第三章   孤独な少年たち10

 一爽は視線で澄人を探した。今は本部と通信して指示を仰いでいるようだ。澄人の声が響いてきた。

「では、青木と向井の二名は本小隊を離脱し、永友優吾の遺体と弥生真尋の身柄を本部に送り届けます。残りの四名が、今から宇津木はじめの制圧に向かいます」

(そんなの、だめだ)

 カエルの傘を差したひとりぼっちの少年。

 さそり座の赤い星のように燃え尽きようとしているはぐれ星。

 はじめは、殺意を持って優吾を殺したのだろうか。

(そんなはずはない、これは事故だ)

 はじめはまだ自分の能力をうまく使いこなせない。自分の境遇を受け止めきれてもいない。まわりに支えてくれる人もいない。これで、幼い彼に責任があるというのはあんまりではないか。

 なにより、優吾がそれを望んでいないだろう、と一爽は思っていた。

 優吾は、ミナトタウンではじめにアイスを買い与え、優しくなだめ、辛抱強く接していた。はじめの精神的な成長には、そういうワガママを言える時間が必要なのだと、きっと優吾は知っていた。時間をかけて他者との信頼関係を築いていく過程が必要なのだと、優吾にはわかっていたのだ。

 はじめが人間的に成熟すれば、周囲への思いやりも持てるようになるだろう。気持ちをコントロールすることも、能力を上手に使うことも、きっとできるようになるだろう。それこそ、優吾が目指していた共存の未来だったはずだ。

 こんなふうに考える自分はやっぱり甘いんだろうな、と一爽は苦い気持ちで考えた。優吾を死なせた今でさえ、そんなふうに甘っちょろく考える。やっぱり頭の悪いお人よしなのかもしれないな、とひっそり自嘲した。

 澄人がタブレットを確認している。熱センサーを見て、はじめの居場所を掴もうとしているようだ。またどこかに連絡をとっている。やがて、仲間を集めて報告を始めた。

「宇津木はじめは、先行の狩野隊が目視で補足。外周の遊歩道北側。遊具広場の周辺だ。現在、熱波のため半径二十メートル内に接近できない。水渓班はこのあと、遊歩道の池前ベンチにて待機する」

 澄人が黒い煙のあがっている北の方角を指さす。武装隊の四人が一斉に走り始めた。反射的に、一爽も彼らのあとを追って走り出した。走りながらタブレットに話した。

「類、一度通話を切らせてくれ、俺は澄人を足止めしてみる」

『頼んだ。でも通話は切るな。このまま音声をつないでポケットに入れておいてくれ』

「わかった」

 スピーカー通話をオンにして胸のポケットにしまった。急いで澄人を追う。

「澄人、待ってくれ、ちょっとだけ俺の話をきいてくれ」

 外周道路の北側まで抜ける経路を駆けながら怒鳴った。

「無理です」

 そう言いながらも、澄人は足をとめた。武装隊の残りの三人に先へ行くように手で示し、一爽のほうを振り向いた。

「危ないので、葉月さんは避難していてください。さっきみたいな爆発や火災が起こります。早く止めないと、この島が危険なんです」

「この島が?」

「この島のバラストタンクにたまっている大量の海水。それがさっきの雨水貯水槽みたいに爆発したら、さっきよりもずっと大規模な爆発になりますし、この島自体が傾く可能性もあります」

 澄人は深刻な表情で言う。興奮しているのか頬が上気している。

「バラストタンクって、なに?」

「ここは便宜上、島って呼んでますけど、実際は巨大浮島(メガフロート)なんです。大型客船なんかと同じように、船体を安定させるために大量の海水を重しとして地下に入れている。それがバラストタンクです」

 説明についていけず、呆然となった一爽に、澄人はもどかしそうに怒鳴った。

「ああ、もう、わかんないならいいです。僕たちは宇津木はじめを制圧します。葉月さん、永友さんの仇は僕が取りますから、引っこんでてください」

 胸にあるタブレットで類の声がする。メガフロートについて一爽に説明してくれているようだが、一爽の耳には入らなかった。

「君は、その銃ではじめくんを撃つのか?」

 澄人は自分の右肩に担いでいた銃をみつめた。ガウスガンだ。

「そうです。そのために僕が派遣されてきてるんですよ。熱波のせいで、はじめに近づくことはできない。遠距離から撃つしかありません。この島では遠距離射撃ができる狙撃用ライフルや大型ランチャー、迫撃砲の使用が禁止されています。弾が本土まで届いてしまうからです。だからみんな射程距離の短いハンドガンしか装備できない。でも、ガウスガンは、その協定を結んだときにまだ誕生していない銃でしたから。規制の範囲外なんですよ」

 ここでは無敵のチートアイテムということらしい。

「はじめのところへ俺も連れて行ってほしい。いきなり撃たずに、まず俺に説得させてくれないか」

「あなたでは無理です。彼に近づけるのは僕だけですよ。この体だから」

 強化モジュールの手を、きゅっと握って見せた。

「もうこれ以上、邪魔をしないでもらえますか。僕ら、やっと契約金を手にできそうなんです」

 澄人が上目遣いに一爽を見た。白目が真っ赤に充血して、熱っぽい顔をしている。

 やっと一爽は悟った。

 澄人はすでに体調を崩しているのだ。今までそれを隠しながら活動していた。武装隊の仲間から活躍を期待されているから、そんなことは言い出せなかったのだろう。

『一爽、この場で水渓澄人と交渉するんだ。澄人には薬が必要なはずだろう? 君が持っている薬と引き換えに、はじめを撃たないと約束させるんだ』

 タブレットの向こうで、類が叫んでいる。

「お前、さっきからフラフラしてるし、気持ち悪いんだろ?」

「平気です」

「今まで飲んでた薬が、今日は効かないんだろ? お前さ、本当は今、熱もあるよな」

 近づいて額に触れようとした一爽の手を、澄人は乱暴に振り払った。

「やめてくださいっ」

「それ、十中八九、薬剤耐性菌の感染症だぞ。その強化モジュールを使ってる代償なんだろう?」

 本人もうすうす感づいてはいたのだろう。澄人の顔に一気に焦りが広がる。

「……だったら、なおさら僕には時間がないんだ」

「いや、ある。米国の疾病センターからこの島の病院へ、薬剤耐性菌による感染症の特効薬『リガレスト』が届いている。研究者たちは知らない。でも小児科の医師たちは、君の健康を心配していた。事前に手を打ってくれていたんだ」

 澄人は、驚いた顔で一爽を見た。

「で、その薬を、今、俺が持ってる。薬剤耐性菌っていうのは、『人体を食べる殺人菌』って呼ばれてるんだろ? これを飲まないと、お前は数時間で瀕死状態になるぞ」

 黙っている澄人に、一爽はさとすように優しく言った。

「病気なのに悪いが、今回は取引させてくれ。お前はこれを飲んで数日間休養を取る。はじめの制圧はそれまで待ってくれ。俺たちプラチナベビーズの仲間には、バリアを作れる類がいる。なんとかして、これ以上島内で犠牲者が出ないように収める。お互いにこれで納得しないか」

 うつむいた澄人は、ふっ、ふっ、と笑い始めた。

「はじめと僕、ふたつの命を天秤にかけて取引しようなんて……無理ですよ。僕の命にはもともとそんな価値なんてないんですから」

 ひらきなおったように笑いながら一爽を見た。

「僕のせいではじめの制圧ができなくなってしまったら、契約金が手に入らなくなって、監視者のみんなに迷惑をかけます。そんなことはできません。足手まといになって、みんなを不幸にしたくない。僕は、仲間に嫌われてまで生きていたくなんてないんだ!」

 澄人はかんしゃくを起こしたように叫んだ。肩が上下している。呼吸が苦しそうだ。

「僕は両親にも、国にも見捨てられた存在なんですよ。どこかの廃屋で誰にも知られず餓死するはずだった。事件にもならず、骨も残らずに消えるはずだった。ここで仲間に惜しまれて死ねるなら、そっちのほうが全然幸せなんですよ!」

「……澄人」

「スミトって名前だって、ここでつけてもらったんです。それまでは、アレとかソレとか呼ばれてたから。ここには仲間がいる。居場所がある。それを失うくらいなら、僕は死んだほうがましだ」

 澄人の充血した目から、血のような涙がひとすじ流れた。こらえきれない吐き気に、一度地面に向かってえづき、顔をあげて一爽をにらんだ。

「だから、僕は、宇津木はじめを撃つんです」

 一爽は腹からこみあげてくる怒りを持てあましていた。

 自分が不幸だったら、誰かを傷つけてもいいのか。

 自分が貧乏だったら、他人から奪ってもいいのか。

 そうやって自分たちだけが助かれば、それでいいのか。

 お前たち監視者は、そろいもそろって金の亡者だ。

 そう心のままに罵ることができたらどんなに楽だっただろう。

 一爽は胸を抑えた。怒りと憐憫が混ざりあって苦しい。

(なにもうまくいかない。どうしてこんなくそったれの世の中なんだ)

 澄人を冷酷な守銭奴だと思いたいのに、どうしても痛々しく思えてしまう。

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