第九話 魔帝陛下の恋(前編・リュデロギス視点)
寝間着に着替えたリュデロギスは、身の回りを整える侍従たちを下がらせたあとで、ベッドの上に腰かけた。
(シェリーンは、もう眠っただろうか……)
会ったばかりの時は、小動物のように身を縮こまらせていた彼女だが、夕食時に見た表情は今日一日でたいぶほぐれていた。
リュデロギスのほおは自然に緩んでしまう。
(彼女を后にする決断をして正解だった)
魔族を統一し、東大陸を手中に収めていながら、時折起こる反乱に神経をすり減らしていただけに、余計にそう思う。リュデロギスは少年の頃からずっと戦い続けてきた。そんな生活を何百年も続けていれば、さすがに戦いにも飽いてくる。
特に、魔族同士の争いは無益だ。
シェリーンの情報を手にしたのは、そんなむなしさを感じていた時だった。
会う前から、夜も眠れないほどにシェリーンが嫁いでくる日を待ち望み、右腕のレディオン一人を連れて移動魔法で迎えにいってしまった。彼女が船で魔都ギルガまでたどり着くのをただ待っているなど、リュデロギスには到底できない相談だったのだ。
いくらギルガとアルカンの間に横たわるのが海峡とはいえ、船が難破するかもしれないし、人族の御者や従者が彼女に危害を加えるかもしれない。直前になって、アルカン国王が娘を魔族に差し出すことを渋るかもしれないという懸念もあった。
リュデロギスの期待に違わず、対面したシェリーンは美しく可愛らしい少女――いや、十八歳だから人族にとっては大人の女性か?――だった。
少しとがった耳と透明に近いアメシスト色の瞳。間近で見るその姿は、紛うことなき幸運の子そのものだ。緩やかにウェーブする黄金色の髪とすらりとした
花弁のような唇から発せられる声も、柔らかく音楽的で、何時間でも聴いていられそうだ。
性格も控えめで、こちらの心情をくみ取り、感謝の念を抱いてくれる。
しかも、王族として生まれたリュデロギスに釣り合うだけの気品を兼ね備えており、自信なさげなのに
リュデロギスは魔王を名乗っていた頃から、周囲の勧めでうんざりするくらいたくさんの見合いをしてきた。
女たちはリュデロギスと対面すると、その大半がのぼせ上がり、極度に媚びてきた。もしくはリュデロギスと結婚できるのだと舞い上がり、増長した。
シェリーンにはそのきらいがない。
(ああ……可愛すぎる……)
リュデロギスはこの日のために、あらかじめ計画を練っていた。最初から女官たちを紹介せず、ギリギリのところまで自分が世話を焼くのだ。そのかいあってか、シェリーンはこちらを頼ってくれているようだ。
まさか、身体のサイズの計測や風呂の世話を自分がするわけにもいかないので、あとは臣下に任せたが。
それにしても、食堂で彼女が泣き出した時は、思わず抱きしめたくなる欲求を抑えつけるのに必死だった。
(あのような愛らしい存在がこの世に存在するなど、今までは信じられなかった。……ただ、これまでの人生でシェリーンは酷く傷ついている。彼女の心を完全に予のものにするには、時間がかかるかもしれぬ。……まあ、無理やり奪って嫌われるより、少しずつ我がものにしていったほうがよい)
つい一月前は、自分がこうして妻を迎えることになるなど、想像もしていなかった。
全ては、勇者が戦いを挑んできたことが発端だった。
平和な魔都ギルガにやってきた勇者一行は、魔帝リュデロギスとの勝負を申し込んできた。
勇者とは、ごくたまに西大陸からイルフェン海峡を渡り、魔王に戦いを挑んでくる迷惑な存在だ。西大陸にはいくつもの国があり、それぞれの国王が東大陸侵略の野心を持った時に遣わされるのが勇者だ、と文献にはある。
今回、アルカンから勇者が派遣されたのは、リュデロギスが東大陸を統一したせいらしい。つまり、東大陸から見て西大陸の玄関口であるアルカンに、一丸となった魔族が攻め込んでくる、という可能性を考慮してのことなのだ。
(アホらしい。西大陸に攻め入る暇があったら、その費用を内政に回すわ)
戦争をするにも、
それに比べれば、勇者一行を送り込むだけ、という戦法は費用対効果が高いのかもしれない。なにしろ人族側は、負けても数人が犠牲になるだけですむ。
ちょうど反乱も起こりそうにない時期で、退屈していたリュデロギスは勇者と戦ってみることにした。あまり東大陸の魔物を狩られても困る、という事情もあった。魔物は食料・家畜・騎獣・軍用・ペットにもなる、魔族にとって大切な存在なのだ。
結果、リュデロギスは勇者に勝った。人族にしては強かった勇者を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
リュデロギスは勇者への興味を失うと同時に、この先の処理について思いを巡らせた。
また勇者が攻め込んできても面倒だし、魔帝自らいちいち対応していられない。
そこで、リュデロギスは勇者を生きて帰す代わりに、アルカンと不可侵条約を結ぶことにした。そうすれば、西大陸の他の国々も、しばらくは勇者の派遣を思いとどまるだろう。
リュデロギスは勇者一行とともに、自らの右腕であるレディオンを名代としてアルカンに遣わした。
リュデロギスは交渉の進捗を文書による魔道通信によって受け取っていたのだが、ある日、レディオンが気になることを伝えてきた。
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