第三十七話 魔帝の告白(前半モブ視点)

 アルカン王国軍特務部隊。その名の通り特殊な任務に当たる、内外に秘された部隊である。その特務部隊隊長はアルカン国王スティーヴンから密命を受け、二十名の部下を連れ、イルフェン海峡を渡った。


 王女シェリーンを連れ戻すためである。

 詳細は教えてもらえなかったが、シェリーン王女をアルカンに連れ戻せば、国を襲う災いは消え、ダルムト軍も追い返せると聞いている。


 本当にこの規模の災いがなんとかなるのかは疑問だったが、隊長にも隊員たちにも家族がいる。アルカンがダルムト軍に蹂躙じゅうりんされないためにも、なんとしてでも王女を連れ戻さねばならなかった。


(国王陛下のご命令で嫁がれた王女殿下を力ずくで連れ戻すというのも、無体な話だが――)


 それでも、背に腹はかえられない。王女が大魔王との生活に不満を抱き、アルカンに帰りたがっていることを祈るばかりだ。


 夕暮れにディンゼ魔帝国の首都であるギルガに入った特務部隊は、王女のいる宮殿を目指した。部下の数が二十名と少ないのも、人目につかないためである。

 調べたところ、宮殿の外側には門扉と正面の扉、裏口、物見やぐら以外に兵の姿はない。特務部隊は夜が訪れるのを待った。隊長は部隊を二つに分け、威容を誇るギルガ宮の壁を登り、窓からの潜入を試みる。


 窓に触れた隊員が、雷にでも打たれたかのように「ギャッ」と叫び声を上げ、真っ逆さまに落ちた。

 地面に墜落するかと思いきや、ちょうど真下にあった木の枝に引っかかり、なんとか無事のようだ。


(これは一体……!? 窓に仕掛けが……?)


 隊長がそう思った瞬間、いつの間にか周囲の景色が変わっていた。自分たちは確かに夜の帳が下りた外にいたはずなのに、ここはまるで光の灯る宮殿の中だ。さらに、全ての部下がこの場に集まっている。


 そして、目の前には黒いマントを身にまとう長身の男がいた。腰まで届くまっすぐな銀髪に、切れ長のバイオレットスピネル色の瞳、すっと通った鼻筋に薄い唇。

 幻想的なまでの美貌は中性的な顔立ちといってもよいが、男から発せられる身もすくむような威圧感が、そう形容するのをためらわせた。長めのとがった耳は、彼が魔族であることを物語っている。

 男の端麗な唇がアルカン語を紡ぎ出した。


「二度はない」


 彼が何を言わんとしているのか、隊長には理解できなかった。ただひとつ分かったことがある。作戦は失敗したのだ。

 絶望する間もなく、男が問うた。


「アルカン国王の手の者か?」


 隊長は口をつぐむことにした。任務が失敗した上に、潜入先の魔族に自分たちの情報を漏らせば、ダルムト軍がアルカン全土を侵略する前に家族の命が危険にさらされる。


「魔帝陛下、結界をお張りになっておくとはさすがですね。しかも、曲者が引っかかったあとは、全員をご自分の前に転送なさるとは……宮廷魔道士たちが自分たちは無能だとうなだれてしまいそうな完成度の結界ですね」


 突如割り込んできた、場違いなほどに朗らかな声。その声の主が一歩ずつ銀髪の男に向けて歩いてゆく。肩甲骨あたりまで伸ばしたプラチナブロンドの髪に真紅の瞳をした、美しい若者だった。


 若者は一人の女性を連れていた。緩くウェーブした黄金色の髪に、ぱっちりとした透明に近いアメシスト色の瞳、少しとがった耳、淡紅色の花びらのような唇。人形のように整ったその容貌は、アルカン王宮で見せられた絵姿そのものだった。


「シェリーン……」

「シェリーン王女殿下!」


 銀髪の男と隊長の声が重なりながら夜のギルガ宮に響いた。


   ***


 リュデロギスの目が戸惑い気味にシェリーンに向けられる。シェリーンの胸はきゅっと締めつけられた。リュデロギスはレディオンをにらみつける。


「レディオン元帥、なんのつもりだ」

「こうしたほうが、陛下の御為おんためになると存じまして」


 シェリーンにはその理論が半分も理解できなかったのだが、レディオンはリュデロギスがギルガ宮に張った結界に同期しており、侵入者が弾かれたことを察知できたのだという。その上で、シェリーンをリュデロギスのもとに連れてきたのだ。「あいつの真意がお分かりになると思いますよ」と言って。


(リュデさまはわたしを守ってくださったの……? ザンターグでの約束通り……)


 シェリーンの胸は切なく痛んだ。

 リュデロギスの気が自分たちからそれたからだろう。侵入者たちがアルカン語で訴えかけてきた。


「王女殿下、アルカンにお戻りください! このままでは、わたしどもの家族がダルムト軍に……!」

「ダルムトがアルカンに攻め込んできたのですか?」


 シェリーンの胸はずっしりと重たくなった。自分が去ったことで祖国が危機に陥っている。しかも、その災厄は衰える気配がない。

 アルカン兵たちは口々に言う。


「はい……!」

「国境は既に突破されました」

「一刻も早くお戻りを!」


 シェリーンは間を置いて答えた。


「……少し時間をください。必ず答えは出します」


 アルカン兵たちの顔に落胆の色が広がっていく。


「そなたらは勝手だ」


 怒りを帯びた低くつややかな声。リュデロギスだった。


「シェリーンがアルカンにいた頃は国王や王妃におもねり、手を差し伸べようともせず、幽閉されてからはまるでいないもののように扱った。それなのに、自分たちの家族に危機が迫ったとたん、すがりつく。人族とはかくも自分勝手で恥知らずなのだな」


 アルカン兵たちは顔を見合わせ、気まずそうに押し黙っている。


「リュデさま……言い過ぎです」


 シェリーンがやんわりと注意すると、リュデロギスの眉が下がった。こういうところはいつもの彼だ。リュデロギスはレディオンのほうを振り向く。


「元帥、そなたにはこ奴らの処理を任せる。予は后を部屋まで送っていく」

「御意」


 シェリーンは気まずい気持ちのまま、リュデロギスとともに歩き出した。彼と初めてケンカのような言い合いをしてから、食事の時に顔を合わせることはあっても、ほとんど口を利いていない。


 それでも、シェリーンは彼から贈られたペンダントと腕輪を身につけるようにしていた。たとえ自分を縛るものであったとしても、リュデロギスが贈ってくれた大切なものであることに変わりはなかったから。

 就寝前の夜なので人もまばらな廊下で、リュデロギスがふと口を開いた。


「ちゃんと眠れているか?」

「はい。必要な睡眠時間は取れています」

「もっと眠ったほうがよい。……それにしても、あなたが幸運の子だということを嗅ぎつけ、アルカン国王に報告したネズミがいたようだな」


 シェリーンは答えられなかった。答えれば、あのワーズワースという予言士に迷惑がかかると思ったのだ。

 彼はただ、アルカンと民のことを案じ、シェリーンに真実を告げただけなのに。


「シェリーン」


 呼びかけながらリュデロギスが立ち止まった。シェリーンも立ち止まる。リュデロギスは眉間にしわを寄せ、何事かを考えているようだった。シェリーンが待っていると、リュデロギスは覚悟を決めたようにこちらに向き直った。


「本来なら、予自らあなたに真実を伝えなければならなかったのに、後手に回ってしまい、申し訳ないことをした。そのことを、まず謝らせてくれ。すまなかった」


 リュデロギスが、魔帝ともあろう人が謝っている。シェリーンは瞬いた。


「シェリーンをめとろうと思ったきっかけは、幸運の子だと知ったからだ。だが、そうだと知らずに出会っていたとしても、予はあなたを愛していたと思う」


 リュデロギスに愛していると言われたのは初めてだった。シェリーンはハッとしたが、黙って彼を見上げた。


「今まで言ったことはなかったが、予は幽閉されているあなたを見にいったことがある。そして、一目で心を奪われた。その時に思ったのだ。あなたを笑顔にしたい、と。今でも、その思いは変わっていない。むしろ、あなたの可愛らしいところや分け隔てない優しさ、向学心を知るごとにその気持ちは増すばかりだ。シェリーン、予の愛しい后よ。もう一度、予に心を開いてはくれぬか……?」


 リュデロギスはシェリーンと対面する前から、ずっと想いを寄せてくれていたのだ。当時は自分を無価値に思っていた、言葉を交わしたこともないシェリーンを幸せにしたいと思ってくれていたのだ。

 胸がいっぱいになり、身体が震えるほどに嬉しかった。自分もリュデロギスと同じくらい、彼のことを愛していると思えた。


(でも……)


 助けを求める兵たちの顔が脳裏によみがえる。そのうしろに、戦火に逃げ惑う彼らの家族の姿が見えるような気がした。


(アルカンの国民が苦しんでいるのに、わたしだけ幸せになるわけには……)


 気づくと、シェリーンのほおを涙が伝っていた。


「シェリーン……?」


 困惑したようなリュデロギスの声が耳に届く。シェリーンは大粒の涙をこぼしながら廊下を走り、逃げるように寝室に戻った。

 扉に両手をつき、シェリーンは涙がかれるまですすり泣き続けた。

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