第四十三話 あなたが好きです

 アルカンでの慌ただしい日々が落ち着き、ようやくシェリーンとリュデロギスはディンゼに帰れる目処が立った。

 翌日には帰国する、ということになったその日の夜、シェリーンはある決心とともに、客室のベッドの上でくつろぐリュデロギスの隣に座り、声をかけた。


「リュデさま」

「うん?」

「この際ですから申し上げておきます。リュデさまが幸運の力の反作用のことを隠していらっしゃった件に関して、わたしは今でも怒っております」


 リュデロギスは困ったように銀の眉を下げた。


「……すまぬ」


 思った通りの反応に、シェリーンはくすりと笑う。


「でも、分かっております。あなたが母の死の理由を知って動揺するわたしに、これ以上の負担をかけたくなかったことが。わたしだってあなたに酷いことを言ってしまった」


 シェリーンはいったん、深く息を吸った。


「リュデさま、わたしもあなたが好きです。わたしの愛しい旦那さま、わたしを本当の妻にしてくださいますか……?」


 リュデロギスはバイオレットスピネル色の目を見張る。


「夢……では、ないのだな?」

「はい、現実です」


 シェリーンが答えると、リュデロギスはとろけそうなほどに優しい表情をした。


「むろんだ。生涯あなたを愛すると誓おう」


 二人はほほえみ合い、久しぶりにおやすみのキスをした。

 そのあとで、リュデロギスが耳元でささやく。


「シェリーン、予はあなたに贈った宝石に付与した魔力を取り除こうと思う」

「え……」

「予はあなたを失うことを極度に恐れていた。だが、それではあなたを幽閉していたアルカンの先王たちと大差ない。予はシェリーンに物理的にも精神的にも自由になって欲しい。そもそも魔力を付与した石というのは、防犯や迷子防止のために魔族の親が子どもに身につけさせるものだ。あなたはもう小さな子どもではない。立派な大人の女性だ」

「リュデさま……」


 リュデロギスはそこまで自分のことを考えてくれていたのだ。シェリーンの胸はじん、と温かくなった。


「そのお心遣い、とても嬉しいです」

「フフ、短くない期間あなたと過ごして、予はあなたが発する生命エネルギーや魔力を感じ取れるようになったからな。もう媒介は必要ない。それも理由だ」

「えっ!? それは……なんだか恥ずかしいです」


 ある意味、宝石の魔力を手がかりに位置を感知されてしまうよりもたちが悪いのではないだろうか。アクセサリーは外してしまえばそれまでだが、自分自身が発する固有のエネルギーとなると、簡単には消せない。


 そう思いながらも、シェリーンは嫌ではなかった。

 夫婦である以上、時に相手を束縛してしまうことも、衝突してしまうこともあるだろう。その際に大切なのは、妻と夫が意思疎通を図り、双方の意向を納得できるかどうかだ。

 今のシェリーンはそう思えるようになっていた。

 だから、シェリーンは自分が納得していることを伝えるために、はにかみながらリュデロギスのほおにキスをした。


 そして、翌日、ディンゼに帰国したシェリーンとリュデロギスは、ギルガ宮の玄関ホールでレディオンをはじめとした四元帥に出迎えられた。ギルガを長期間空けられたのは、彼らの存在あってこそだ。

 一同を代表して、レディオンが口を開く。


「両陛下、よくお戻りになりました。魔帝陛下、お仕事がたくさんたまっておりますので、さっさとお片づけになってください」

「……くっ、仕方あるまい」

「魔后陛下は祖国で目一杯お働きになり、お疲れでしょう。どうか、ごゆっくりなさってください」


 リュデロギスは「なんだ、その差は」と言いたげな目でレディオンを見る。しかし、シェリーンに甘いリュデロギスは何も言わなかった。

 シェリーンはお言葉に甘えてゆっくりさせてもらい、女官たちと会話を楽しんだ。


 夜、久しぶりの湯殿で疲れを癒やしたシェリーンは、夫婦での夕食のあと、寝室に戻った。就寝の世話をするために控えていた寝室女官のニーカとマイヤに意を決して告げる。


「あの、せっかく用意してくれたのに申し訳ありませんが……わたしは今夜……魔帝陛下のご寝所に向かおうと思っております……ので……」


 ニーカとマイヤは顔を見合わせ、ぱあっと笑顔になる。


「まあ……! ようやくご決心なさったのですね! お世継ぎのご誕生、お待ち申し上げております!」


 お世継ぎ、と口に出されると、とたんに生々しいものを感じてしまう。だが、シェリーンがリュデロギスの子を産み育てたいと自然に思えるようになってきたのは事実だ。

 リュデロギスに想いを伝えた時に、そちらのほうもお願いする、という手もあったのだが、やはり「初めて」は二人の家であるギルガ宮がよかった。


「で、でも……陛下はお断りになるかもしれませんし……」

「そんなことは絶対にないと断言できますわ!」

「ええ、魔神さまに誓えます!」


 ということで、シェリーンは武装女官のナンヌとカチャに付き添われ、リュデロギスの寝室に向かった。普段は無口な二人も、心なしか顔をほころばせている。特にカチャは最近になって恋人と復縁したらしく、とても幸せそうなのだ。


 カチャはナンヌとともにアルカンでもシェリーンの護衛にあたってくれていた。アルカン滞在中、当時は元恋人の彼と魔道通信のやり取りをしたことをきっかけに、また付き合うことになったらしい。「これも魔后陛下のお力のおかげです」とお礼を言われてしまった。

 お世話になっているみんなが自分の力の恩恵で幸せになってくれるなら、シェリーンも嬉しい。


 リュデロギスの寝室の前に到着すると、ナンヌが扉脇にあるスイッチを押し、魔道具のベルを鳴らす。


「魔帝陛下、お休みのところ失礼いたします。魔后陛下がおいでになりました」


 怪訝けげんそうなリュデロギスの声がする。


「……? 入ってくれ」


 ナンヌとカチャが珍しくほほえんだ。


「魔后陛下、ご健闘をお祈り申し上げます」

「頑張ってくださいませ」

「は、はい……!」


 シェリーンは深呼吸をしたあとで、ナンヌとカチャに見送られ、リュデロギスの寝室に入った。

 ザンターグで生産されている、前を合わせる形の寝巻きに身を包んだリュデロギスは、見慣れているはずなのにどこまでも凛々りりしい上、得も言われぬ色気がある。シェリーンは目のやり場に困った。

 リュデロギスが優しく問う。


「どうした、シェリーン。おやすみのキスをしにきてくれたのか?」

「あの……」


 シェリーンはリュデロギスの胸のあたりに視線を落としながら、必死に言葉を紡ごうとした。ほおも耳も、すっかり熱くなっている。


「……今日は、その……リュデさまと……一緒に……」


 少し間を置いて、リュデロギスが尋ねる。


「…………添い寝でもするのか?」

「いえ! そうではなくて……その、本当の妻になるとお約束したので……」


 リュデロギスの表情が固まった。たっぷり時間を置いて、彼はこちらをまじまじと見上げる。


「よいのか……?」

「はい……優しく、してください」


 リュデロギスはくつくつと笑う。


「理性が持つか自分でも分からぬが、努力しよう。さあ、シェリーン」


 リュデロギスが両手を広げてきたので、今度はシェリーンが面食らう。


「え? え?」

「予の膝に座れ」

「そ、そんな……!?」

「あなたが予の気持ちを疑った時、予は深く傷ついたのだぞ? 埋め合わせをしてくれ」


 そう言うリュデロギスの表情は笑いをこらえている。シェリーンをからかっているのだ。


「もう……!」


 シェリーンはリュデロギスの前まで歩いていき、おずおずとその膝の上に横向きに座った。

 リュデロギスは、逃がさない、とでも言うようにシェリーンを強く抱きしめると、唇を奪う。最初は優しかったその動きが、じょじょに荒々しく情熱的になっていく。


 ――『ギルガ宮の夫婦の寝室は分ける』という婚前契約書の条項が書きかえられ、ギルガ宮の一室が魔帝夫妻の寝室へと改装されるのは、それから間もなくのことである。

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