第二十九話 違和感

 戦場とガルデアの王都の中間地点で供の者たちと合流を果たしたシェリーンとリュデロギスは、街や村落を回ったあとで、再び魔道列車での旅を再開することになった。


「リュデロギス、シェリーン殿、達者でな」


 マルキアド自ら駅まで見送りにきてくれたので、シェリーンは笑顔になる。リュデロギスもまんざらでもないようだ。


「予と次に会う日まで息災でな、マルキアド」

「もちろんだ。シェリーン殿と仲良くな。……ま、これは言うまでもないか」

「当たり前だ」


 少しおもはゆかったが、シェリーンは温かな気持ちでリュデロギスとともに列車に乗り込む。

 椅子に座ると、リュデロギスが優しく言った。


「シェリーン、ここ数日は慣れない経験をして疲れたろう。列車を降りるまで、眠っていても構わぬぞ」

「大丈夫です。景色を見るのも楽しみですし、それに……」

「それに?」


「リュデさまとお話ししたり、経験を共有したりしたいのです」とは言えず、シェリーンは口ごもった。

 リュデロギスが目を細める。


「シェリーンが返答に困るということは、恥ずかしがっているのだな? 予を喜ばせることなら、いくらでも言ってくれてよいのだぞ?」

「そ、そんな……」


 シェリーンがはにかむと、リュデロギスは一瞬、何かをこらえるような表情をする。彼の手が持ち上がり、シェリーンの頭をなでた。


「シェリーンは可愛いな」


 人目がある列車内でこの甘い雰囲気はまずい。シェリーンは慌てて話題を変えるべく、記憶を探った。


「あ……そういえば!」

「ん?」

「反乱の鎮圧の時に思ったのですけれど、リュデさまはとってもお強いですね!」

「まあな」


 どうにか話題を変えることに成功したシェリーンは、慎重に問いかける。


「あの……わたしは嫁ぐ前に、リュデさまがアルカンの勇者に負けた、と聞いたのです。これは、おそらく嘘、ですよね……?」


 そう、父王は確かに「勇者が大魔王に勝利した」と言っていた。当時、シェリーンは疑問に思ったものだ。友好のためとはいえ、勝者側の王女が敗者側に嫁ぐ必要があるのだろうか、と。


 つまり、こう考えれば全てがしっくりいくのだ。

 勝利したのは勇者ではなくリュデロギスで、アルカン側は勝者である彼に将来、不可侵条約を反故にされないために王女であるシェリーンを差し出したのではないか、と。

 やはり、というか、リュデロギスは事もなげにうなずいた。


「ああ、嘘だな。予が勝った」

「申し訳ありません。せっかくリュデさまが不可侵条約をご提案くださったのに、父が勝手なことを……」

「あなたが謝ることはない。使い魔の報告によると、アルカンでは勇者が予に勝った上で不可侵条約を結ばせたことになっているようだが、どうでもよいことだ。予はあなたが傍にいてくれれば、それでよいのだからな」

「リュデさま……」

「にしても、シェリーン、不可侵条約を提案したのがアルカンではなく予のほうだとよく分かったな。よければその理由を教えてくれ」


「はい。まず、リュデさまは西大陸への侵略を考えていらっしゃいません。ですから、アルカンをはじめとした西大陸の諸国が、次々と勇者を送り込んでくることを非常に迷惑に思われるはずです。そこで、ディンゼにとっては西大陸の玄関口であるアルカンと不可侵条約を結べば、他の国々も安心し、東大陸にちょっかいを出すのをやめるだろう――そう思われたのではありませんか?」

「ご名答。やはり、シェリーンは賢いな」


 シェリーンは素直に喜べなかった。


「異母妹も継母も、それにアルカンの国民たちも、嘘を教えられ、信じているのですね……」

「それはシェリーンが気に病むことではない。あなたをこれ幸いと追い出した連中だぞ。魔族に容姿が似ているからといって、自分の娘を『大魔王』と呼ぶ男に差し出すなど、吐き気がする。……まあ、そのおかげで、あなたが幸運の子だと分かり、予と結婚することになったわけだが」


「そうですね。様々な偶然が重なって、わたしは今、ここにいる……」

「幸運の子は周囲に運を授けるばかりで、自分は幸福になれるわけではないというが……あなたが今を幸せだと思ってくれているなら、これほど嬉しいことはない」


 リュデロギスは「好きだ」とか「愛している」とささやくことはないが、気持ちを別の言い方できちんと言葉にしてくれる。とても大切にしてくれる。


(わたしは幸せ者なのかもしれないわ……)


 心から幸せだと思える日が今は想像できなくても、リュデロギスとともにいれば、いつか本当の意味で幸せを実感できるようになるかもしれない。

 シェリーンはそう思ったが、またしても口には出せなかった。


   ***


 魔道列車は属領ザンターグに入った。魔王が老衰のために死亡したことがきっかけでディンゼ軍の侵攻を受け、属領となった元魔王国である。

 ここにはマルキアドのように、リュデロギスに好意的な魔王がいるわけではない。シェリーンは緊張しながら駅に降り立ったが、例によって詰めかけた民衆は朗らかだった。彼らの着ている衣装は、リュデロギスが寝巻きのひとつとして愛用している、前を合わせる服とよく似ている。


「ザンターグは偉大だった魔王が亡きあと、馬鹿息子が跡を継いだせいで酷く混乱してな。辛酸をなめた民衆は予の侵攻と統治をありがたがり、その傾向が今でも続いているくらいなのだ」


 リュデロギスの説明を聞いたシェリーンは、王者の資質というものについて考えずにはいられなかった。

 二人は馬車で宮殿に向かう。


 リュデロギスが「馬鹿息子」と評した最後の魔王は既に戦死し、女性ばかりだった旧王族も、温情により助命されたあとは辺境に移り住んだ。そのため、宮殿は現在、リュデロギスが任命した総督が住宅兼総督府としている、ということだった。シェリーンたちもザンターグに滞在する間は、この宮殿を拠点とする。


 ザンターグの宮殿はギルガ宮ともガルデアの宮殿とも趣が違っており、朱塗りの木造でいくつもの御殿が広大な敷地内に建てられている。ギルガ宮の庭園はザンターグの影響を受けていることが分かった。

 リュデロギスにそのわけを尋ねてみると、「ザンターグの民の心証がよくなるからな」との答えが返ってきた。


(ああはおっしゃっているけれど、きっとリュデさまはザンターグの文化に敬意を払っていらっしゃるのね)


 力で押さえつけるだけの征服者ではないリュデロギスの姿が垣間見えて、シェリーンは嬉しい。

 宮殿に入ったシェリーンはリュデロギスとともに、総督ラジンに出迎えられた。彼はレディオンほどではないにしろ、リュデロギスにそこそこ長く仕えているらしい。リュデロギスはくつろいだ顔になる。


「久しいな、ラジン。存じているとは思うが、彼女が魔后となったシェリーン・アンだ。予と同じように敬ってくれ」


 上品な中年男性の姿をしたラジンは、恭しく頭を下げた。


「むろんでございます。魔后陛下、不肖の身ではございますが、よろしくお願い申し上げまする」


 シェリーンはラジンにほほえみかけようとした。その瞬間。彼の目が鋭い光を宿したような気がして、ぞわりと背筋が粟立あわだつ。


(何……?)


 マルキアドやゼンヴァ、民衆からはこんな目で見られたことはなかった。だが、これはアルカンにいた頃はしょっちゅう向けられていた視線――悪意だ。


(わたしはこの方に歓迎されていないということ……?)


 このラジンという人には気をつけたほうがいいかもしれない。自分の被害妄想であって欲しいと願いながらも、シェリーンは気を引きしめることにした。

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