番外編

里帰り(前編)

 馬車が揺れる。シェリーンの隣にはリュデロギスが、その向かいにはレディオンが座っている。

 向かう先はヴァンパイア族の里だ。リュデロギスにとっては第二の故郷、レディオンにとっては実家のある地、シェリーンにとっては夫の親戚の住まう、緊張せずにはいられない場所だ。


 本来ならもっと早くに挨拶にいかなければならなかったのだが、ヴァンパイア族は半遊牧民で一年の半分の春夏は移動を繰り返しているため、日程の都合上、新婚旅行中に訪れることができなかったのだ。


 アルカンから帰国したあともシェリーンとリュデロギスは何やかやと忙しく、なかなか訪れる機会がなかった。そして、三人のスケジュールをやりくりした結果、結婚二年目にしてようやく帰郷が実現したのである。

 レディオンと他愛のない会話をしていたリュデロギスが、ふと心配そうにこちらを見た。


「シェリーン、最近、体調が優れないようだな。無理はするなよ。予からみなに言っておくから、里についたらゆっくりしろ」

「は、はい。ありがとうございます、リュデさま」


 やはり、リュデロギスは鋭い。確かにシェリーンは旅行から数日たって、疲れからかたびたび怠さを感じるようになっていたが、一度も彼にそう伝えたことはなかったのに。

 レディオンが感心したような声を出す。


「ふーん、さすがリュデだねえ。僕は魔后まこう陛下のご体調には気づかなかったよ。女性のことだったら、見逃さない自信はあったんだけど」

「当たり前だ。予とシェリーンは夫婦なのだからな」


 リュデロギスはドヤ顔だ。少し恥ずかしい。シェリーンは話題を変えることにした。


「レディオンさまは、わたしの前でもリュデさまと気安い口調でお話しなさるようになりましたね。拝見していて、とてもほほえましいです」

「はは。今まではあなたの前でも一人の臣下としてリュデを立てたほうがいいと思っていましたが、これから帰郷するわけですから。リュデに敬語を使っていては、親族がいぶかるでしょうしね。……リュデ、本当に僕も来てよかったの? せっかくの私的な魔后陛下との旅行なのに」


「お前は予が言わないと帰省しないからな。伯父上と伯母上にちゃんと顔を見せて差し上げろ。エルマもお前のことを心配しているはずだ」

「父上と母上はともかく、エルマは僕のことを心配しているかな? 弟に族長の地位を押しつけて君についていった兄貴なんて、腹立たしいだけじゃない?」


 探るようなレディオンの視線を受け、リュデロギスは心から呆れたような顔をする。


「まったくお前は……。予や他人の心の機微には敏感なくせに、身内のこととなるとこれだから……」


 リュデロギス以上に完璧に見えるレディオンにも苦手なことがあるらしい。いかにも気の置けない従兄弟同士である二人の会話の内容も相まって、シェリーンはくすりと笑った。


 その間も馬車は進み、秋らしくわずかに色づき始めた草木が目立ち始めた。さらに進むと、道が森に向かって続いていることに気づく。こんなところにヴァンパイア族の里があるのだろうか。


 やがて、森の縁に沿うように家々が見えてきた。東大陸の東部でよく見るような普通の家屋だ。それぞれの家の近くには家畜用の柵が立っている。柵の中は空だから、今は放牧中なのかもしれない。

 シェリーンは思わずつぶやく。


「西大陸にいた頃は、小説の影響でヴァンパイア族は人里離れた古城に住んでいるというイメージを持っていましたが、普通のおうちに住んでいらっしゃるのですね……」


 リュデロギスが笑った。


「実際は人族の想像以上だぞ。彼らが生き血を好むというのは幻想で、動植物の生気を摂取しているのは知っているな?」

「はい」


「ヴァンパイア族は家畜を育て、その生気を吸う他に、森の草木からも生気をいただいている。森と彼らは運命共同体だ。それゆえ、ヴァンパイア族は森を保つために家畜を連れて移動を繰り返す。家畜が草を食べ尽くさないようにするためでもあるがな。今の季節は定住しているが、昔は一年中遊牧していた。当時の魔王に追われていた予を匿えたゆえんだ」


 リュデロギスはディンゼの魔王弟の子として生を受けたが、魔王が乱心し、妻子以外の王族を皆殺しにしようとしたことから、人生が急変した。両親は一人息子のリュデロギスを守るため、母親の実父であるヴァンパイア族の族長に密かに預けたのだ。


 リュデロギスはシェリーンが結婚前日に、レディオンから苦難に満ちた彼の過去を聞いたことを知っている。帰省の前に三人で話した時にレディオンが明かしたのだ。案の定、リュデロギスは「予から話したかったのに……」とレディオンに文句を言っていた。


 それはともかく、移動を繰り返してまで森を大切にするヴァンパイア族の生活形態に、シェリーンは畏敬の念を抱いた。しかも、族長一家は魔帝の親族であるのに、昔からの習わしを守り続け、レディオン以外は国政に関与してこないところも尊敬に値する。


「まあ……神秘的な種族なのですね」


 レディオンが笑顔で口を挟む。


「幸運の子のほうが神秘的ですよ。単に自然とともに生きる、質素な民というだけです」


 大陸の魔道技術の粋を集めた魔都ギルガに住むリュデロギスとレディオンが、そんな牧歌的な環境で育ったとは、にわかには信じられない。

 未知の場所に足を踏み入れる時の、不安なような、それでいて浮き立つような気持ちが湧き上がってくる。


(ヴァンパイア族のみなさまが、レディオンさまのようにお優しければよいのだけれど……)


 馬車が一軒の大きな家の前で停まった。まず、リュデロギスとレディオンが馬車を降り、最後にシェリーンが夫に手を取られながら降車した。

 馬車の周りにはレディオンと同じ赤い瞳の人たちが集まっていた。耳はわずかにとがっており、シェリーンの耳の形とよく似ている。彼ら彼女らの外見年齢は年かさに見える者でもせいぜい三十くらいだ。しかも、誰もが整った顔立ちをしている。


(リュデさまとレディオンさまが並外れてお美しいわけだわ……)


 シェリーンが呆気に取られているうちに、リュデロギスとレディオンは人々に駆け寄られ、握手を交わしていた。他の街や村に行った時は、リュデロギスは人々の歓声に手を挙げて応えるだけだったから、これは破格の応対だろう。これだけでも、リュデロギスが故郷の人々を大切に思っていることが分かる。


 ヴァンパイア族にとっても、二人は暴君だった魔王を倒した上に、大陸統一の偉業を成し遂げた英雄なのだろう。


「リュデ、こちらの女性が魔后陛下でいらっしゃる?」


 突然、自分に人々の視線が集中し、シェリーンは固まった。リュデロギスは宝物を自慢するような笑顔でシェリーンの腰を抱き、引き寄せる。


「ああ、そうだ。紹介しよう、彼女が予の后、シェリーン・アンだ。正真正銘の幸運の子だぞ」


 人々の間から歓声が上がる。


「幸運の子って、本当にいるんだなあ」

「わたしは大昔に一度だけ会ったことがあるわ」

「ヴァンパイア族でなくてもこんなに美しい女性がおいでとは!」


 シェリーンはいたたまれない気分になりながらも丁寧に一礼する。


「魔后シェリーン・アンと申します。いつも夫がお世話になっております」

「声もきれいだなあ!」

「美しいだけじゃなく、こんなに優しそうな女性をお后に迎えられて、リュデは幸せ者だ!」


 褒められてシェリーンが顔を赤くしていると、リュデロギスがとどめの一言を発した。


「ああ、予は大陸一どころか世界一の幸せ者だと自負している」


 男性たちは口笛を吹き、女性たちは黄色い声を上げた。シェリーンは恥ずかしさのあまり、ますます縮こまってしまう。


「みんな、それくらいにしておいておあげ! 魔后陛下が困っていらっしゃるよ!」


 賑やかだったその場が、しん……と静まり返った。

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