第二十八話 お役に立てるかもしれません

 反乱を鎮圧したあと、マルキアドは率いてきた兵たちに命じ、テントを張って敵味方の負傷者を収容した。


「予も怪我を負った兵たちをマルキアドとともに見舞おうと思う。シェリーンも行くか?」


 リュデロギスにそう問われ、シェリーンはうなずいた。

 慰問は帝王の一族の大切な仕事だ。母も体調がよい時には、病院や孤児院、救貧院などの慰問を行っていた。その頃のシェリーンはまだ幼かった上、外見のせいもあり、慰問を経験したことはない。だが、ようやくその時が訪れたのだ。


「はい、喜んで」

「怪我人とはいえ、兵の中には気の荒い者もいる。予から離れるなよ」


 リュデロギスがそう言ってくれたので、シェリーンは安心してテントの中に足を踏み入れられた。

 テントの中は負傷兵であふれ返っていた。場の空気にのまれそうになり、シェリーンは思わず足を止める。


 リュデロギスがぽんと背を叩いてくれた。我に返ったシェリーンはリュデロギスとマルキアドのあとに続き、彼らが負傷兵に声をかけたあとで、「お身体の具合はいかがですか?」と話しかけていく。

 シェリーンが見舞うと、マルキアドとリュデロギスに対してはかしこまっていた兵たちも、驚いた顔をしたあとで、少年のように照れくさそうな表情を浮かべる。


(この方には、痛み止めのケヒンが効きそう。あちらの方には治癒魔法を使ったほうがよさそうね)


 頭の中でそんなことを目まぐるしく考えながらも、シェリーンは口に出して自分の意見を言うべきか迷っていた。ここには軍医がいるし、自分より医療知識のあるリュデロギスもいる。

 シェリーンたちが一人一人の兵に声をかけていたその時。


「リュデロギスにくだったマルキアド配下の治療は受けん!」


 拡声魔法を使っているわけでもないのによく通る大声が、別のテントからこちらまで届いた。

 マルキアドが呆れたように肩をすくめる。


「この声はゼンヴァか。相変わらずの頑固者め」

「行ってみるか。予に話があるようだしな」


 リュデロギスはかなり悪い顔をしているが、何を考えているのだろう。サイクロプス族族長のゼンヴァの身が心配になったシェリーンは、リュデロギスとマルキアドについていくことにした。


 荒野にいくつも張られた大小のテント。その最も背の高いテントに、兵に案内され、シェリーンたちは向かう。

 テントの中には、数人のサイクロプス族がいた。間近で見ると、いっそう迫力がある。その中心にあぐらをかいているのは、先ほど戦場で目にした巨体のサイクロプス族だ。彼が族長のゼンヴァなのだろう。その前には困り果てた表情の軍医が立ち尽くしている。

 マルキアドがゼンヴァに手を挙げてみせる。


「よう、ゼンヴァ、久しいな」

「チッ、マルキアドか」

「リュデロギスもいるぞ。それにしても、怪我をしているのに治療を受けぬとは、どういう了見だ。その足の傷、放っておけばむぞ」


 見れば、ゼンヴァは左のすねに決して小さくはない傷を負っている。槍で傷つけられたのだろうか。シェリーンの胸は傷んだ。

 ゼンヴァは痛みなど感じていないかのように、マルキアドに言い返す。


「うるさい。貴様の配下に治療を受けるくらいなら、足を切り落とすわ」

「では、俺が直々に治療してやろうか?」

「いらんわ!」


 ゼンヴァが応えるたびに、大音声だいおんじょうがテントの中に響く。周りにいるサイクロプス族たちも少々辟易へきえきしているようだ。シェリーンとっては大変聞き取りやすいヴェルエムス語なので助かるが。

 黙って見ていたリュデロギスが人の悪い笑みを浮かべ、口を開く。


「ゼンヴァよ、痩せ我慢はやめておけ。マルキアドの治療が嫌なら、予が治してやろう。魔帝自らが治療しようというのだ。ありがたく受け取っておけ」

「マルキアドより、なおたちが悪いわ! 何が魔帝だ! いいか、頼みもしておらんのに大陸全土を征服した貴様をわしは好かん! 魔族はそれぞれに違っているからこそ魔族なのだ! その魔族をひとつにまとめようなどと、片腹痛いわ!」


 ゼンヴァはますます怒ってしまった。


(もう……リュデさまったら、わざと意地悪をなさるのだから)


 リュデロギスと一月以上過ごしてみて、自己評価が低めのシェリーンも、彼が心から優しくするのは自分だけなのではないかとようやく気づき始めていた。

 ゼンヴァがマルキアド側の治療を受けつけなくとも、極論すれば同族に手当してもらえばよい。リュデロギスもそう考えたからこそ、意地の悪い態度をとったのだろう。

 しかし、この傷はマルキアドの見立て通り、化膿かのうする可能性が高い。できれば、魔法で一気に治したいところだ。


「とにかく、わしは貴様らの世話にはならん!」


 ゼンヴァは頑なだ。

 元々ゼンヴァが一族を率いて反乱を起こしたのは、リュデロギスの統治と、それを受け入れたマルキアドに物申したいことがあったからなのだろう。リュデロギスとマルキアドの治療を受けたら、ゼンヴァが反乱を起こすまでに至った思慮も覚悟も全てが無に帰してしまう。


(でも、ここ最近になって東大陸に来たわたしなら、あるいは……)


 それとも、リュデロギスの后である自分では、やはり拒否されてしまうのだろうか。

 ちらりとそんな考えが頭をよぎりはしたが、医学を学ぶ者として目の前の怪我人を放ってはおけない。シェリーンは一歩前に進み出た。


「ゼンヴァさま、わたくしの治療を、受けてはくださらないでしょうか」


 ゼンヴァがいぶかしげに単眼を瞬く。


「そなたは――?」


 ゼンヴァの傍にたたずんでいたサイクロプス族が耳打ちする。


「族長、その方はリュデロギスのお后です。新聞くらい読んでくださいよ」

「あんな小さい文字が読めるか! しかし、そうか! お前さまが西大陸からおいでなさったという幸運の子か!」


 珍しいものに会えた喜びを隠そうともせず、笑顔になったあとで、ゼンヴァは表情を改めた。


「単なるリュデロギスの后なら断っていたところだが、幸運の子であれば話は別だ。幸運の子は魔族にとって宝よ。その幸運の子の申し出を断れば、魔神ヴェルエムスの鉄槌てっついが下ろう」

「では、治療をさせていただけるのですか……!?」


 ゼンヴァは大きくうなずいた。

 早速、シェリーンは軍医に頼んで消毒液とガーゼを使わせてもらった。自分の手指を消毒したあと、水で湿らせたガーゼでゼンヴァの傷口を拭き清め、魔法で作り出した水で洗い流す。


 最後に、患部に手をかざし、リュデロギスとスクアピオから学んだ通り、古代語を唱えて治癒魔法を発動する。ゼンヴァの傷はまばゆい光に包まれ、傷口は跡形もなく消え去ってしまった。


「おお、見事なものだな」


 ゼンヴァは嬉しげに、傷の消えた脛をさすった。


「幸運の子よ、お前さまの名は?」

「シェリーン・アンと申します」

「シェリーンか。よい名だ。シェリーン殿、わしはリュデロギスを好かん。それは今でも変わらんが、借りは返さねばならん。お前さまが困っている時には、我が一族は必ず力を貸そう。この先もずっとな」


 ゼンヴァの意外すぎる申し出に、シェリーンは目をぱちくりさせた。


(ということは、わたしが魔后まこうである限り、もう反乱は起こさないということ……?)


 戦いに勝つ手助けができただけではなく、事態の根本的な解決ができたことが嬉しくて、シェリーンは数秒遅れて顔をほころばせた。リュデロギスの役に立てたことが実感でき、シェリーンの胸は誇らしさでいっぱいになった。

 うしろからリュデロギスの声が聞こえてくる。


「見たか、マルキアド! シェリーンの優しさは、頑迷なゼンヴァの心さえも動かしたぞ! 彼女は誰もが一目置かざるを得ない素晴らしい女性だろう」

「とりあえず、シェリーン殿が貴様より人望があることは分かった」


 マルキアドの呆れ声に、シェリーンは穴があったら入りたい気持ちになった。

 その様子を見ていたゼンヴァが感慨深げにつぶやく。


「フッ、敵には情けをかけぬ冷酷な魔王といわれていたリュデロギスも変わったものだ。シェリーン殿が奴の隣にいれば、この東大陸の未来も、そう悲観したものではないかもしれん」

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