第二章 絶対の平和主義者1
類の自宅は、島の東側の高台にあった。重箱を少しずらして重ねたような現代的なデザインの建物だった。白い外壁と大きなガラス窓が、夕闇に浮かび上がって見えた。
理央がポーチから鍵を出して、大きな門扉を開けた。ふたりで玄関までのゆるやかなスロープを上がる。玄関の扉は両側が大きく開くように作られていた。
玄関の鍵も理央が開け、ふたりが大理石の玄関に踏み込むと、廊下にはすでに車椅子の青年がいた。ここでふたりの帰りを待っていたようだ。
一爽は青年をみつめた。貴族的な感じのする白皙で、ゆるく波打つ長めの髪を横に分けている。両脚を少し開いて、フットレストに乗せていた。
「ただいまー。ちゃんと葉月くんを連れて来たよ」
「おかえり。遅いから心配してたんだ」
理央は得意げに胸を張ると、ガウスガンを無造作に壁に立てかけた。
類が、車椅子のハンドリムを転がしてこちらに近づいてきた。一爽に微笑みかける。
「はじめまして。僕は吉住類です」
類は、一爽と同じ海浜学園のベージュのブレザーを着ていた。ズボンは一爽の穿いているものとは、微妙に仕様が違うように見えた。脱ぎ着しやすいよう改造しているのかもしれない。
「どうも、あの、葉月一爽です。呼び方はイッソウでいいです」
落ち着かなくあたりをみまわしながら、一爽はぺこっと頭を下げた。
広い玄関のひとすみには、もう一台車椅子が置いてあった。青い座面が室内のほうを向いて置かれている。類が今座っているのが室内用、こちらが室外用なのだろうと一爽は思った。
「じゃあ、これからは一爽って呼ぼう。突然こんなことになってびっくりしてるよね。とりあえずあがって。なにか食べようか。お腹すいてない?」
類は育ちの良さそうなふんわりした口調で、親しげに微笑んだ。
「バウムクーヘンとザラメせんべい!」
となりにいる理央が、元気に返事をした。
「ほら、葉月くんも靴脱いで。あがってー」
理央はまるで自分の家のように、さっさとシュークローゼットの扉をあけて、スリッパを並べる。あがりかまちに腰かけると、ジーッと音をさせて、ブーツのジッパーをおろした。
「お、お邪魔します」
一爽は革靴を脱いで、ぎこちなくそろえた。
「ふたりとも無事でよかった。まだ、それほど状況は悪くなっていないってことかな」
類は慣れた手つきでハンドリムを片方だけ回し、くるりと半回転させて、廊下に奥に進んでいく。リビングへ案内してくれるようだ。
ふいに、機械の作動音がした。一爽が目をやると、廊下にある扉が開いたところだった。すぐ脇の壁に見覚えのある三角のスイッチがついている。よく見るとそれは部屋ではなくエレベーターの入り口なのだった。
「おかえり」
扉が開き、制服姿の少女がひとり降りてきた。背が低く、髪は丸く切りそろえたショートボブ。一爽は、はっとした。彼女には見覚えがある。
夢で会ったときと違っているのは、両耳にあたる部分に目立つデバイスを装着していることだった。アンテナのようなものがついた金属質の装置だ。髪の中からつきだしている様子は、妖精の触覚のようだった。
少女は、廊下に出てきたとたん、類の車椅子の背に隠れるように小さくなった。
「あ、ええと……君は、ミオ?」
「……空田澪」
虹太の推測のとおりだった。夢に出てきたのは、プラチナベビーズのひとり、空田澪だった。
「澪ちゃん、こっちが葉月くんだよ」
理央が明るい声で澪に紹介した。澪は類の背後から、警戒心をあらわに審査するような目でじっと一爽を見ていたが、やがてぼそっと言った。
「……口軽男」
「え」
「口止めしたのに」
一爽をにらみつけてくる。
「あー、夢のこと、虹太に話したから怒ってる?」
一爽が頭に手をやると、澪はこっくりとうなずいた。
「監視者の子に余計な事教えて。理央ちゃんを危険にさらしたかもしれないでしょ」
「ごめんごめん。でも虹太は俺に監視者側の情報をくれたし。たぶん、あいつはいい奴なんだよ」
あわてて説明を試みるが、澪はまだ納得していない顔で一爽をみつめている。
類が苦笑した。
「澪はすごく人見知りなんだ」
「私は――」
澪は抗議するように口を開いたが、類の顔を見ると黙りこんだ。
「理央、悪いけど、澪と一緒にお茶の準備しておいてもらえる? 僕は一爽に地下を案内するよ」
類は廊下を進んでいった。一爽もあわてて後にしたがった。
類にくっついていた澪が、今度は理央のほうに寄り添った。
理央は、背中に澪をくっつけたまま奥へ歩いていき、エレベーターの扉を開けてくれた。
エレベーターの外側の扉はアコーディオン状の手動扉になっていた。中の箱は車椅子一台とひとりが乗るといっぱいになった。類が慣れた様子で低い位置にあるパネルを操作する。エレベーターは下へ向かった。
「ここは僕らのシェルターだ。いざというときのために、生活用品は一式そろってる」
「地下に部屋があるのか」
「うん。基地みたいで楽しいだろ」
類は軽い口調で言い、やがて少し心配そうに話し出した。
「澪を、あまり悪く思わないでほしい。研究者たちは、彼女の能力を『思念伝達』と呼んでいたけど、あの子は小さな頃から能力のコントロールがうまくいってないんだ。能力の影響で、すぐ頭痛や体調不良を起こしてしまう。今はあの耳につけたデバイスで能力のレンジを狭めて、なんとか生活しているけど。彼女――基本的に人が怖いみたいなんだ。僕と理央には懐いてくれたけどね。そのうち君にも慣れると思うよ」
一爽を気遣うように微笑んだ。
「あの子、今朝、俺の夢の中に出てきてしゃべったんだ、俺の夢なのにさ、自分が言いたいことしゃべったんだ。人の心に直接話しかけられるってことか?」
類はうなずいた。
「できるよ。だから君にメッセージを伝えてもらった。ひょっとすると、あの子は伝言だけじゃなくて、もっと積極的に人の心を操ることもできるのかもしれない。でも、澪はそういうことをしたくないんだと思う。人の心に土足で踏み込むような真似を、あの子自身があまりしたくないんじゃないかな」
一爽はうなずいた。たしかに夢の中の澪は、一爽に「お願い」した。私の言うことをきいて、と。従うかどうかは一爽にまかせたのだった。
エレベーターが停止した。類が手動の扉をひらくと、廊下に三つの扉が見えた。廊下は圧迫感を感じさせないためにか、天井も全てオフホワイトで統一されていた。
「一爽、今の島の状況はわかってる?」
「ええと、監視者のリーダーだった春待って人が、プラチナベビーズの女の子を逃がして……その子を探すために島が封鎖されて。その子がみつかるまでの間、俺が拘束されそうになって……でも、理央が解放しに来てくれて」
一爽は指を折り、順番に事実を整理していく。
「うん。逃走中のプラチナベビーズ弥生真尋が見つかって、平和的に解決し、今まで通りの監視実験が再開されるまでのあいだ、僕らはここで共同生活をしようと思ってるんだけど、同意してもらえるかな」
類はあくまで丁寧に一爽の意思を確認してくれる。
一爽に他の選択肢はない。島外には出られない。寮には戻れない。監視者につかまっているのも危険……そうなれば、理央や類を頼るよりほかに道がないのだ。
「同意もなにも、俺もそのつもりで理央さんについてきたんで」
一爽がぼそぼそと言うと、類は目を細めた。ホッとした顔だ。
「よかった! いや、本当のこと言うと一爽のことが一番心配だったんだ。事前になんにも知らされてないし、急にわけのわからない状況におかれて、心がパンクしちゃうんじゃないかって」
少し涙ぐんでいるように見えた。会ったこともない自分のことを、類がそこまで心配してくれていたことが、一爽には意外だった。
類は再び廊下を進みだした。
「一番右を僕らの部屋にしようと思うんだけど、僕と同室でいいかな? ちなみに地上一階のゲストルームを女の子たちの部屋として提供しているんだ」
「いいよ。俺らは同室のほうが都合がいいだろ」
一爽は気やすく答えながら、類は日常生活を行う上で自分の手助けを必要とするのかどうかを考えていた。
風呂は? トイレは? 介助が必要なのだろうか。
類が示した白い扉を開ける。部屋は十畳くらいの広さだろうか。窓が無いので暗かったが、類が進んでいくとセンサーでライトが灯った。
一爽は室内をみまわした。天井は高い。右側の壁に二段ベッド。反対側にはつくりつけのふたつの棚と、書き物机があった。
棚にはすでにバスタオルや旅館にあるような洗面用具、ファストファッションブランドの部屋着まで置いてある。
「服のサイズはMで大丈夫かな? 足りないものがあったら、収納庫まで案内する。お菓子やジュースもあるよ」
「すっげえ。ホテルかよ。準備万端だな」
一爽は感嘆の声をあげた。
「僕にも父さんにも、いずれこういう日が来るってわかっていたからね。監視者とプラチナベビーズが一触即発の事態になるって」
「ベッドは俺が上を使っていいんだよな」
一爽が親指で上段をさすと、類が笑い出した。
「僕に梯子のぼらせる気かよ? ああ、そう、棚も上段の三段を使ってもらえると助かる」
「わかった」
机の先に小さい冷蔵庫があった。
「スポーツドリンクかアイスティーでよかったら入ってる。一爽も、自分の家みたいに過ごしていいんだよ」
余裕が感じられる声だった。
「いや、御厚意は嬉しいんだけど、なんていうか……吉住さんは、初対面の俺をそこまで信用していいの? 自分んちで好き勝手させていいの?」
「僕のことは類でいいよ。僕は、プラチナベビーズのみんなは兄弟だと思ってるんだ。そして最年長の僕は長兄。だから弟妹を守らないとね」
その言葉をきいて、一爽は自分のタブレットを取り出した。
「じゃあ、あの、さっそくのお願いで申し訳ないんだけどさ……ここに来るとき、理央がここには監視者に傍受されない保護回線があるって言ったんだ」
「家族に連絡したい?」
類はすぐに察してくれた。
「僕の書斎からつながるから行こうか。ご両親に、吉住類の家にいるから大丈夫だって伝えて、いつでも声をきけるって言っていいんだよ」
類は廊下に出た。書斎に行くようだ。
一爽はあとを追いながらたずねた。
「類は? 類の家族はここにはいないのか?」
さっきから圧倒される家の広さだ。今まで、ここでひとりで暮らしていたのだろうか。
「父は海外を飛び回ってるから、ここにはいない。母は小さいときに亡くなったんだ。僕は、通いのヘルパーさんと家庭教師に助けられて暮らしてた。そのふたりは、僕の監視者だったんだけどね」
先程と変わらない口調で類は言った。
あとをついてきた一爽を振り返り、心強い声で告げる。
「ご両親のもとに、無事に帰るぞ、一爽」
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