里帰り(中編)

 シェリーンが視線を上げると、大きな家の前に二組の男女が立っていた。年少に見えるほうの女性が、こちらに向け歩いてくる。先ほどの台詞は彼女の口から出たもののようだ。リュデロギスとレディオンに面差しの似た、堂々たる美女だ。

 リュデロギスとレディオンが居住まいを正しながらも苦笑した。


「伯母上、お元気そうで何よりです」

「母上、族長の座はエルマに譲ったはずでは?」

「若い者が頼りないから、わたしが出しゃばることになるんだろうが! リュデもリュデだよ、若い奥方を見せびらかすような真似をして! 嫁はアクセサリーじゃないよ!」

「……申し訳ありません、伯母上」

「謝るなら奥方に謝る!」

「すまなかった、シェリーン」

「いえ、よろしいのです。少し恥ずかしかっただけですから」


 シェリーンがほほえんでみせると、リュデロギスはホッとしたようだ。レディオンと同年代にしか見えない彼の母親がため息をつく。


「やれやれ……心の広い奥方をもらったもんだ。それはそうと――魔后陛下、お初にお目にかかります。レディオンの母、イルチェと申します」


 前族長らしいきちんとした一礼と自己紹介だ。すぐにシェリーンも頭を下げる。


「リュデロギスの后、シェリーン・アンと申します。イルチェさま、お会いできて光栄でございます。わたくしのことはシェリーンとお呼びください」


 イルチェはほほえんだ。


「じゃあ、シェリーンさんと呼ばせてもらうよ。リュデにとって、わたしは母親同然だ。シェリーンさんもわたしのことを姑だと思っておくれ。気の強い姑だけどね」


 レディオンのぼやきが聞こえた。


「……気が強すぎるんだよ」

「レディオン、何か言ったかい?」

「いえいえ、何も」


 シェリーンも他のみなもいっせいに笑ってしまった。

 リュデロギスの祖父である先々代の族長は既に亡くなっている。先代の族長がリュデロギスの実の伯母であり、レディオンの母親であるという話は事前に聞いていたが、想像以上の女傑だ。リュデロギスもレディオンも頭が上がらないらしい。


 続いてレディオンの父親、ウライカが挨拶し、最後に現族長である彼の次男夫婦、エルマとルアが挨拶する。馬車でリュデロギスとレディオンが話題にしていた弟は、凛々りりしく穏やかそうな青年だった。


 シェリーンはリュデロギスとレディオンとともに族長邸にお邪魔した。この家が建てられた時には、既にリュデロギスもレディオンも独り立ちしていたらしいが、それでも二人は懐かしそうに家の中を見回していた。


 前族長夫妻は普段は里の外れの家に住んでいるそうだ。今日はリュデロギスとレディオンがシェリーンを連れて里帰りするということで、こちらに顔を出してくれたらしい。

 みなで、客間に置かれたダイニングテーブルを囲むと、エルマがにこやかに口を開いた。


「レディオン兄さんもリュデ兄さんも元気そうでよかったよ。ギルガでは忙しくしているんだろう?」

「まあね。リュデは結婚の直前から、仕事よりも夫婦の時間を優先するようになって困っているよ」


 少しその関係に思うところのあるらしい実弟と久しぶりに話すことができて、レディオンは嬉しいらしい。いつもよりも自然な笑顔だ。

 イルチェがフン、と鼻を鳴らす。


「身を粉にして働くだけが旦那の役割ってわけでもないだろう。リュデは奥方との時間を大切にするタイプだったというだけさ。いくら初代魔帝といえど、一人の男なんだからね。レディオン、あんたもさっさと結婚してわたしたちを安心させておくれ」

「……あー、それに関してはまた今度」


 レディオンはイルチェには勝てないらしい。

 みなが笑い終えた頃、シェリーンは周囲を見回して発言した。


「あの、みなさまにお会いしたら、必ず申し上げよう、と思っていたことがあるのです。よろしいでしょうか」


 一家は不思議そうな顔でシェリーンの言葉の続きを待っている。


「まだ子どもだった夫を危険を顧みずに匿ってくださって、本当にありがとうございます。みなさまが夫を受け入れて、立派に育て上げてくださらなかったら、わたしは生涯彼と出会うこともなく、祖国で朽ち果てていたでしょう。夫とわたしに未来をくださったこと、いくらお礼を申し上げても足りないくらいです」


 シェリーンは感謝を込めて、深く頭を下げた。


「シェリーンさん、顔を上げておくれ」


 イルチェの声だった。シェリーンが顔を上げると、イルチェが優しい表情を浮かべていた。


「わたしたちがしたくてしたことだ。そりゃあ、一族みなの意見は一枚岩ではなかったけどね。それにね、リュデのような子はどんな人生の道筋をたどっても、きっと傑物になっていただろうよ。だから、わたしたちに恩を感じすぎることはないんだよ」

「イルチェさま、ありがとうございます」


 ふと、視線を感じてリュデロギスのほうを見ると、彼は満足げに、それでいて誇らしげに口元をほころばせていた。

 様子を見守っていたウライカがしんみりとした口調で言った。


「リュデに新しい家族ができてよかった。しかも、シェリーンさんのような心根の素晴らしい女性と結婚してくれたのだから、ようやくわたしたちも肩の荷を下ろせるよ」

(家族……)


 結婚してからしばらくの間、シェリーンは夫を家族と呼ぶのにためらいがあった。今までシェリーンにとって家族といえたのは、十歳の時に亡くした実母だけだったからだ。リュデロギスに溺愛されるあまり、いつまでも恋人気分が抜けなかったせいもある。


 だが、リュデロギスと過ごすうちに、少しずつ家族や家庭というものが分かってきたような気がする。シェリーンが長らく得ようと思っても得られなかった、安心と温かな気持ちを与えてくれる存在。それが家族というものなのだろう。


「この人ったら、リュデとシェリーンさんの情報は必ず新聞でチェックしているんだよ。この家にいる間は、うちも新聞を取っているからね」


 イルチェが笑いながら補足すると、リュデロギスは照れたように目を細めた。


「伯父上と伯母上、それにレディオンとエルマもわたしにとっては家族です。この先も、それは変わりません。むろん、ルアも、これから生まれてくるであろうエルマとルアの子も」


 自らを「わたし」と呼ぶリュデロギスの姿を見るのは初めてだ。ここは、リュデロギスが魔帝という重い鎧を脱いで、一人の魔族として過ごすことができる場所なのだろう。


 シェリーンとレディオンの前では、彼が「わたし」と言わない理由はなんとなく分かる。おそらく、二人の前では格好をつけたいのだ。自分の前でだけ「わたし」と言うリュデロギスも見たい気はするけれど。


 リュデロギスのバイオレットスピネル色の瞳が、懐かしむような、ほろ苦いような光を宿す。


「両親が処刑されたという話を聞いて、わたしが心を閉ざした時、伯母上はおっしゃいましたね。『悲しいのはあんただけじゃない』と。涙を流す伯母上を見て、わたしはあなたが母の姉であることを実感しました。この世で不幸なのは自分一人だけだと思いがちだったわたしの目を、伯母上が覚まさせてくださったのです」

「リュデ……」


 イルチェの声は涙が混じっているように聞こえた。


「あんたがそう思ってくれているだけで、わたしたちは充分だよ」


 妹夫婦からリュデロギスを預かって以来、実の親のように彼を慈しんで育ててきたのはイルチェたち前族長夫妻なのだろう。

 事情を知るだけのシェリーンも胸がいっぱいになってしまった。

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