第六章   僕らの船5

   ※   ※   ※


『ガーデン大橋、破壊完了』

 理央の声に、類は、よし、と再び拳を握った。

 類はひとりだけ自宅に残り、パソコンの前で全員の通話をつないでいた。

 全て自分の計画通りに進んでいた。

 理央は橋の破壊に成功し、一爽は虹太を無事に救出した。

 もうすぐ澪ははじめを連れて帰ってきてくれる。

 遥馬も協力的だ。全てうまくいっている。

(僕にはもう果たすべき役割はない。最後までこの実験を持続させる以外は)

 類は目を閉じた。

 父は自分をほめてくれるだろうか、とぼんやり考えた。

 ダイニングテーブルの上で電子音が鳴った。タブレットの初期設定になっている着信音だ。類はタブレットを引き寄せ、スクリーンをタッチした。

 丸に十字、照準をデザインしたマークが表示されていた。トゥエルブファクトリーズの社章が、危険信号のように光っている。

 類は、死刑の判決を聞く囚人のような気持ちでタブレットを自分の耳元にあてた。

「……了解です」

 会話は短かった。

 すぐに一爽とつないだ。

「一爽、残念ながら僕はここまでだ。最後まで一緒に戦えなくてすまない」

『類?』

 一爽のいぶかしむ声がする。

 背後に、意識を取り戻した虹太の声もきこえていた。

「一爽、急いでくれ。ここからは時間との戦いになる」

 類は膝の上にタブレットを載せてハンズフリーで会話を続ける。車椅子のハンドリムに手をかけた。片側を回して向きを変え、部屋の出入り口に向かっていく。

『類、どういう意味だ? 今、家にいるんだろ?』

 一爽の声に類は少しうつむいた。

「僕には特別な契約があったんだ。この条件を飲めば、トゥエルブファクトリーズがプラチナベビーズの行動観察実験に出資してくれるという約束で」

『どんな契約だよ』

「真尋、一爽、澪、はじめ……プラチナベビーズのみんなが自立して自由に生きられるように、そういう未来を手にできるように、そのために必要な労働や犠牲なら、僕が支払うという契約だよ」

 類は玄関前まで到達した。リムを止める。

「僕ののんだ条件は、ここで行われる実験がトゥエルブファクトリーズに管理しきれなくなった場合に、この島を海中に沈める自爆用の兵器になることだ」

 そして、膝の上に置いたタブレットを見た。

「監視者の子たちは、画像データの隠蔽工作を頑張ってくれたと思う。ここまで時間を稼いでくれただけで、もう充分だ。二つの橋を破壊し、島のアンカーワイヤーを巻き上げた。さすがにトゥエルブファクトリーズの幹部も、ここで想定外の何かが起こっていることに気づいてしまった。召集がかかってしまったから、僕はもう行かなくてはならない」

『行くな。もうすぐ俺たちは自由になるんだろ?』

 スピーカーの音が割れる。一爽の声は悲鳴のようだ。

「実験が遂行されなくては、監視者達に契約金が支払われない。みんなで大団円は迎えられないんだよ」

 一爽が類のタブレットに画像通話を要求してきたが、類は許可しなかった。今、仲間の顔を見たら、泣いてしまいそうだった。

 気丈に言葉を紡ぐ。

「もうすぐ僕の意志はなくなる。僕は大量破壊兵器の一部になる。止めたければ、君が来て僕を殺してもいい。理央の拳銃を持っているだろう」

『あんたが言ったんだろ? みんなで生き残ろうって。命は金に変えられないって。なのにあんたが殺してくれっていうのか?』

 一爽の声が泣き出しそうに響く。

 類の目から、ぽたりと一滴、膝の上に熱いものが落ちた。

「急いでくれ。僕が荷電子粒子砲の一発目を放つ前に、ここをみんなで脱出してほしい」

『脱出って。類はどこへ行くんだ』

「この島でもっとも目立つ存在でありながら、ずっと封印されてきた場所。展望台だよ」

 類は立ちあがった。タブレットが床に落ちた。

『行くな!』という一爽からの声がむなしく響く。

 何度も類を呼んでいる。

 室内用の車椅子を残し、類はひょこひょこと奇妙な動作で歩いて行く。自分の意思ではない、ロボットじみた動きだった。

 玄関を出て、メインストリートにつながる細い通りを、おもちゃの行進のようにゆっくり進んでいった。


   ※   ※   ※


「どうした一爽」

 虹太が、心配そうに一爽を見た。

 水分を与えられて、少し落ち着いた様子で床に座っていた。今はゼリー飲料のパウチを咥えている。

「くそったれ!」

 一爽は悪態をついた。じっとしていられず、立ちあがって、虹太のまわりをぐるぐる歩いた。

「やってられるか、くそったれ!」

 もどって、虹太の前に胡坐をかいた。

「前に虹太が言ってた、荷電子粒子砲。類の能力が、あれに利用されてしまう」

 すぐに思い出せないのか、虹太は少し考えこんでいた。

「ほら、ビーム砲。巨大化しすぎるっていって、開発が中止されてたやつだよ」

 虹太も思い出したようだ。ああ、とうなずいた。

「類が、類が、その一部になるんだ。この島を沈めるためにトゥエルブファクトリーズに利用されるんだ。そう言って家を出て行ったみたいなんだ」

 もどかしくなって、一爽はいらいらと自分の膝を上下に動かす。

 虹太は首をかしげたまま考えている。

「なるほど、そうか。彼が足りない技術を補うオーパーツになることによって、この兵器は実現可能になってしまったんだな」

「類は今、展望台に向かってるんだ」

 虹太の冷静な態度を見て、一爽は少し自分の狼狽ぶりが恥ずかしくなってきた。

「てことは、展望台にカムフラージュされてたけど、あのビル全体が巨大な砲台だったということか。てっぺんについてる丸い帽子みたいな部分、あそこが巨大な加速器(アクセラレーター)なのかもしれないな」

「どのくらい威力があるんだろう? 一発でこの島は沈むのか?」

「さあな。これだって発射実験なんだろう。ここはなんでもできる実験場だもんな」

 虹太は半ばやけくその口調になっている。

 実験が自分たちの手に負えなくなったら、監視者の生徒や管理官たちだって島ごと切り捨てられる。否、正確には、最後まで実験動物のひとつとして利用されるのだ。

 一爽はうめいた。

「誰か類を止めてくれ」

『止めていいのか?』

 冷静な声が響いた。

 一爽はびくっとして一瞬あたりをみまわした。遥馬の声だ。

 おそるおそる胸のタブレットを取り出した。類は、タブレットでつないでいた複数の音声通話をそのままにしていったのだ。

『類を無理矢理止めたら、契約を遂行しなかったことになって、この実験は終わってしまう。俺たちの契約金は支払われなくなる。永友優吾が命とひきかえにした弟の手術代も、だぞ』

 タブレットから、遥馬の声が淡々と説く。

「遥馬、類を兵器にしないでくれ。あいつが一番の平和主義者じゃないか。戦うことを最後まで拒んだ張本人じゃないか」

『一爽、落ち着け。お前はそこで最後まで類の意志を継げ。ここでこれ以上の犠牲者は出さない。そうだろう?』

 遥馬の声はいつも感情が感じられない。しかし、彼は今、類を支持してくれたのだろうか――仲間として。

『一爽、今、お前がやるべきことはなんだ?』

 一爽は、一度床に座りなおし、自分の手で両頬をぴしゃっと叩いた。

 反省した。焦りすぎていたようだ。

「俺の今やるべきことは、このディーゼルエンジンを自力走行モードに切り替えること」

 遥馬の満足そうな声が、地下室に響く。

『そうだな。一爽、迷わず十二海里脱出をめざせ。この船を進めるのはお前だ』

 一爽は気持ちを切り替えて、投げ出されていた自分のリュックサックを引き寄せた。

 リュックサックは、ペットボトルを取り出してだいぶ軽くなっていた。一番下に『ディーゼルエンジンの自力走行モード切替操作』のマニュアルが入っている。神田造船の神田奈月社長が、類にデータ版を送ってくれた。タブレットが使えなくなったときのために、類がプリントアウトしておいてくれたものだ。

 一爽はマニュアルの紙束を持って、エンジンの筐体へ向かった。

 マニュアルによれば、階段を上がった二階部分に制御用コントロールパネルがあるはずだ。一爽は保守点検用の外付け階段を上った。

 滑り止めの網目模様がついたスチールの階段は、踏みこむたび小さくきしむ。やっと目的のパネルを発見した。すぐ下は半円形の足場になっていて、腰までの高さの鉄柵で丸くかこまれていた。

 筐体の外装の一部に見えていたパネルは、一爽が手の平をかざすと、反応するように内部に白くライトが点った。金属のように見えていたが、パネルの部分だけは人体を感知するスクリーンになっていた。一爽はマニュアルの指示どおりに、パネルの三カ所に指先で図形を描く。

 電子音がしてロックが解除された。灰色のスクリーンにはデジタル表示で十桁のゼロが映し出される。一爽は指先で、白く光るゼロの上に、モード変更権限者のパスワードを描いていった。

(間違えたらどうなるのだろう)

 一瞬、恐れが心をかすめる。侵入者を制裁するため、また何か罠が発動するのだろうか。

 深呼吸した。ここで立ち止まるわけにはいかない。理央はふたつの橋を破壊してくれた。みんな戦っている。ここで自分が立ち止まるわけにはいかない。

 パスワードの入力を続けた。一爽の描いた数字が次々デジタル文字で反映されていく。十桁全て書き入れた時、真ん中に「OK?」と書かれたボタンが表示された。

 ボタンに触れる。内部で大きな音がして、一爽は思わずあとずさり、柵につかまった。

 ガタ、と音がするとパネルの角が前に飛び出してきた。一爽はそこに指をかけて、冷蔵庫の扉を開けるようにおそるおそるひいた。コントロールパネルをめくった向こう側は、なんだかわからないレバーや機器類がぎっしりつまっていた。下半分は配線用端子が五十個ほど並んでいる。そのひとつを摘んでひっぱった。先にみなれた端子がついている。タブレットの充電機と同じだ。自分のタブレットをつないだ。

 そのとたん、タブレットが軽快な着信音を奏でた。

『葉月一爽さんですか? 大丈夫? お疲れさまでした』

 初めてきく声がした。中年女性の声だった。柔らかな物腰だが、ぴんと一本筋の通った芯の強さを感じさせた。

「あなたが、神田さん、ですか? 神田造船の」

『はい。私は神田奈月です。今からあなたのタブレットを通信用にお借りして、このエンジンと船体を制御します。発電モードから航行モードの切り替えると、たぶん大きく揺れるので、できればそれまでに安全な場所にいてほしいんだけど、この足場から降りられるかしら?』

 一爽は足場にしゃがみこんでいた。

「安心しました。うまくいったんすね」

『ここまでもぐるの、大変だったでしょう』

「今、足場から降ります」

 タブレットを制御盤に残して、一爽は足場を下りた。床に座っている虹太のところへ。

 階段を下りきったところで、タブレットを振り返って「オッケーです」と叫んだ。

 数十秒後、床が揺れて一爽はよろめいた。

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