第二十話 魔神の寿ぐ結婚式
シェリーンとリュデロギスの結婚式の日が訪れた。
結婚式は魔都ギルガの魔神殿で行われる。国民も自由に参拝できる神殿で、宮殿からそう遠くない場所だ。
シェリーンもリュデロギスも、今日は魔族にとって聖なる色である黒い衣装に身を包んでいる。西大陸では白や黒のウェディングドレスに白いベールの組み合わせが一般的だが、ディンゼではベールまでもが漆黒だ。
ドレスもベールもシェリーンに合わせた素晴らしいもので、デコルテが大きく開いたウェディングドレスには、花の
ギルガ宮で、黒い花嫁衣装に着替えたシェリーンを見るなり、リュデロギスは顔を明るくした。
「よく似合っている。黒は女性を美しく見せるというが、今日のあなたはひときわ美しいな。その真紅の口紅も、いつもと違い、新鮮だ」
そこまで褒められると照れてしまう。
「あ、ありがとうございます……。陛下こそ、とても……
リュデロギスは嬉しそうに笑ってくれた。
大元帥としての黒い軍服に身を包み、表裏ともに黒いマントをまとったリュデロギスは、威厳に満ち、神像のように神々しくすら見える。
魔物とも妖精ともいわれる
ベールの向こうに見えるリュデロギスの顔は穏やかだ。
普通の馬よりも俊足を誇り、力も強い水棲馬が引く馬車はぐんぐん進み、あっという間に魔神殿に到着する。
魔神殿は黒を基調とした荘厳な神殿だった。黒大理石の上に敷かれた、銀の縁取りのある黒い
魔神官が厳かに問う。ヴェルエムス語だが、どんな言葉のやり取りがあるのかは事前に学習ずみのため、シェリーンにも理解できた。
「魔帝リュデロギスよ、そなたはアルカンの王女シェリーン・アンを妻とし、千年万年が過ぎるとも愛することを万物の父・魔神ヴェルエムスに誓うか?」
「誓おう」
「アルカンの王女シェリーン・アンよ、そなたは魔帝リュデロギスを夫とし、千年万年が過ぎるとも愛することを万物の父・魔神ヴェルエムスに誓うか?」
自分がリュデロギスのことをどう思っているのかまだ分からないにもかかわらず、シェリーンは答えた。
「誓います」
「では、夫婦の証たる腕輪の交換を」
魔神官の前に黒いビロードの箱が運ばれてくる。受け取った魔神官が箱を開けると、二本の腕輪が現れた。腕輪は二本ともプラチナ製だ。精緻な細工が施され、それぞれ違う宝石がはまっている。シェリーンの腕輪にはアメシストが、リュデロギスの腕輪にはバイオレットスピネルが。
夫婦の証である腕輪には、つける本人の瞳の色に近い宝石をあしらうそうだ。元々はリュデロギスの母の腕輪につけられていた宝石がルビーなのは、彼女が赤い瞳を持つヴァンパイア族だったからだろう。
リュデロギスがおもむろにアメシストの腕輪を受け取り、シェリーンの腕につける。シェリーンもバイオレットスピネルの腕輪を受け取り、リュデロギスの腕につける。
これで、あとは結婚証明書にサインするだけだ。
(誓いのキスがなくてよかった……)
密かにホッとしたあとで、シェリーンはリュデロギスが切なそうな目でこちらを見つめていることに気づいた。いや、物欲しそうな目というべきか、我慢の限界を超えてしまったような目というべきか。
シェリーンの頭から垂れ下がる黒いベールを上げながら、リュデロギスが耳元でささやいた。
「……人族は結婚式の際に、こうするらしいな」
次の瞬間、柔らかいものが、束の間、シェリーンの唇に触れた。触れる程度の、優しいキス。
(……キ……キス……!?)
リュデロギスにキスされたと理解した時、シェリーンの頭は真っ白になった。
これ以降、魔族の間でも結婚式で行う誓いのキスは一般的になっていくのだが、それはまた別の話である。
シェリーンはボーッとし、思考できない中で結婚証明書にサインした。
気づいた時には、魔神官が王冠の置かれた黒いクッションをささげ持っている。
(そうだわ! この結婚式はわたしの魔后としての戴冠式も兼ねているのよね……!)
シェリーンはリュデロギスの前にひざまずく。リュデロギスがシェリーンのベールを外し、近習に渡す。リュデロギスは魔神官から受け取った王冠を、そっとシェリーンの黄金色の頭に載せた。
こうして、ディンゼ魔帝国魔后シェリーン・アンが正式に誕生した。
結婚式を終え、魔后となった感慨よりも、初めてのキスを奪われた衝撃のほうが強いシェリーンがフラフラしながら馬車に乗り込むと、向かいのリュデロギスが心配そうな視線を送ってきた。
「すまぬ。あなたがそこまでショックを受けるとは思わなかった。……嫌だったのだな」
それは違う。相手がリュデロギスでなかったら、今頃自分は川に身投げでもしていたかもしれない。
シェリーンはもごもごと口を動かした。
「……嫌、ではありません。ただ、不意打ちだったので、びっくりしてしまって……」
「それなら、心の準備ができた状態でなら、もう一度してもよいか?」
シェリーンは向かいに座るリュデロギスを呆然と見つめた。彼のバイオレットスピネル色の瞳は優しげでいて、明らかにシェリーンの「何か」を欲している。
たった一度唇を合わせただけだというのに、今までは分からなかったことが、シェリーンにははっきりと認識できるようになっていた。
夫が妻をそういう目で見るということは、つまり――
(わたしは幸運の子だからという理由だけで魔后になったお飾りの妻ではなく、陛下に望まれている――ということ……?)
そう思い至ったシェリーンは、顔を真っ赤にして小さくうなずいた。
「……多分」
「ありがとう。その時を楽しみにしている」
リュデロギスはそう言って笑い、いつもの距離感を保ってくれた。それでも、シェリーンは必要以上に彼のことを意識してしまい、気をそらすために窓の外を眺めた。
動き始めた馬車は街中を通っていく。シェリーンは思わず小さな声を漏らした。驚くほどたくさんの人々が沿道を埋め尽くし、三つ首の竜が描かれたディンゼの国旗を振っている。
リュデロギスが誇らしげに言った。
「あなたが歓迎されている証拠だ」
シェリーンが幸運の子だということを新聞を読んで知っているからなのか、偉大な魔帝がようやく后を迎えたことを喜んでいるのか。あるいは、その両方か。
今まで目にすることがなかった民衆が、自分とリュデロギスの結婚を祝福してくれる様を目の当たりにして、シェリーンの胸に熱いものが込み上げた。
***
ギルガ宮に戻ったシェリーンは旅装に着替えさせてもらった。これからすぐに新婚旅行に出発するのだ。前々から気に入っていた、キャメルの薄いコートを着られたので心が浮き立つ。
既に準備をすませたリュデロギスが奥の間で待っているというので、急いで赴く。
リュデロギスも旅行用の平服を身にまとっていた。その人並み外れた美貌を除けば、街の青年のようだ。
「可愛らしい格好だな。予の后はなんでも似合う」
今になって、この銀髪の美しい人が自分の夫になったのだという実感が湧いてきて、シェリーンは彼の顔を直視できなかった。
「ありがとう……ございます」
「シェリーン、少しだけ話がある。聞いてくれ」
「はい……」
ようやくシェリーンは、リュデロギスと目を合わせられた。彼の瞳には真摯な光が宿っている。
「これから行く先々には、従属国もあれば属領もある。予の支配をよく思わぬ者たちもいる。本来ならば、そのような危険な場所にあなたを連れていきたくはない。だが、あなたは予が必ず守るから、ついてきて欲しい」
シェリーンは即座にうなずいた。リュデロギスの誠実さが嬉しかった。
「かしこまりました」
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