レディオンさまもですか?」

「ああ。奴はその筆頭だな。ところで、シェリーン、レディオンのことは名前で呼ぶのだな。妬いてしまいそうだ」

「ええ……!? そんなつもりでは……」


「それに、レディオンが予を愛称で呼んで、后のあなたが呼ばぬのはおかしいとは思わぬか?」

「そ、それは、そうですけれど……」

「なら、決まりだ」

「ですが、恥ずかしい、です……」


 リュデロギスはニヤッと笑う。


「シェリーン、昨夜の続きをするのと、予を愛称で呼ぶのとどちらがよい?」

「愛称で呼びます」


 リュデロギスは少し残念そうな顔をしたものの、すぐに笑顔になった。


「では、早速呼んでみるとよい」

「リュ……リュデ……さま」


 リュデロギスは首を傾け、妖しく笑う。


「もう一度」

「……リュデさま」


 リュデロギスは満足げにほほえんだ。


「そうだ。うむ、やはりシェリーンが呼んでくれると耳に心地よいものだな」


 ベルの音が鳴り、朝食が運ばれてきた。シェリーンは女神エリュミアと魔神ヴェルエムスへの祈りをささげたあとで、食事を始める。

 ムサビーブというパンケーキ(リュデロギスが教えてくれた)を食べながら、シェリーンは先ほどの会話を思い返した。


「リュデロギス」という名前はいかにも魔帝・大魔王といった印象を受けるのに、「リュデ」という愛称はなんだか可愛らしい。

 ムサビーブを飲み込んだあとに、シェリーンは彼には悟られないようにこっそりと「リュデさま」とつぶやいてみた。

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