第三章   孤独な少年たち1

 朝九時、一爽は類の家を出発し、島内唯一の病院へ向かっていた。

 島の外周道路に出て、あとは道路にそって右手に海をながめながら歩いていく。島をぐるりと囲む外周道路は、ジョギングやサイクリングのできる遊歩道になっていて、一周で六キロほどある。その四分の一周分を南をめざして歩かなくてはならない。

 津波の警報が出ているなどという作り話が滑稽に感じるくらい、海は凪いでいた。道路にも、テトラポットが並ぶ波打ち際にも人の姿はない。

 一爽の持ち物は小さな斜め掛けのバッグひとつだけ。類に支給されたものだ。中身は水のペットボトルと、財布。ひときわ重たいのは、理央に貸してもらった大口径の拳銃だった。

 晩春の日差しは、もう初夏かと思うほど熱を持っていた。海からの風は、爽やかさと潮風独特の生臭さをはらんで一爽を包んだ。

 右手に海。右手の奥には研究棟の複合ビルと、学生寮が見えた。島の中心部にそびえたつのは閉鎖されている展望台だ。

 道のカーブに沿って回りこんでいくと、病院があった。白い三階建ての建物だ。左手は駐車場になっている。車が数台止めてあるものの、やはり人影は見えなかった。

 玄関前の車寄せを通り抜けた。建物の脇には救急外来用の出入口もあったが、一爽は、正面玄関へ向かった。

 正面入り口の自動ドアは、電源が切れていたが、人ひとりが通り抜けられるくらいの隙間があいていた。停止した後、誰かがこじ開けて通り抜けたのかもしれなかった。

(宇津木はじめが、病院から逃亡したのだろうか)

 照明の消えた館内をのぞきこんだ。しんと静まりかえっている。ロビーに並んだ長椅子にも、受付、会計、などのプレートが掲げられたカウンターの中にも、人影はなかった。

(やっぱり医療スタッフはいないな)

 玄関を入って、一階をぐるりとみまわす。「薬局」の札をみつけると一爽は走りだした。

 待合室を横切り、片手をついて投薬カウンターを乗りこえた。

 調剤室の扉は閉っている。

 一爽は勢いをつけて体当たりをし、力ずくで扉を破ろうとしたが、反動ではじかれ床に転がった。

 仕方なく理央から借りてきた拳銃を出した。教わった通りに、セーフティを解除して、ゆっくり撃鉄を上げる。シリンダーの中には、理央が撃っていたのと同じゴム弾を装填してもらっていた。

「これは硬いものに当たると跳ねるから、跳弾に十分気を付けてね」

 理央は一爽の身を案じてくれた。

「いざとなったら、これも撃てるからね」

 と、銀色に輝くフルメタルジャケットや、ライフル用の散弾(ショットシェル)まで見せてくれた。

「必要ないよ」と、笑って一爽が押し返すと、理央は真面目な顔をしていった。

「私は誰かと殺しあえって言ってるんじゃないんだよ。戦う覚悟がないままでいると相手に見抜かれるよ、って言ってるの。昨日の類が、遥馬に相手にされなかったようにね。類は最初から不戦の方針を貫いているからいいんだけど、一爽くんが監視者の子と対等にわたりあいたいなら、自分もなにかを犠牲にする覚悟をしてきてるって、ちゃんと見せられるほうがいいよ」

 なめられないで済むからね、と念を押されて、しぶしぶ凶器の数々をリュックに忍ばせている。

 なにかを犠牲にする覚悟、それが彼らと対等に話し合うための最低限のたしなみなのだと、理央は主張している。では、なにを犠牲にすれば、安心や平和を買えるのだろう。類の言う「自立した自由な生活」が手に入るだろう。

 金か、命か、それとも――家族の命、とか?

 一爽はまたぐるぐると考えてわからなくなる。どうして自分たちは、そのうちのどれかを、無理矢理あきらめさせられようとしているのだろう。プラチナベビーズも、監視者の子供たちも。

 両腕をまっすぐ伸ばして構え、扉の錠の部分に向かって引き金をひいた。発射した瞬間、反動でふたたびカウンター内の狭い床に尻もちをついた

 立ち上がって確認すると、まっすぐ撃てはしなかったが、扉の鍵はなんとか壊せたようだ。扉から金属の金具が取れかけている。一爽は扉を開けて調剤室へ進んだ。

 壁の両側がぎっしりと薬品の棚になっていた。天井近くまで透明なひきだしが並ぶ。中には薬が入っていて、名前の小さなラベルが貼ってあった。足元には、ラベル印刷機と粉薬の分包機。奥にあるのは冷蔵庫と麻薬用の鍵つきロッカーのようだ。

 一爽は薬棚のラベルを読んでいく。しかし、「リガレスト」の綴りを発見することはできなかった。

 冷蔵庫を開け、麻薬用の金庫も破壊して開けてみたがみつからない。

 しばらく呆然と立ちすくんでいたが、すぐに考えなおした。

 一般患者用に用意されている薬ではないのだ。おそらく別の場所に保管されているのだろう。

(小児病棟に行ってみよう)

 そこには宇津木はじめの病室もあるはすだった。

 待合室へ戻り、廊下の柱に貼られたの案内板の前に立つ。小児病棟は三階だ。一爽は階段を上がっていった。

 二階の踊り場まで駆けあがり、くるりと半回転する。カーブを曲がって、上を見上げた一爽は、そこでぴたりと停止した。

 階段には細く液体が流れ落ちていた。液体には赤茶色のものがマーブル状に混ざっている。血液のように見えた。

 顔をあげて、三階を見た。階段を上がりきった廊下のつきあたりに、医療品を運ぶためのステンレスのワゴンが止まっていた。小学校の頃、給食を運んでいたワゴンによく似た二段編成のステンレスのワゴンだった。床にはピンセットと鉗子がばらまかれている。階段までこぼれているのは消毒液のようだ。血圧計のカールコードが飛び出してぶらさがっていた。

 一爽は階段の血で汚れた部分を避けて、数段とばしで上がっていった。

 近くで見ると、ワゴンが接している壁は、壁紙がハンドル部分でえぐられて、ひだを寄せたようになっていた。ワゴンと壁の隙間は、一爽の体の幅の半分もない。ここに人がいるとは到底思えない狭さだ。そのほんのわずかな隙間から、だらりと血の気のない人の手が突き出ていた。

 ひゅっ、と一爽の喉が声にならない声をあげた。悲鳴をあげないように、口を手で覆った。なんとか平常心を保とうとする。異様な光景を前にして、冷静さを失いたくなかった。

 おそるおそるワゴンをどけると、壁とワゴンに挟まれていた人は、どうっと床に倒れた。

 束ねた黒髪が廊下にひろがった。白衣を着ている。女性の医療スタッフらしい。運悪く階上から転がり落ちてきたワゴンに挟まれ、胸の部分を直撃されたのだろう。肋骨のあるべき場所は、ワゴンの棚の形そのままにべっこりとへこんでいた。

 一爽は念のため手首に触れたが、脈どころか、すでに冷たく硬直していた。

(死んでる……)

 一爽は、唐突に刑事ドラマの一節を思いだした。

『死後硬直の具合からすると、亡くなったのは六時間以上前のようです』

 鑑識係が捜査員に言う台詞だ。あれ、それは検視官だったっけ? 現実逃避するように、わざとそんなことを考えた。

『避難時、病院ではパニックが起こったようだ』

 昨日の遥馬の言葉を思いだした。

 きっかけは避難指示の津波アラートだろうか。緊急対応もしている病院のスタッフが、そんなことで動揺するだろうか。

(いや、昨日の午後、この島では少なくともふたつの轟音が起きた)

 ガウスガンの発射だ。ひとつは、一爽を助けに来た理央が地下の訓練場の扉を破壊するときに撃ったもの。もうひとつは、遥馬に連れられた澄人がトゥエルブファクトリーズの管理官たちを脅すために、研究棟のビルの一部をふっとばしたもの。

 前者は地下の防音設備内での出来事だが、後者は、高い位置から上空へ高エネルギーが放たれている。きっと想像以上の音と衝撃がこの病院を襲ったのだろう。

 ガウスガン発射によるビルの爆破。その音と衝撃による一般人の恐慌状態。それがここで起きたのかもしれない。パニックになった患者やスタッフが病院内で逃げまどったあげく、こんな悲劇が起きてしまったのか。

 ワゴンと壁の隙間から、身分証がぽとりと落ちた。笑顔の顔写真が付いている

 ドクター 中島 文香

 小児科(PB)担当

 PBの文字の上で一爽の目がとまった。PBとはプラチナベビーズの略称ではないだろうか。そして身分証の右端に印字された社章は丸に十字の照準をデザインしたものだ。

(彼女はトゥエルブファクトリーズの職員だ)

 この女医はおそらく院内担当の監視者だったのだ。

 一爽は、ワゴンを離れ三階の廊下を歩きだした。

 ほかにも犠牲者はいるかもしれない。事故に遭いながら、まだ生きている人がいるかもしれない。そして、宇津木はじめが無事かどうか確かめなければ。

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