第二十七話 魔帝の出撃
マルキアドは立ち上がった。
「リュデロギス、シェリーン殿、まだ料理も出していないのにすまぬが、俺はこれから反乱の鎮圧に向かわねばならぬ。サイクロプス族の族長は頑固者だ。俺が出向かねば納得するまい」
「ゼンヴァの奴か。あれは確かに厄介だな。予も行こう」
リュデロギスがそう言い出したので、シェリーンは胸をつかれた。思えば、彼とは出会ってからずっと一緒だったのだ。いくら強いとはいえ、その彼が危険な戦場に行こうとしている……。シェリーンは耐えがたい気持ちだった。
でも、もし幸運の子である自分が同行すれば、リュデロギスが遭うであろう危険を少しでも減らせるのではないだろうか。
勇気を振り絞り、リュデロギスに申し出る。
「リュデさま、わたしもついていきます」
リュデロギスは意表を突かれたような顔をした。
「やめたほうがよい。危険だ」
「ですが、幸運の子であるわたしがご一緒したほうが、鎮圧がうまくいくのではないでしょうか」
「だとしても、戦闘の経験がないあなたが同行するほうが危険だ。思わぬことが起こる可能性が高い。それよりは戦に慣れた予が一人だけで、マルキアドの率いるガルデア軍に同行したほうがよい」
「わたしが本当に幸運の子ならお役に立つはずです。それに……リュデさまが心配です」
シェリーンがしっかりリュデロギスと目を合わせて訴えると、彼のバイオレットスピネル色の瞳が揺らいだ。
黙ってたたずんでいたマルキアドが笑った。
「フッ、夫を想う妻の気持ちには勝てぬな。リュデロギス、ついてきてもらってはどうだ? 俺は構わぬ」
「マルキアド、そなた、何を言って――」
「後方にいれば問題あるまい。サイクロプス族は女子供を傷つけるような無法者の集団ではない。それに、幸運の子の力が戦にどう作用するか、俺も興味深い。幸運の子は大切にされるあまり、戦場に出た例は少なかったはずだ」
「シェリーンを実験台にするな!」
そう突っ込みを入れたあとで、リュデロギスはシェリーンをじっと見つめた。
「分かった。ただし、予の傍から離れるなよ」
「はい」
シェリーンも夫の目を見返す。戦いへの恐怖はあったが、彼が自分の気持ちをくんでくれたことが嬉しかった。
***
反乱はガルデアの南部で起こっている。リュデロギスとシェリーンは馬を借り、マルキアド率いるガルデア軍についていく。空には
王都から馬で駆けること三日。ガルデア軍は反乱の最前線を見下ろせる高台にたどり着いた。
一時間ほど前から豪雨が降っている。その土砂降りの雨の中を南部に配属されているガルデア軍と、反乱を起こしたサイクロプス族が戦っているのが見えた。
シェリーンが図鑑でしか見たことがなかったサイクロプス族は、肌の色は真っ青、人の三倍はある巨体に金棒を持ち、大きなひとつ目がぎょろりとした、まさしく魔族といった風貌をしている。
彼らが巨大な金棒を振り回しながらガルデア軍を蹴散らす様は迫力があり、見る者の士気をくじかせるには十分だった。反乱が三日たっても収束しない理由のひとつだろう。
豪雨の中でも、シェリーンやリュデロギスには雨粒ひとつついていない。リュデロギスによる雨を弾く魔法のおかげだ。
シェリーンの前に立つリュデロギスが、隣のマルキアドと目配せし合ったあとで、古代の言葉を唱える。
次に発せられた彼の声は、この高台だけでなく戦場全体に響き渡った。
「サイクロプス族族長ゼンヴァよ! そなたが嫌う魔帝リュデロギスはここにおるぞ! マルキアドの軍を相手に不毛な争いを繰り広げている場合ではなかろう! ここまで来られたなら、予が相手になろうぞ!」
「ちと
マルキアドがぼやいた。シェリーンも同感だ。
それはともかく、効果はてきめんだったようで、こちらを見上げたサイクロプス族たちは、いっせいにこの高台目がけ、地響きを立てそうな勢いで押し寄せてくる。交戦中だった者は、さっさと相手の兵を金棒でなぎ払い、駆け寄ってきた。
シェリーンは心臓が縮み上がるような思いだった。
「そろそろだな」
リュデロギスがつぶやいたその時。先頭を走っていたサイクロプス族の半身が、ずぼりと地面にのみ込まれた。うしろに続くサイクロプス族たちも次々と見えざる穴にはまっていく。
この高台の前の地質は粘土質で排水性が悪く、豪雨によってたまった水によって広範囲のぬかるみができ、天然の落とし穴が形成されていたのだ。身体の重いサイクロプス族が足を踏み入れれば、あっけなく半身が埋もれてしまう。
リュデロギスとマルキアドは、過去にたまたまこの地で戦ったことがあり、地質についても知っていたのだという。サイクロプス族の中にも、この知識のある者はいたのだろうが、リュデロギスの挑発を受け、頭に血が上ってしまったのだろう。
サイクロプス族たちのほとんどが
悔しげにリュデロギスを見上げていたサイクロプス族たちが、魔法の光によって拘束された。リュデロギスが指を動かすと、各々の巨体が持ち上がり、ぬかるみになっていない土の上まで移動する。
ひときわ立派な体格のサイクロプス族がここまで届く声で、はっきりと言った。
「……今回は我らの負けだ」
兵たちから喜びの声が上がる。
それにしてもリュデロギスはすごい。たった一人で百人以上のサイクロプス族を拘束してしまうなんて。
「ふむ、できすぎだな。俺が率いてきた軍は一兵も失わずに、こんな短時間で反乱を鎮圧できるとは」
マルキアドが意味ありげな視線をシェリーンに向ける。もしかして、これが幸運の子の力だとでもいうのだろうか。そうは思えなかったシェリーンは頭を振った。
「そんな……今回の勝利はお二人の作戦がもたらしたものです。わたしがしゃしゃり出なくても結果は同じだったかと」
「それは違うぞ、シェリーン」
リュデロギスが振り返りながらほほえむ。
「戦には不確定要素がつきものだ。作戦通りに進むことのほうが珍しい。シェリーンだって計画していたことをいざ実行に移そうとした時に、不測の事態が起こったせいで焦った経験があるのではないか?」
「……はい」
「戦で生死を分けるのは、戦略・戦術や指揮官の質もあるが、運も大きい。運に左右されぬようにした上で、味方につけることが大切なのだ。つまり、これだけ順調に事が運んだのはあなたのおかげだ。ほら、見ろ」
リュデロギスが空を見上げる。いつの間にか豪雨は弱まり、今にもやみかけていた。曇天から青空がのぞいている。
「都合がよすぎるだろう? まるで予たちの作戦のために雨が降り、その役目を終えたからやもうとしているようではないか」
「た、確かに……」
「あなたは正真正銘の幸運の子だ。自信を持ってよい」
リュデロギスのその言葉は、シェリーンの胸の奥にしっかりと届いた。
(これがわたしの……幸運の子としての力……)
リュデロギスが再び拡声魔法を使い、全軍に呼びかける。
「みなの者、見たであろう! これが我が后である幸運の子、シェリーンの力だ!」
シェリーンが呆気に取られる中、ガルデア軍の兵たちが上げる歓声が辺りに響き渡った。
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