第二章   絶対の平和主義者7

   ※   ※   ※


「おはよー」

 一爽はあくびをしながら、だらしなく語尾を伸ばした。

 ベッドの下段をのぞきこむが、すでに類の姿はない。

「置いていかれたか」

 爆発した頭をがしがし掻いた。枕が変わっても、寝ぐせは変わらないものらしい。

 眠くて少し頭がぼうっとする。昨日は激動の一日だったうえ、慣れない場所での生活で、自分でも意識しないうちにひどく疲れていたのだろう。

 のそのそとベッドの梯子を下りた。類から支給してもらった歯ブラシと、髭剃りとタオルを持ってエレベーターに向かう。

 エレベーターからおりると、パンの焼ける香ばしい匂いがしてきた。

「おはよう」

 エレベーターの音をききつけたのか、ダイニングから理央の声が響いてきた。昨夜とはうってかわった明るい声だ。

 ダイニングをのぞくと、理央だけでなく類と澪も、すでにテーブルについて朝食をとっていた。

「ごめんね。先に食べてる」

 理央があわてて謝ってきた。

 そのとなりで澪はもくもくとバターロールを食べている。ふたりとももう着替えて身支度を終えていた。

「ちょっと、俺だけおいてけぼりか? 起こせよー」

 優雅にバターナイフを使う類に、口をとがらせて文句を言った。

「何度も起こしたんだよ。でも一爽、爆睡だったから」

「まじか」

 笑いながら理央が立ちあがり、まえかがみになった。さらりと長い髪がひと筋、前に垂れる。

 大きなポットから、空のティーカップに紅茶を注いでくれているところだった。テーブルにはちゃんと四人分の食器が用意されていた。

「一爽くんもパンでいい?」

 理央が、一爽の席の前にティーカップを置いて立ちあがった。

「僕がやるよ」

 類が、テーブルを離れてキッチンへ向かった。慣れた様子で、木製のブレッドケースのシャッターを開けて、バターロールとブリオッシュの袋を取り出すと、トースター兼用のオーブンに並べている。

「早く着替えてこいよ。お前の分温めておくから」

「お、おう」

 悪いな、と言うとあわてて洗面台に向かう。

 澪は相変わらずマイペースにバターロールを食べている。

 まるで家族のようだ、と一爽は思った。

 理央の入れる紅茶の湯気が、ふんわりと食卓の上に広がって、テーブルの上を温めているようだった。

 こんな共同生活もいいと思う。

 非常事態でさえなかったら。

 一爽は、ほどけかけていた気持ちを引き締めた。洗面台に向かい、鏡の前で一度気合を入れるように頬を叩く。蛇口をひねって湯を出した。


   ※   ※   ※


 朝食後、片付けを終えて、再び地下の書斎に行こうとする類をつかまえた。

「類、正直に教えてほしい。俺らがこれからどうするのかを。昨日、遥馬に要求されてた金、君のお父さんは用意できるのか?」

 類はリビングをみまわした。

 理央はリビングのソファに座り、テレビで朝の報道番組を見ている。そのとなりで澪は自分のタブレットをいじっていた。

「ここで話していいのか?」

 一爽はうなずいた。理央も知ってたほうがいいし、澪には、おそらくどこにいてもきかれてしまうだろうと思った。

 類は、ダイニングテーブルに戻って一爽と向かいあった。

 表情は暗かった。

「一応、父には伝えてある。金額的に用意することは可能だと思う。でもかなり厳しい。父は擁護団体の設立と、この実験のために私財のほとんどを投入してしまったからね。借入は必要になるんだろうけど……」

 でも、これじゃ根本的な解決にならない、と首を振った。

「そのお金を払ったら、プラチナベビーズを脅せば、いくらでも擁護団体から搾り取れるという前例ができてしまう。僕たちは莫大な金を払って、安全を買い続けなければならなくなる。そこが問題だ」

 一度脅かされて金を払えば、そのあとはいいカモにされる、と類は案じている。

「いっときはハッピーエンドになるかもしれない。今この島にいる監視者の子たちはお金を得て、監視者をやめ、本土で幸せに暮らすかもしれない。でも、次にはまた違う子どもが契約金欲しさにやってくる。僕らは、彼らに自由な生活を脅かされ、そのたびに大金を請求されるだろう。僕らの親の資金だって底をつくし、老いていく。僕らは人として自立して生きていく方法を失ったままだ」

 しかし昨日のように倫理に訴えて、遥馬は聞く耳を持ってくれるだろうか。

 遥馬の冷たい視線が思い出される。自分たちの判断基準は金だ、と昨夜はっきり言っていた。だから、類も交渉にいきづまりを感じている。

「類にきいてほしいことがある。俺、地下の監視者本部に拘束されてたときに、元監視者だった芝虹太っていう奴と仲良くなったんだ」

「元監視者?」

 類が首をひねる。

 理央がソファから口をはさんだ。

「そうそう。シギント隊だったけどクビになった、って言ってたんだよね」

「虹太は、好奇心の強いハッカーで、監視者の内部情報を勝手に閲覧してたんだ。だから、あいつには監視者側の知識がめちゃめちゃある」

 類の顔いろが変わった。虹太をこちらに引きこめないかと考えているのかもしれない。

「彼は今どこに?」

「昨夜は中等部に潜んでるって話してたけど、今はわからない。ひとりでこの島を脱出しようとしている」

 類は少し失望したようだったが、次のひとことに目の色を変えた。

「で、その虹太が俺にヒントをくれたんだ。この島には、監視者と取引できる重要なアイテムがふたつあるって」

 一爽は、『春待のタブレット』と『リガレスト』の話をした。

「それで、俺、考えたんだけど、俺が病院に行って、この『リガレスト』っていう薬を探してこようと思う。そのあと、ショッピングセンター周辺で真尋とはじめを探す。うまくいけば、残りふたりのプラチナベビーズを保護して、例のアイテムを入手できると思うんだ」

 一爽は勢いこんで言った。

 事態を打開するために、今自分にできることは全てやる。

「真尋がおとなしく投降すれば、監視者側も暴力的な制圧をしなくていいはずだ。それでも交渉が難しければ、『春待のタブレット』と『リガレスト』を金の代わりに、譲歩の代償にすればいいと思う。監視者にとってはどちらも入手しておきたい大切なものだろう」

 類は、一爽の話を聞きながら、タブレットでメモをとっていた。

 やがて、不思議そうな顔で一爽をみつめる。

「芝虹太はどうして僕たちプラチナベビーズに、こんな情報をくれるんだろう?」

「俺と優吾を和解させたいって言ってた」

 リビングのソファで聞いていた理央が、急に笑いだした。

「もうー、芝くんは素直じゃないんだよ。ほんとは葉月くんと永友くんに混ぜてほしいくせにさ」

「え、そうなの?」

「違うの?」

 驚いた一爽が尋ねると、理央は、とっくにわかってると思ってた、と言いたげな顔で見返した。

「だって、あいつは、俺が誘ったときだって一匹狼が性に合ってるって言って、断ったし……」

「誰もが葉月くんみたいに素直なわけじゃないんだよ」

 理央はソファの背から顔を半分のぞかせて、面白そうに言う。

「この問題が解決したらさ、芝くんともっと仲良くしてみれば?」

 この問題が解決したら……その言葉に、一爽は現実に戻された。

 そのためにも、まずこれから先のことを考えなければならない。

「類、俺、今回のことは真尋が逃亡してることが問題なんだと思ってた。真尋が監視の中へ戻れば、また今までどおりの日常に戻る。閉鎖的な学園生活の中で、俺たちの行動観察実験が続けられるってってことなんだろ? でも、その実験のゴールはどこにあるんだ。類が言うように、俺たちが自立して自由に生きられるようになるのは、いつなんだ?」

 一爽はそこがずっと引っかかっていた。

 一爽の行動を一年以上にわたって、報告し続けてきた優吾は、「普通の平凡な高校生の生活だった」と言っていた。シギント隊の虹太だって「しょーもない日常だった」と証言した。それでも実験は続けられ、一爽の監視体制に変化はなかった。

「なあ、類、擁護団体が始めたこの実験、どうやったら終われるんだ? 俺たちがどうすれば人間だって認めてもらえるんだ? どうすれば人間性なんて証明できるんだ」

 類は穏やかに答えた。

「これは僕の考えだけど、それは多分、『みんなと手を取り合って平和的に物事を解決する』ことができたら、だと思う。僕らがこれからしなければならないことは『誰とも争わない』ということだけ」

「たぶん類の言ってることは正しいんだろう。でもそれじゃすごく抽象的だ。なんていうか、『何点以上は合格!』みたいな数値的な合格ラインがない」

 真尋は、この実験の出口が見えなかったから、春待とかけおち同然で逃げることにしたのではないだろうか。たとえば、高校三年間我慢したら自由になれるとか、そうわかっていたら、きっとそれまでは秘密の恋に耐えたのではないだろうか。

「ゴールの見えないマラソンをひたすらやらされてたら、途中で逃げたくもなるよ。真尋を説得できるかどうかは、そこらへんにかかってると俺は思うんだ」

 もう一度ゴールのないマラソンに戻ってくれ、そんなことを言って真尋は納得するだろうか。一爽は不安だった。

 類は顎に手を当てて考えこんだ。

「君が真尋を探しに行ってくれるのは嬉しい。でも、君が外を出歩いていて、ふたたび監視者側に拘束されるリスクもある。真尋が考えてるという青鬼計画は、もともと僕が考えていて真尋に伝えたものだ。僕の責任もある。理央か僕か、誰か別の人間が行ったほうがいいかもしれないね」

 類の言葉にはゆるぎない責任感があった。そして、下肢が不自由とはいえ、自分には能力があるという自負心も感じられた。

「いや、ここは俺に行かせてほしいんだ」

 一爽にも真尋を説得できる自信はない。しかし――。

「昨日、遥馬が『宇津木はじめと面識のある監視者を、病院へ確認に向かわせている』って言ってた」

 この島の病院は小規模なものだった。海浜学園の生徒と職員への、一次医療の提供が本来の目的だったからだ。学校の『かかりつけ病院』として機能してきた。高度医療には対応していない。だから撃たれて大ケガをしたという春待も本土に運ばれている。

 一部の例外は、理央や澄人だ。トゥエルブファクトリーズが、利用価値があると判断して、特殊な研究材料にした患者。そして、宇津木はじめのような、看護を必要とするプラチナベビーズだ。

 宇津木はじめは、長期間病院にいて外出していないというから、彼に面識のある監視者はおそらくかなり絞られる。

 まず一人目の候補は、長期間入院していたことのある澄人。プロトタイプ01の事故のときだ。しかし澄人は、昨夜の時点で遥馬の後ろに立っていた。もうひとりは――。

 一爽は声をうわずらせた。

「優吾が、ときどき病院に行ってたんだ」

「優吾?」

「永友優吾。俺の親友で、監視者だった。今も監視者側についてる。優吾が、小児病棟の院内学級でボランティアをしてるって言ってた。派遣されてきた先生の手伝いをして、プリントの丸つけしたり、絵本を読んだりしてるんだって。入院してる子と接してると、自分の弟みたいな気がするって……」

 ひょっとしたら、ほかにも候補はいるかもしれない。しかし、自分が遥馬なら、はじめの保護に向かわせるのに優吾は適任だと考えるだろう。小児病棟の内部に詳しく、年下の子の扱いに慣れていて、しかも裏切る心配がない。

「たぶん、病院に向かえば優吾に会えるんじゃないかと思うんだ。優吾ははじめを連れているかもしれないし、そこにはどういうことかわからないけど、真尋も一緒にいるかもしれない」

 昨夜、その可能性を虹太と話しあった。

「だから俺を行かせてくれ。優吾とはじめと真尋、全員をみつけてなんとかしたいんだ!」

 ぽかんとなっている類に、一爽はあわててフォローするように付け加えた。

「類、俺はけっして類に反抗してるわけじゃないんだ。むしろ、類の考えに全面的に賛成なんだ。誰も傷つけたり、死なせたりせずに、平和に終わりたい。そのために必要なことを俺なりにやろうとしてるんだよ」

 気圧されたような顔をしていた類は、何度かうなずいて微笑んだ。

「わかった。なんていうか一爽にはそういう力があると思うよ」

「そういう力って?」

 一爽が類にききかえすと、

「ポジティブ。無邪気。みんな幸せになればいい、とかいう単純さ」

 澪がぼそっと口をはさんだ。

 バカにしてんのか、と思わず気色ばんだとき、

「そっか、それって私と一緒だよね。そういう考え、私好きだなあ」

 理央が大人びた笑顔でうっとりと言った。

 その横顔を目にした一爽は、頬に火がついたような熱を感じたまま言葉を失っていた。

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