第三章   孤独な少年たち2

 一爽は左右に並ぶ病室のドアを次々と部屋を開けていった。目に入るのは、倒れた点滴台、バイタルチェックの器具、開けっ放しの窓……人影はない。

 さらに奥へ。がらんとしたナースステーションの正面の病室へと進んだ。ドアは薄く開いていた。隙間から中をのぞきこむ。ベッドを囲むカーテンは開かれていて、ベッドのヘッドボードについた患者の名札が見えた。

「宇津木はじめ」

 一爽は室内へ踏みこんだ。

 すでにもぬけの殻だった。ベッドの上は、ちょうど子供が一人寝ていた形に布団がふくらんでいるだけだった。クリームの入っていないコロネのようなかたちだ。

 ベッドサイドのテーブルに本があった。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だ。

(はじめは逃げたんだ)

 それだけはわかった。彼の監視者らしき女医は事故で死んでいる。

(あの女医が死んだから逃げ出せたのか? それとも、誰かが彼女を殺してはじめを連れ去ったのか? あるいは、はじめ自身が逃げるために彼女を)

 考えたくはないが、そういう可能性もあるのだろうか。

 昨夜、類がはじめについて語ったことを思い出した。

「はじめは今年で十歳になる男の子なんだ。彼は帝王切開で生まれた。誕生した途端に、手術室の酸素ボンベが謎の大爆発を起こして、手術中だった母親は死亡。執刀医、麻酔医と助産師二名、計五名重軽傷を負っている。

 他にも、病院内で原因不明の事故が続いて、結局彼を眠らせたまま看護することになった。彼が意識を失っている間は不審な事故が起こらないんだ。そのうち研究が進んで、脳の一部を眠らせておけば能力を制限できることがわかった。それで、ひたすら薬を投与して脳の一部を眠らせている。その状態で病院で監視されて、十年間だ」

 一爽は言葉を失った。そんな状態で世間と隔離されて、それで生きていると言えるのだろうか。

「ずっと眠ったままなのか?」

「ぼんやりと意識はあるらしい。完全に寝たきりではなくて、介助者が食べさせれば口から食事もとるし、うながされればトイレにも自分で行けるときいている。でも、感情的に笑ったり、怒ったりはしない。思考と感情を麻痺させた状態に置いているんだ。何も考えられず、全部、他人のいいなりに生きている、可哀相な子だ」

「はじめは、自分がどうしてそんな生き方をしなきゃいけないか知ってるのか?」

 類は悲しい顔で首を振った。

「彼は、君と同じで、本人告知の許可が出ていない。自分に能力があることも知らないし、自分の母親の死因も知らされてないだろう。病院で暮らさなければならないことは、たぶん『難しい病気だから』とか言いきかされているんだろうね。それも、まあ……本人がどのくらい理解できているのかはわからないけど」

 一爽は空になったベッドを見た。はじめは今、生まれて初めて自分の意思で歩き出したのだ。ベッドサイドのロッカーが開けっぱなしになっていて、長袖パジャマの袖が垂れている。ここに着替えや靴も入っていたのだろうか。

 突然の自由の身。自分ならどこへ向かうだろう。なにもない、なににもしばられない、初めての自由だ。

 一爽は、せつない気持ちで病室の窓から海を見た。強い日差しにきらきらと波頭が輝いている。そして思い当たった。

(発信機)

 タブレットを出して、虹太にメッセージをうった。

一爽「今、病院にいるんだけど、宇津木はじめが病室にいないんだ。監視者は発信機でプラチナベビーズの居場所がわかるんだろ? お前、調べられる?」

 しばらく既読はつかなかった。さすがに虹太もそれほどヒマではないのかもしれない。

 一爽は次の行動に移った。小児科のナースステーションへ向かう。

 こちらの出入口は、アーチ状になっていて扉はついていなかった。

 医療器具の置かれた棚、机と書類の棚を過ぎて、ナースコールの表示板のある壁まで来た。向かい側には、名札のついたトレーの入った棚があった。入院患者に投薬される薬が入っているようだ。

 院内薬剤師がこのトレーへ薬を置くことになっているのだろう。トレーの中身は、錠剤、粉薬の袋もあれば、点滴の液袋、注射薬の瓶もあった。名前をチェックしていくと「水渓澄人」のトレーがあった。その隣は「狩野理央」だ。通常の外来ではなく、入院病棟でふたりは管理されていたのだ。

 ふたりのトレーの中身を確認した。理央に比べると、澄人のほうが量も種類も、倍以上投薬されていた。抗生物質、免疫抑制剤らしき飲み薬と、うすいピンク色をしたジェル状の皮膚保護剤の袋もある。これが強化モジュールのメンテナンスに必要な薬品一式ということだろうか。

 水渓澄人のトレーの一番奥に、英語で書かれた小さな薬袋が置かれていた。手書きのラベルだ。袋を開けると、中にはクッション材でくるまれた小瓶が入っていた。ラベルの文字を読むまでもなく、これが求めていたものだと、一爽は直感で理解した。

 添付の説明書には、昨夜一爽がタブレットで検索したときに見た菌類の顕微鏡写真がついていた。禍々しい紫色の球菌の写真だ。ある特定のたんぱく質をつかって驚くべき増殖をくりかえす殺人耐性菌だという。

 背中のリュックを脇の下から引き寄せて、中に『リガレスト』をしまった。

 ズボンのポケットに入れたタブレットが、メッセージの着信を告げる。

 虹太「おう。朝から行動的だな。監視者側が宇津木はじめの所在場所を確認するために電波を発した記録は無い。つまり、最初からはじめを見失っていない。遥馬が派遣した生徒が保護していると考えるのが自然だろうな」

 監視者が派遣した生徒――その文字を見て、一爽の脳裏に優吾の姿がうかんだ。ふたりが兄弟のように手をつないで、ここまでの道を歩いていくのが見えるようだと思った。自分は、彼らを探しにいっていいのだろうかと、罪悪感に似た迷いが胸をよぎった。

 はじめと優吾のふたりが海にいる様子を心に描いた。初めて触れる水、波、風、光。その中で自由にはしゃぎ、笑い、ふざけるはじめ。目を細めて見守る優吾。誰にもみつからない浜辺で、日が暮れるまで自由に遊んでいてほしい。

 やがてそんな感傷的な思いをふりきるように、一爽はナースステーションを後にした。

 背中にあたる拳銃は、厚い布越しにもまだ温かかった。


   ※   ※   ※


 病院を出て、一爽は商業施設ミナトタウンに向かっていた。

 ミナトタウンは、島内のショッピングセンターの愛称だ。島内の中心に展望台が建っている。その足元を彩るように二階建てのテナントが並ぶ。それがミナトタウンだ。

 展望台は今も準備中の札が出て、立ち入り禁止のままだった。ミナトタウンは、休日に近所の人々が生活雑貨を買いに来るほかに、寮生がぶらぶらする気晴らしの場所となっていた。

 その展望台を一爽は不思議な気持ちで見上げた。

 使えない展望台。生徒の間では「作ってはみたものの、海風が強すぎて安全面から運用できなかったのだろう」と囁かれていた。しかし、これが実験のために作られた島だとすると、そんな無駄なものを作る意味があったのだろうか。

 失敗作なのではなく、あれは電波塔のような役割を果たしているのかもしれないな、と一爽はふと考えた。監視カメラ、各種センサー、この島の上空にはたくさんの電波が飛び交っている。そういうものの中継地点になっているのかもしれない。そう考えると、島の真ん中にそびえたっていることにも説明がつきそうだった。

 虹太のメッセージでは、監視者の熱センサーに反応があったのは二階、エスカレーター脇の自動販売機がある休憩所、ということだった。

 新しい手がかりはないので、とりあえずそこへ向かってみる。

 手押しドアをあけて、ミナトタウンの内部に入った。エスカレーターは止まっていたが、明かりはついている。電源は確保されているようだ。

 一階エントランスの吹き抜けには、「梅雨・レイングッズフェア」と書いたのぼりがあった。止まっているエスカレーターをのぼっていく。二階の催事場には傘や長靴、レインコートを着たマネキンが並べられていた。

 一爽は、エスカレーター脇の休憩所へいった。観葉植物の鉢で仕切られた一区画には、ソファがあり、壁沿いにジュース、アイスの自販機が並んでいる。

 ソファのひとつが水浸しになっているのに気がついた。周辺の床も濡れたままだ。すぐ近くにある観葉植物の鉢ひとつが、まるっと黒焦げになっていた。溶けて一塊になった葉を見て、それがフェイクグリーンだったのだと一爽は気がついた。天井を見上げると黒くすすけている。ここでスプリンクラーが作動したようだ。

 これを燃やしたのが、はじめの能力なのだろうか。

「ねー、もうひとつアイス。アイス買って」

 少し先にある雑貨店の中から、甲高い少年の声がした。

「あのね、もう少ししたら、ここを移動しなくちゃいけないんだよ」

 きき慣れた声が、少年を優しく諭している。

「じゃ、アイス食べたら」

「約束だよ」

「うん」

 ぼこ、ぼこ、ぼこ。

 足音はなぜか低くこもった音だ。

 店から、緑色の傘があらわれた。傘の持ち主は、写真で見たとおりグレイがかった薄茶の髪に、澄んだヘイゼルアイの少年だった。十歳と聞いていたが、宇津木はじめは小学校低学年くらいの背丈だった。

 なぜか屋内で傘をさしている。幼稚園の子が欲しがるような、カエルの顔になった傘だった。その緑色の傘と、同じキャラクターの長靴をはいていた。足音がおかしかったのはこのせいだ。

「あっ、誰かいる」

 はじめは傘を高く上げて、不思議そうに一爽を見た。

「こんにちは。傘さしてるんだ?」

 ここ屋内だけど、というニュアンスを込めて言うと、はじめは大真面目な顔で言った。

「うん。だって、ここ、昨日雨が降ったんだもん」

 この傘と長靴はたぶん、さっきの催事場でみつけたのだろう。かなり気に入っているようだ。

「はじめくん、誰? 誰がいるの?」

 鋭い声がした。はじめの後を追ってあわててやってきたのは、やはり優吾だった。二つ折りの財布を手にしている。

「一爽……」

 優吾は当惑の顔をしたあと、両手を膝に置き、床に向かって、はああっと大きなため息をついた。安堵の息だ。

「ああ、お互い、無事みたいだな」

 一爽はばつの悪い気持ちで苦笑いした。一爽と虹太が地下の訓練場を脱出したとき、あそこは理央のガウスガンでめちゃめちゃにされていた。たぶん、あの残骸を見て心配してくれていたのだろう。

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