第二十五話 魔王マルキアド
朝食を摂ったあと、シェリーンはリュデロギスとともに、三つ首の竜が描かれた馬車に乗った。これから付近の街や村落を回るのだ。
リュデロギスの向かいに座ろうとすると、彼が声をかけてきた。
「シェリーン、隣に座れ。同じ部屋で休んだのだ。どうということもないだろう?」
優しくそう言われてしまえば、断ることなどできるはずがない。シェリーンは少し間を空けて、リュデロギスの隣に腰かけた。リュデロギスは少し残念そうだ。もっと密着することを期待していたのだろうか。
(もう……)
リュデロギスは隙あらばシェリーンとの距離を詰めようとするのだから、困ったものだ。
とはいえ、リュデロギスと一緒にいるせいか、車窓の景色を眺めるだけで、浮き立つような気分になってくる。
移動時間の合間に、リュデロギスはシェリーンに語学や文化、医学の講義をしてくれた。リュデロギスはトライメやスクアピオに負けないくらい博識で、シェリーンの質問にも的確に答える。
特に治癒魔法の技術と教え方は、あまたの死線を潜り抜けてきたからかスクアピオ以上で、シェリーンの理解も深まった。その上、「シェリーンは治癒魔法の筋がよいな」と太鼓判を押してもらった。
(陛下……いえ、リュデさまは本当に頼りになるわ)
充実した移動時間を過ごしたシェリーンは、次の街に着くと、リュデロギスとともに広場で馬車を降りた。既に集まっていた多くの人々が、わっと歓声を上げる。リュデロギスは民衆にシェリーンを紹介すると、また馬車に戻り、次の場所へ向かう。
村や里でも、シェリーンは住人に歓迎された。アルカンにいた頃は周囲から疎まれていたのに、なんだかできすぎていて夢のようだ。
民に手を振って応える自分をリュデロギスが温かな眼差しで見守ってくれていることに気づき、シェリーンは照れくさい。
(ここが、わたしがこれからも生きていく国なのね)
はっきりとそう思え、シェリーンは急に自分の足が地についたような気がした。
もう自分がアルカンに戻ることはないだろう。なんの未練もなく、シェリーンはそう思えた。
馬車の中で、リュデロギスは東大陸の食文化について話し始めた。話に花を咲かせながら、シェリーンはトライメの授業で交わされたやり取りを思い出す。
「実は、トライメ先生からアルカンの食文化の再現も頼まれているのです」
「ほう、トライメの知識欲は底なしだな」
「ふふ、そうですね。せっかくなので、わたしもこれを機にお料理を習ってみようかと思っております。……リュデさまは、わたしの手料理を召し上がりたいですか?」
「むろんだ。予が一番に食べる」
そんな風に即答されると照れてしまう。
「そ、そうですか」
「約束だぞ」
「はい」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
(これが……好きな人と一緒にいられる幸せ、なのかしら)
不意にそう考えてしまい、シェリーンはいたたまれないくらい恥ずかしくなった。
それからもシェリーンとリュデロギスは旅を続け、ついに東大陸の南に位置する従属国、ガルデア魔王国に入った。
ガルデアに到着するまでにも色々あった。中でもシェリーンを
その上、三日目の朝からは「おはようのキス」までしてくるようになり、一日のうち朝晩の合計二回もリュデロギスとキスすることになってしまった。
せめて、唇ではなくほおや額にしてくれないかと頼んだものの、「シェリーンがキスしてくれるなら、それでも構わぬぞ」と言われてしまった。
そんなこと、できるはずがない。シェリーンは一度くじけかけた末、なんとか自分からリュデロギスのほおにキスできるようになった。今ではシェリーンがキスする割合とリュデロギスからキスされる割合は四対六といった具合だ。
シェリーンにとっては死活問題なのだが、傍から見れば甘い新婚旅行である。
シェリーンとリュデロギスが乗った魔道列車は、ガルデアの王都の駅に到着した。
従属国だというのに、シェリーンとリュデロギスを見物にきた民は多く、特にシェリーンが手を振るとひときわ大きな歓声が上がった。
例により、駅から馬車に乗って王宮まで向かう。今日のリュデロギスはマントに身を包み、帯剣している。シェリーンが理由を尋ねると、「魔王が、ちと癖のある奴でな」との答えが返ってきた。
やはり、敗北した過去から、リュデロギスに敵意を持っているのだろうか。
やがて、目の前に森が広がった。鳥のさえずりが聞こえる森を抜けると王宮が見えてくる。馬車は舗装された道を進み、車寄せで停まった。
先にリュデロギスが馬車を降り、シェリーンをエスコートするために車体のうしろに回ってから、こちら側に向けて歩いてくる。従者が扉を開けると、リュデロギスは笑顔でシェリーンの手を取り、降ろそうとする。
その瞬間。
リュデロギスに向け、影が踊りかかってくるのをシェリーンは見た。目にも留まらぬ速さでリュデロギスが抜剣する。リュデロギスの剣は一振りの剣を受け止めていた。斬りかかってきたのは、短い緑の髪の青年だ。
リュデロギスが
「マルキアド、謝罪しろ。危うく我が后が巻き込まれるところだった」
あまりの事態に馬車を降りるに降りられず、シェリーンがとば口で息を詰めて見守っていると、青年がニヤッと笑う。
「すまんすまん。だが、俺が狙ったのは貴様だ。元よりお后を巻き込むつもりはない。剣技に変わりはないようだな。新聞で貴様の婚約・結婚の記事を見た時は、女にうつつを抜かして腕がなまったかと思ったぞ」
「予が后にぞっこんなのは確かだが、だからといって鍛錬を欠かすことはない」
二人の会話はヴェルエムス語で行われているが、こういう内容の時に限ってシェリーンは理解できてしまった。
(リュデさま……! 人前でなんてことを……!)
シェリーンが羞恥のあまり、手で顔を覆いたい気持ちになっているのも知らず、リュデロギスとマルキアドと呼ばれた青年は飛び退り、剣を鞘にしまう。
リュデロギスは改めてシェリーンに手を差し出し、馬車から降ろしてくれた。その直後、シェリーンの背に手を当てたまま、緑の髪の青年を顎で指し示す。
「シェリーン、あの無礼な男がガルデアの魔王、マルキアドだ。一応、ディンゼで唯一、魔王を名乗ることが許されている。実際は、強い者と戦うのが生きがいというけったいな奴だ」
征服した従属国の王とはいえ、魔王をそんな風に紹介してもいいのだろうか。
シェリーンが反応に困りながらも、「よ、よろしくお願いいたします」と頭を下げると、リュデロギスがマルキアドに得意げに言った。
「マルキアド、改めて紹介しよう。彼女が我が后、シェリーン・アンだ。可愛らしいだろう」
「貴様は一度女に傾倒すると、おかしなことになる奴だったのだな。……まあ、確かにお后はめったにいない美人だ。シェリーン殿、よろしくお願い申し上げる」
そう言って一礼したマルキアドには、一国の魔王の風格がある。
(屈託のない方……。リュデさまに対する遺恨もないみたい)
シェリーンがホッとしていると、マルキアドは粗野な顔立ちに悪意のない笑みを浮かべた。
「二人を歓待する準備は整っている。ようこそ、我がガルデアへ。そして、我が王宮へ」
大股に歩き出したマルキアドのあとを、シェリーンはリュデロギスにエスコートされながら追った。
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