第十話 魔帝陛下の恋(後編・リュデロギス視点)

 魔道通信は本くらいの大きさの板のような魔道具を通し、文書のやり取りがほぼ時間差なくできる、魔族による画期的な発明だ。


『友好の証として、アルカン国王が〈紫の瞳を持つ第一王女〉との縁談をこちらに持ちかけてきたよ。もちろん〈大魔王〉である君にね』


 レディオンからの通信に、リュデロギスはこう答えた。


『その呼び方は好かぬ。それよりも〈紫の瞳を持つ第一王女〉だと? 純粋な人族ならば珍しいな。スミレ色の瞳の間違いではないのか?』


 もっとも、スミレ色の瞳を持つ人族は珍しい。人族のスミレ色の瞳は様々な要因により紫以外の色にも見えるというが、魔族の紫の瞳は常に同じ色に見える。たったそれだけの違いで人族はスミレ色の瞳を神秘的だと見なし、魔族の紫の瞳を恐れるのだから、勝手なものだ。


 ちなみにスミレ色と同じ系統の青味のある紫色でも、リュデロギスの瞳はきらめくバイオレットスピネルのように鮮やかでありながら深みのある青紫色だ。この色は魔族においても希少だといわれている。

 レディオンからの返信が来た。


『そう思うだろ? そこで、その王女の詳しい外見を聞いたところ、どうやら魔族の先祖返りである可能性が出てきてね。しかも、外見的な特徴はあの幸運の子そのものだ』


『魔族の先祖返りが幸運の子の形質を発現させたか……天文学的な確率だな。もしそれが本当なら、后に迎えるのも悪くないが……。ふむ、予に勝利できなかったとはいえ、勇者が命拾いできたのも幸運の力の影響かもしれぬな。それにしても、魔族の長に実の娘を差し出せるものなのか? 奴ら、我々のことを蛇蝎だかつのごとく嫌っているだろう』


『そう言ってくると思って、第一王女に関する調査を開始したところだよ』

『ふん、さすがだな』


 リュデロギスはレディオンからの報告を待った。

 リュデロギスは第一王女が幸運の子であった場合、単なる魔族の先祖返りであった場合、ただの人族であった場合――と三つの対処法を考えた。


 彼女が幸運の子ではなく、単なる魔族の先祖返りだった場合は、なんらかの形で保護しよう。

 魔族に外見の似た人族だった場合、引き取るいわれはないが、本人が望むようなら留学という形で迎え、東大陸に住む人族にでも預ければよい。人質としての価値くらいはあるだろう。

 もし幸運の子であったなら后として迎え、「ご結婚を」とうるさい周囲を黙らせてやろう。


 どのみち后は必要なのだ。相手が幸運の子ならば、多少性格が悪かろうが、姿形が気に入らなかろうが、目をつぶろう。

 何せ、幸運の子は魔族にあまねく珍重されている。民心をまとめるのに役立つだろうし、歓迎されることはあっても、反対されることはないだろう。魔族ならば種族を問わず、優れた者を伴侶に迎えるという、ディンゼの王統に受け継がれてきた伝統にも則っている。


 当時は、その程度の認識だった。

 たとえ幸運の子を傍に置かずとも、いずれ自らの統治を盤石にしていくという自信と気概がリュデロギスにはあった。


 数日後、第一王女シェリーン・アンは間違いなく魔族の先祖返りであり、容姿も幸運の子そのものであるという報告が届いた。レディオン自身と彼の使い魔の調査結果なので、間違いはないだろう。


 不思議な巡り合せだ。ここ数百年、東大陸では新たに生まれることのなかった幸運の子が、その価値を知らぬ西大陸の人族の子として生を受けていたとは。

 王女は生母の死後、その容姿が原因で父王と継母に疎まれ、幽閉されているという。彼女は幼い頃から継母や異母妹に虐げられてきたようだ。それに、王女が魔族そっくりの容姿で生まれてきたことから、父王は前王妃の不貞を疑っていたらしい。


 つまり、アルカン国王は勝者であるリュデロギスの気が変わらぬように、両国のくさびとして厄介者の娘を人身御供ひとみごくうにしようとしているのだ。

 胸の悪くなるような話ではあるが、リュデロギスはかえって王女に興味を引かれた。自分の后になるかもしれない娘だ。物語にあまた登場する向こう見ずな若者たちのように、「囚われのお姫さま」に好奇心をくすぐられたのである。


 リュデロギスは秘密裏に移動魔法でアルカンの王都に赴き、王女が幽閉されているという離宮の庭に忍び込んだ。夜陰に紛れ、王女が起居しているはずの塔を見上げていたリュデロギスは、ついに目的の人物が窓辺に立つのを見た。


 リュデロギスは並外れて視力がよい。

 緩くウェーブした長い黄金色の髪からは、同族の証であるとがった耳がのぞき、透明に近いアメシスト色の瞳は悲しげだった。はめ殺し窓に顔を近づけ、ひっそりと夜空を見上げる王女の姿は、ひたすら見入ってしまうほどに美しい。

 特に、はかなげなその面差しはリュデロギスの好むサクラの花を連想させ、女性にそれほど執着を持たないその心をも揺り動かした。


「シェリーン・アンといったか……」


 つい先ほどまではさして思い入れのなかったその名が、この上なく甘美に響いた。しばらく彼女を見上げていたリュデロギスは、ハッと我に返った。

 こんなことをしている場合ではない。彼女をここから救い出し、自分の后にするためには行動こそが必要だった。今この場で無理やりさらうこともできるが、見ず知らずの自分がそんなことをすれば、彼女の表情はますます曇ってしまうだろう。


 あの少女を笑顔にしたい。

 そう心に強く思いながら、リュデロギスは帰途についたのだ。


 シェリーンに恋をした日のことを思い出し、リュデロギスは吐息を漏らした。


(まさか、この歳になって、誰かに心を奪われるとはな……)


 実年齢はとてもではないが彼女には言えない。ドン引きされたら生きていけないからだ。

 ともかく、そのシェリーンとようやく毎日顔を合わせられるようになったわけだが、それはそれで落ち着かない。あまりにも幸せすぎて。


 想い人を手元に置き、婚約者を名乗れるようになった喜びの反面、リュデロギスにはどうしても赦せないことがあった。

 なぜ、シェリーンのように素直な少女が、実母の死後、ずっと幽閉されなければならなかったのか。彼女が一体、何をしたというのだ。


 継母と異母妹の彼女に対する心情は、要するに嫉妬だろう。何せシェリーンは生まれながらに高貴な血を色濃く引き、そこらの美姫が色あせて見えるほど美しい。

 父親はすっかり彼女たちの言いなりになっているように見えて、未だに前王妃の不貞を疑っているのかもしれない。


 魔族が卑しい存在だと彼らに思われていることも、リュデロギスにとっては腹の立つ話だ。高度な魔道技術を持ち、長命な上、一様ではない姿を持つ魔族が、彼らには不気味に思えるのだろう。東大陸に魔物が多く生息しているゆえに、「魔族は魔物を従えている」と勘違いされ、恐れられている節もある。


 レディオンの調査によると、アルカンはシェリーンが生まれた頃から、急速に発展し始めた国だという。王室が贅沢ぜいたくをできるのも、全ては幸運の子であるシェリーンのおかげだというのに。


(奴らは、いずれ自分が犯した罪を償うことになるだろう。その時まで、せいぜいこの世の春を謳歌おうかするがよい)


 そう思った瞬間のリュデロギスの鋭い美貌は、窓から射し込む月明かりに照らされ、妖しく禍々しく輝き、冷酷な魔帝そのものだった。

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