里帰り(後編)

 イルチェが目元を拭い、仕切り直すように大きな声で告げる。


「さ、湿っぽい話はこれで終わりにして、リュデとシェリーンさんをおもてなししないとね! 料理を用意してあるよ。シェリーンさんの口に合うかどうかは分からないけど、食べていっておくれ」

「まあ……」


 基本、生気を主食とするヴァンパイア族は飲み物以外は口に入れないので、他種族の客人が来た時くらいしか料理を振る舞わないのだという。

 ヴァンパイア族には、代々、来客用の料理を作る役目の家がある。父親の体質を強く受け継ぎ、生気を摂取することができないリュデロギスは、その料理人一家に狩りの仕方から肉のさばき方、調理法までを学んだらしい。


(リュデさまは料理もお上手なのよね)


 シェリーンがギルガ宮で料理を習っている最中、塩と砂糖を間違えそうになったことがあった。それを止めてくれたのは、他ならぬリュデロギスだ。以降、シェリーンは基本的な料理はリュデロギスに習うことになったのだった。


 一家によってダイニングテーブルの上に料理が並べられていく。すぐ傍の森で狩ったものを使っているのか、肉料理が多い。ハーブの添えられた肉を取り分け、口に運んだ時、胃から不快感が迫り上がってきた。


 シェリーンはえずきそうになり、口元を押さえながら必死に堪えた。

 異変に気づいたリュデロギスが、シェリーンをトイレに連れていってくれる。シェリーンが吐き戻している間、リュデロギスはずっと背中を手でさすってくれた。涙が出るくらい苦しかったし、みっともないところを見られて恥ずかしかったけれど、夫の気遣いがとてもありがたい。

 自分たち夫婦のために用意されたらしい部屋のベッドに横になると、シェリーンはわびた。


「……リュデさま、申し訳ありません。みなさまがせっかくお料理をご用意してくださったのに……わたしはとんでもなく失礼なことを……」

「気にするな。そんなことで気分を害するような人たちではない。今は自分の身体を労ることだけを考えろ。――シェリーン、違ったらすまぬ。もしや、あなたは妊娠しているのではないか?」


 本当に、彼には隠し事はできない。シェリーンはほおの力を緩めた。


「多分……」

「なぜ無理をした、と言いたいところだが、そんな考えなしなことをするシェリーンではないな」

「気づいたのは旅行中です。月のものが遅れているし、体調が優れないのでもしかしたら、と思ってはいたのですが、いつもと違う環境だからかもしれない、と思い込もうとしてしまって……医師志望失格ですね。それ以前に、母親失格かもしれません。せっかく授かったあなたの子を、危険にさらしていたかもしれないなんて」

「そんなことはない。予も気づいたのはついさっきだ。それに……あなたを妊娠させたのは、他ならぬ予だからな。責任は予にある」


 リュデロギスは照れくさそうにシェリーンの手を握った。


「父親になるというのは、なんとも不思議な気持ちだな。予はあなたのように胎内で子どもを育てることはできないから、親の自覚が出るのはまだ先になるかもしれないが、できることはなんでもさせてくれ。シェリーン、遠慮なく予や周りを頼ってくれよ」


 妊娠しているかもしれない、と思った時は少し不安だった。

 お腹が大きくなってきて、姿形が変わってしまったら、リュデロギスの自分への愛情は薄れてしまうかもしれない。たとえそうならなかったとしても、子どもが生まれたあとに関係性が変わってしまうかもしれない。


 でも、取り越し苦労だった。この人は子どもが生まれたあとも、変わらず自分のことを大切にしてくれるだろう。そして、生まれた子をともに育て、ちゃんと向き合ってくれるだろう。そう確信できて、シェリーンは嬉しかった。


「はい……。ありがとうございます、リュデさま」


 リュデロギスは微笑すると、シェリーンの額に口づけた。流れ落ちる銀糸のような彼の髪を指ですきながら、シェリーンはふとあることを思い出す。


「リュデさま」

「うん?」

「わたしがリュデさまの子を身ごもったら実年齢を明かす、という約束を守ってくださいませ」


 シェリーンがいたずらっぽくささやくと、リュデロギスは心底困り果てたような顔をした。

 実は、シェリーンはリュデロギスの実年齢の予測は大体ついている。歴史書に彼の事績が載っているからだ。もちろん、実年齢が原因で夫に幻滅するはずもない。いつまでも若い容姿のままの種族が多い魔族は、人族よりも年の差婚が当たり前なのだ。

 シェリーンはリュデロギスのほおに手を伸ばした。


「あなたが何歳でも変わらず好きです」

「……絶対だぞ」


 部屋には他に誰もいないのに、リュデロギスがシェリーンの耳元でぼそり、と実年齢を告白する。シェリーンはそんな夫が可愛くてたまらなくなり、彼の唇をそっと指でなぞった。


   ***


 族長エルマの家に一泊した翌日、シェリーンはリュデロギスとともにギルガに帰るため、家の前に立っていた。


 シェリーンが懐妊したという話は既に里中に伝わっていて、人々は浮かれているようだった。

 今のシェリーンでも食べられそうなものを分けてもらうために、リュデロギスが料理人一家のもとに頭を下げにいってくれたことがきっかけで広まったらしい。

 族長一家はもちろん大いに喜んでくれて、イルチェはリュデロギスに父親としての心得を熱心に説いていた。


 レディオンも交えた相談の末、シェリーンとリュデロギスはいち早くギルガに帰ることとなった。

 何日もかけて馬車と列車で帰るより、やや負荷はかかるものの一瞬で帰れる移動魔法のほうがシェリーンにも赤ちゃんにも影響は少ない、という結論に達し、リュデロギスの移動魔法を使う。レディオンはもう少し里でゆっくりし、あとから帰る予定だ。


 着地の衝撃を軽減するために、シェリーンはリュデロギスに横抱きにされている。みなの前で恥ずかしかったが、お腹の子のためだと言われてしまえば返す言葉がない。

 その様子を見ていたイルチェが苦笑する。


「本当にあんたたちは仲がいいねえ。リュデ、これからもシェリーンさんを大切にね」

「むろんです」


 リュデロギスは迷いなくうなずき、人々に別れを告げる。最後に、彼は腹心でもある従兄に声をかける。


「レディオン、また後日な」

「うん、僕が帰る頃にはディンゼ中がお祭り騒ぎだろうね。道中を楽しみに帰らせてもらうよ。魔后陛下、これから何かと大変でしょうから、リュデをこき使ってやってください」

「ふふ、そうさせていただきます」


 シェリーンは小さく笑ったあとで、人々に向け頭を下げた。


「みなさま、お世話になりました」

「シェリーンさま! 元気なお子をお産みください!」

「また、いらしてくださいね!」


 ヴァンパイア族のみなの言葉は温かい。新たな故郷ができたことをシェリーンは自覚した。

 リュデロギスが魔力を集中し始める。


「シェリーン、しっかりつかまっていろ」

「はい、リュデさま」


 シェリーンは満ち足りた気持ちで、リュデロギスの首に腕を回した。



   番外編『里帰り』――完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔族に似ているせいで幽閉されていた幸運をもたらす王女は、追放同然で大魔王に嫁がされたのですが……待っていたのは溺愛でした 畑中希月 @kizukihatanaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ