第三十八話 アルカン王室の行方(前半リュデロギス視点)
リュデロギスは眠れぬ夜を過ごしていた。天蓋付きのベッドの中で繰り返し思い出されるのは、涙を流すシェリーンの姿だ。
(予は、何か彼女を悲しませることを言ってしまっただろうか……)
思いつく限りの言葉を尽くし、想いを伝えたつもりだったが、どうやら失敗してしまったようだ。
それでもシェリーンを離したくないと思ってしまうのだから、我ながら呆れてしまう。彼女は自分のことを嫌いになってしまったかもしれないのに。
(いや、もしかしてシェリーンは……)
彼女の帰還を願うアルカン兵を目の当たりにしたのだ。民のことを思うあまり、リュデロギスの愛を素直に受け入れることに罪悪感を抱いてしまったのかもしれない。
全ては空気を読まずに告白してしまった自分のせいだ。
(ということは、シェリーンは予のことを憎からず思っているということか……?)
しかも、祖国と板挟みになって、泣いてしまうほどに。
だとしたら嬉しい。言葉では言い表せないほどに嬉しい。
しかし、今はいくら愛をささやいたところで、シェリーンを追い詰めるだけだ。
(今、予がシェリーンにしてやれることはなんだ……?)
考えれば考えるほど分からなくなってゆく。
いや、ひとつだけある。
彼女がリュデロギスとディンゼのことを気にするあまり、アルカンに帰りたくとも帰れないのであれば……。
シェリーンに選択肢を用意すること、彼女の背中を少しでも押すこと。それが今の自分にできる数少ないことではないか。
そう思った直後、リュデロギスはすとんと眠りに落ちていた。
翌朝。シェリーンは食堂に現れなかった。女官長のフィオレンザによると、体調がすぐれないため、今日の朝食は自室で摂るらしい。
シェリーンの体調や精神状態は心配だったが、リュデロギスはホッとしたような、残念なような、複雑な気持ちになった。
(意気地がないな、予は。昨夜、決めたばかりだというのに)
食事を終え、執務室に向かう。
机の前に座り、書類仕事を片づけていると、ベルの音が響いた。
「入れ」
「失礼いたします」
自動扉が開くと、レディオンが姿を現した。
リュデロギスは彼がわざわざ足を運んだ理由を察する。
「アルカンの戦況に動きがあったのか?」
「ご明察。王都を脱出しようとしたアルカン国王夫妻が、ダルムト軍に捕らえられたようだよ。イザドラ王女と勇者エセルバートは行方不明だそうだ。勇者殿は移動魔法が使えるから、王女と逃げたのかもね」
「そうか……」
予測できた事態ではあるが、リュデロギスは迷った。シェリーンは悲しむだろう。彼女は父王たちのことは家族だと思っていないと明言した。それでも、優しいシェリーンのことだ。諸手を挙げて喜ぶような真似はすまい。
「で、君はどうしたい?」
レディオンに聞かれ、リュデロギスは腕を組んだ。昨夜、考えたことが頭に浮かぶ。シェリーンに選択肢を用意するのならば、彼女にこの事実を伝える必要がある。本音を言えば、これ以上、シェリーンに酷なことを知らせたくはない。
だが、そうやって過保護に振る舞っても、何も解決しない。それどころか、夫婦の溝がより深まってしまうだろう。
だから、リュデロギスは決めた。
「まず、シェリーンにこの事実を伝える。そのあとで、彼女の決断を待つつもりだ」
「御意」
そう応えるレディオンの顔は、妙にニヤニヤしている。
「なんだ、その顔は。気色悪いな」
「いや、リュデも成長したな、と思ってね。お兄さんは嬉しいよ」
「年上ぶるな。予とそう違わない歳のくせに」
そう言いながらも、まんざらでもないリュデロギスだった。
***
シェリーンは書斎で読書をしていた。今、祖国がどうなっているのかが気にかかり、昨夜は明け方まで寝つけず、文章がろくに頭に入ってこないのだが、何もしないで時を過ごすよりはましだ。
自分の持つ能力のせいで、祖国の民が苦しんでいる。その事実を目の当たりにして、罪悪感に押し潰されそうだった。自分の力が恐ろしかった。
今シェリーンが読んでいるのは、真実を知ったあとにレディオンが手渡してくれた、幸運の子について書かれた本だ。
なんとか日常を送れているのは、その本に「幸運の子が自然死以外の理由で死んでも、幸運の力の反作用が起こる」とあったから。
幸運の子は死病にはならず、事故に遭っても生き残る、死ににくい体質なのだという。その上、残される人々が見舞われるであろう反作用の不運を思えば、自ら命を絶つことすらできない。
死にたいと思っても死ねない、まるで呪われてでもいるかのような特性。それは、他者の運命を左右しかねないゆえに利用されやすい幸運の子が持つ、自己防衛機能なのだろう、とも書かれていた。
おそらくワーズワースは、全てを知ったシェリーンが絶望のあまりアルカンと心中することを恐れ、この情報をあえて伏せたのだろう。だが、いかに恐怖に苛まれようと、そのような最悪の選択をするつもりはシェリーンにはない。
自分にはアルカンの王女としての責任がある。
何より、リュデロギスが「愛している」と伝えてくれたから。
自分は死んではいけない。その意思がシェリーンを生かしていた。
来客を告げるベルの音が鳴り、シェリーンはハッとした。まさか、アルカンの情勢に何か動きがあったのだろうか。
寝室女官のニーカが応対に出る。入ってきたのはリュデロギスだった。
「リュデさま……」
昨夜の告白を思い出してしまい、彼の顔を見るだけで胸が甘くうずいた。そんな脳天気なことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱きながら、シェリーンはリュデロギスに椅子を勧めた。
リュデロギスは「すぐにすむ」と謝絶したあと、真顔で語り始めた。
父王と継母は捕虜となり、異母妹と勇者は行方不明。イザドラと勇者は無事である可能性が高いとの説明もあった。
話を聞き終えたシェリーンは、そっと目を伏せた。
リュデロギスの声が頭上から降ってくる。
「シェリーン、正直に答えてくれ。祖国に帰り、国民を救いたいと思うか?」
シェリーンはゆるゆると顔を上げた。リュデロギスは真剣な顔を崩さない。自分と同じ血を引いている人たちの窮状を聞いたせいで頭の中が酷く混乱していて、すぐには答えられなかった。
リュデロギスはそんなシェリーンを少しも急かさずに、こう言った。
「答えが決まったら言ってくれ。どのような答えであれ、予は、あなたの望みを
そこには「あなたは絶対に帰さない」と言いきったリュデロギスの影はなかった。彼は少しだけ表情を緩めると、「返答を待っている」と言って部屋を出ていった。
シェリーンは彼の背中を見送ったあとで、物思いに沈んだ。
自分から全てを奪って幽閉した挙げ句、道具のように扱って嫁がせ、ディンゼでの生活が安定してきたとたんに無理やり連れ戻そうとした人たち。
そんな人たちでも、この世からいなくなってしまえばいい、とは不思議と思えなかった。
勇者と一緒にいるかもしれないとはいえ、異母妹の行方は気になるし、父王と継母に助かって欲しくないと言えば嘘になる。
リュデロギスを愛しているとはっきり自覚したシェリーンには、アルカンに戻って永住するという選択肢はない。自分が去ったせいでリュデロギスとディンゼが没落するなど、とてもではないが耐えられなかった。
(でも、本当にわたしにできることは何もないの……?)
そこに、再びベルの音が響いた。現れたのはフィオレンザだ。いつも泰然としている彼女にしては珍しく、緊張した面持ちだった。
「どうしたのですか?」
シェリーンが問うと、フィオレンザは答えた。
「アルカンの勇者殿と王女殿下がギルガ宮に来訪された由にございます」
シェリーンはしばらくの間、返事ができなかった。
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