第十三話 本を好きになった理由

 シェリーンはリュデロギスに話し始めた。


「色々ありまして、わたしは長いこと離宮に幽閉されておりました」

「……ああ、知っている」

「幽閉されたのが子どもの頃だったのもあって、長い一日が無為に過ぎてゆく日々が続きました。そんな時、当時の世話係が離宮の図書室の本を差し入れてくれたのです。そのきっかけは、わたしが本を好きかどうかとか、そんな他愛のない会話だったと思います」


「それで、本が好きに?」

「はい。その世話係は大変親切な方で、わたしの年齢や趣味に合った本を用意してくれました。本を読みながら、狭い世界が広がっていくような、心が救われるような思いがしたことを、今でもはっきりと思い出せます」


 リュデロギスはなんとも言えない、複雑な表情を浮かべた。


「当時の、と言ったな。その世話係は辞めてしまったのか?」

「はい。世話係は長くても一年で交代してしまいましたから。その方は色々事情があったのか、数か月で辞めてしまいましたが……。ですが、本をどうしても読みたかったわたしは、そのあとも根気強く世話係に本の差し入れを願い続けました」


「希望の本は読めたのか?」

「半々といったところでしょうか。時には、全く分からない外国語の本や難しすぎる本を渡されることもありましたが、それでもわたしは本とその書き手に救われました。ですから、好き嫌いは決められません」


 こうして本に対する思いを誰かに伝えたのは初めてだ。シェリーンはすっきりとした気分になったのだが、目の前のリュデロギスは不快そうな顔をしている。シェリーンは慌てた。


「あ、あの、わたしの話のせいでご不快な思いをなさったのなら、申し訳――」


 リュデロギスはすぐに、こちらを安心させるように表情を緩めた。


「あなたのせいではない。あなたが酷い仕打ちを受けていたことが赦せないだけだ」


 リュデロギスが身を乗り出すように顔を近づけてきた。シェリーンはドキリとする。しかし、リュデロギスに他意はなかったようで、彼はシェリーンを慈しむような眼差しを向けてくる。


「シェリーン、これから幸せになれ。本来ならば、『あなたは予が必ず幸せにする』と言いたいところだが、幸せとは人にしてもらうものではなく、自ら望んでなるものだと予は思っている。あなたが幸せになるためなら、予はいくらでも力になろう」

「陛下……」


 今まで、こんなにもシェリーンの幸せを願ってくれた人は、母以外にいなかった。シェリーンは胸がじんと熱くなる感覚と目の縁に涙がにじみそうになる感覚の両方を自覚した。

 今の言葉だけでも充分に嬉しいのに、リュデロギスは優しい声音でさらに尋ねる。


「何か、これからしてみたいことはないか?」


 本を読める環境は、リュデロギスが用意してくれた。自分が他にやりたいことはなんだろう。


(とりあえず、魔族の言語は学ばなければならないけれど、もっと違う、以前からしてみたかったのにできなかったことは……)


 シェリーンはしばらくの間、うつむいて考え込んでいたが、机の上に載っている本の一冊を見て、「あ!」と声を上げた。

 本の背表紙にはこう書かれている。


『アルカンと近隣諸国の最先端医療』


 リュデロギスが軽くバイオレットスピネル色の目を見張った。


「どうした?」

「あの……わたし、医学を学んでみたいです。それに、もっと早く申し上げたかったのですが、魔族の言葉や文化も」


 シェリーンは自分を生んで以来、身体の弱くなってしまった母を助けてあげたい、と常日頃思っていたのだ。だが、母にそう伝えるのは照れくさかった上に、王女が医学を学ぶというのは前例がなかったようで、諦めざるを得なかった。だから、趣味で簡単な医学書を読むだけにとどめていたのだ。

 リュデロギスも「やめておけ」と言うのだろうか。

 少し不安になってきたシェリーンに、リュデロギスは大きくうなずいてくれた。


「医学とは、シェリーンは向学心が強いな。ディンゼの医学はアルカンよりも進んでいるゆえ、学びがいがあるぞ。よいだろう。あなたが満足できるような教師をつけよう」


 シェリーンは夢を見ているような心地だった。


「本当に……?」

「ああ、約束する。できるだけ早くな」


 リュデロギスに確約してもらったあと、シェリーンは彼に見守られながら本を読み始めた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、すぐに昼食の時間になる。

 昼食が終わると、歯を磨き、廷臣たちとの引見のために、グラジナとボジェナにかっちりとした服に着替えさせてもらい、ニーカとマイヤに化粧をしてもらう。

 グラジナとボジェナは感嘆の声を上げた。


「まあ……お化粧をなさると、魔后陛下はさらにお美しさに磨きがかかりますわね」

「本当に。魔帝陛下がご覧になる瞬間が楽しみでございます」


 化粧を担当したニーカとマイヤもニコニコ顔だ。


(お世辞にしても、グラジナやボジェナたち女官はわたしの容姿を頻繁に褒めてくれるのよね……人族と魔族では、美の基準が違うのかしら?)


 疑問に思ったシェリーンは彼女たちに聞いてみることにした。


「唐突だけれど、四人は魔帝陛下をお美しいと思いますか?」


 女官たちは顔を見合わせて笑い出した。


「むろんでございますよ。魔帝陛下ほどお美しい殿方は、東大陸広しといえども、おそらくはいらっしゃらないでしょう」

「肩を並べられるのはレディオンさまくらいでしょうか」


 シェリーンの美的基準はグラジナたちとほぼ同じらしい。


(じゃあ、なぜ、わたしが美しいことになるのかしら……?)


 それにしても、レディオンというのは誰なのだろう。シェリーンが尋ねると、グラジナが答える。


「このあとのご引見で、お顔を合わせることになると存じますよ。何せ、このディンゼ魔帝国のナンバーツーでいらっしゃいますから」


(ナンバーツー……! しっかりとご挨拶しないと)


 ナンヌとカチャに付き添われたシェリーンはフィオレンザに案内され、二段のきざはしの上に二脚の玉座が設えられた謁見の間に入った。既に玉座にかけていたリュデロギスはシェリーンを目にすると、とびきりの笑顔になる。化粧の効果があったのだろうか。


 シェリーンはリュデロギスから見て左側の玉座に腰かける。黄金と宝石で飾られた赤い絹張りの椅子で、座るだけで緊張してしまう。

 シェリーンの真横に通訳の女性が立ち、ほどなくして侍従長が、引見に集った廷臣の名を呼ばわる。すかさず通訳が訳してくれる。


「四元帥筆頭、ディンゼ魔帝国元帥にして軍務大臣兼総軍司令部総長レディオン閣下!」


 緋色ひいろ絨毯じゅうたんを踏みしめながら、階の前に進み出た青年の姿を見て、シェリーンは驚きの声を上げそうになった。

 肩甲骨くらいまで伸びたプラチナブロンドの髪に真紅の瞳、中性的な整った顔立ち。

 今日は正装しているが、それは間違いなく、昨日シェリーンを迎えにきたリュデロギスに付き添っていた、あの美しい青年だった。

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