第一章   実験庭園へようこそ8

   ※   ※   ※


 一爽は理央とともに、島の歩道を歩いていた。高校の通用門を出て、島内を東へ向かって歩いていく。

 真新しいアスファルトには、ところどころ薄紅色の花水木の花が落ちている。街路樹が植えられた綺麗な街並みだが、となりを歩いている理央の姿は異様だった。ラバースーツに、太いウェストホルスター。左肩にロングバレルの銃を背負っている。

 拘束されているあいだ時間感覚がなくなっていたが、外はもう夕暮れだった。

 背中を押されるように、西日に照らされていた。振り返ると、建物の隙間から海が見えた。沈みゆく太陽からオレンジの帯をひいたように水面が輝いている。空には白い雲が散っていた。残光に照らされて、下方を赤く染め、上側には黒いふちどりをつくっている。絵画のような美しい日の入りの風景だった。

 一方、路上にこの景色を楽しむ人影はない。島内は不気味に静まり返っていた。

「あの、ちょっと……親に、連絡してみてもいいですか」

 一爽は歩き続ける理央にきりだした。せっかくタブレットが手元に戻ってきたのだ。

「きっと心配してると思うんで、無事だってことだけでも」

 理央は立ち止まった。少しの懸念を表して首を傾けた。

「うん、いいよ。でも、君のタブレットからの通話は、監視者側に傍受されてると思ってたほうがいいと思う」

「通話にも監視者の検閲が入るってことですか」

「プライベートの侵害だよねえ。でもそれが彼らの仕事だからね」

 一爽は父と母のことを思った。たぶん両親は、ずっと前から一爽がプラチナベビーズだということを知っていた。だから、この実験に参加させるしかなかったのだ。強引に一爽を説き伏せて海浜学園に入学させた。

 寮に一爽を送り届けて帰っていくとき、ふたりがやけに思いつめた様子で一爽の手を握ったことを思い出した。あのとき、自分がこんな立場に置かれていると知っていたら、今まで育ててもらった礼くらいは、ちゃんと言えていたのかもしれない。

 少し考えていた理央が、遠慮がちに言った。

「私のおすすめは、もうちょっとだけ我慢して、類の家までいってプラチナベビーズ人権擁護団体が用意してくれた衛星電話の保守回線を利用すること。そしたら、ご両親との会話の内容で、葉月くんが不利に扱われるようなことはないと思うよ」

「その回線なら、監視者は干渉できないってことなんですか?」

「うん。擁護団体側が、トゥエルブファクトリーズに内緒で用意しておいた回線らしいからね」

 一爽は少し驚いていた。擁護団体は、実験の出資者であるトゥエルブファクトリーズを完全には信用していなかったようだ。

「ここには、ほかにもそういう仕掛けがあるんですか?」

「あると思うよ。まあ、いざというときに、いいように事実をでっちあげられて、プラチナベビーズが攻撃対象にされないように、擁護団体もいろいろ知恵を絞ったんだろうね」

 理央は相変わらずのんびりとした口調で答える。

「わかりました。吉住さんの家に着いてからにします」

「うん。それがいいよ」

 理央は微笑んだ。

 ふたりは東側の高台を目指して歩いていく。ゆるやかな坂道を登りきったところで、理央は来た道を振り返った。

 一爽もつられるように後ろを見た。夕日はわずかな残照を残して消えていた。長い坂道の下方に、ところどころ街灯の灯った庭園都市ハーバーガーデンがあった。

「見て」と一爽の肩をたたき、理央は北側の建物を指さした。

 自分の通っていた海浜高校が見える。見慣れたグラウンド、明かりの消えた校舎。その横には、研究棟の五階建て三棟のビルがあった。研究棟だ。三つの建物が、上空から見てアルファベットのYの字を描くように配置されている。三階をつなぐ回廊は、一部破損してブルーシートが掛けられていた。昨日、春待が負傷したと噂されていた場所だ。

 そのうちのひとつの建物の四階あたりに、爆破されたような大きな穴があいて、内部が見えていた。コンクリートの外壁にあいた穴の周りを、ねじまがった鉄筋がふちどっている。

 よく目を凝らすと中は会議室のようだ。椅子や机らしきものが倒れ、白い紙が散乱している。建物の内臓が見えているような異様な光景だった。

 半円形の穴のかたちは、一爽には既視感があった。さっき、理央が訓練場の扉部分を撃ったときにあけた穴によく似ている。

「え……あれも、その銃でぶち抜いたんですか?」

「あれは私じゃない。澄人くんがやったんだ」

 理央が視線を鋭くしてみつめている。

 一爽は当惑した。味方の施設であの銃を撃ったということか。自分たちが地下に閉じこめられているうちに、もう戦闘が始まったのだろうか。死傷者は出たのだろうか。

「あそこで戦いがあったということですか」

「ううん。たぶん管理官たちが騒いだから、脅すために撃ったんだよ。遥馬は大人を信用していないから。管理官たちをこの島から追い出したんだ」

 理央の表情は暗かった。一爽にはよくわからなかったが、こうして歩いているうちにも、事態はどんどん動きだしているようだった。

 理央がふたたび歩き始めた。研究棟に背を向けて坂道を上がっていく。

「あのー、虹太が敬語使ってたけど、狩野さんは三年生なんですか?」

 いまさらの質問だが、一爽はあらためてたずねてみた。

 理央は歩調をゆるめずに答える。

「私のことは理央でいいよ。敬語もいらない。武装隊には弟の遥馬もいて、ややこしいからみんなには下の名前で呼ばれてたんだ。私はね、高校二年生。でも葉月くんよりひとつ年上なの」

「年上?」

「留年しちゃった」

 えへへへ、と悪びれない笑顔で答えた。

「え、と、それは、単位落としたってことですか?」

「ううん。これのせい」

 理央は右肩に担いでいる大きな銃器を指でつついた。狙撃用の大型ライフルに似た銃器だ。

「これは、トゥエルブファクトリーズ社のガウスガンのプロトタイプ02。リニア加速に成功したコイルガンなんだって。研究棟の人たちはそう言ってた。で、これの前にプロトタイプ01があったわけ。そっちはレールガンタイプで、すごいハイパワーだったけど失敗作だった。それの発射実験に参加して私も澄人くんも大怪我したの。その治療に半年間以上かかっちゃって、高校を留年したんだよね」

 今まで無邪気に輝いていた理央の表情が曇った。

 一爽はずっと疑問に思っていた事をきいてみた。

「あ、それ、さっき撃ってすぐにかついでたけど、熱くはないの? ていうか、そんな威力のあるもの撃って、君は衝撃や反動で体が飛んでいっちゃったりとかしないの?」

 理央の体形はすらりとした十代の少女のものだ。特別にがっしりしているわけでもない。しかし大口径のリボルバーも難なく片手で撃っていた。

 理央は感心したようにまんまるく目を見開いた。

「葉月くん、鋭いねえ。いくつかギミックがあるんだけど。まず私のブーツの踵には、収納式の爪が付いていて、足を固定できるんだ。あと、この手足、これは私の本来の体じゃなくて耐電、耐熱、耐衝撃のアディッションモジュールなの」

「アディッションモジュール?」

「私たちは単に、強化モジュールって呼んでるけど。取り外し可能な強化パーツってこと」

 ラバースーツに覆われているが、理央の肩と脚の付け根には、ぐるりと輪をはめたような金属の突起部分がある。そこが『強化モジュール』と理央自身の身体との接続部分なのだろうか。

「え、じゃ、本物の手足は……」

「だから、プロトタイプ01が吹っ飛ばしたんだって。もう存在しないんだよ」

 からりと理央は語る。

「そのときに、顔も大やけどしたからちょっと整形しちゃったんだよね」

 理央は、おどけるように頬っぺたを指先でつついた。

 一爽は言葉を失った。

「そ、そんな治療ってあるのか……?」

「この島だからできた治療なんだよ。私と澄人くんには、新しく培養された人体組織の移植が行われた。プラチナベビーズの弥生真尋、彼女の能力は『生体複製』って言われている。その能力を応用して、皮膚や体の一部を作り出して移植する方法をこの島の研究者はあみだした。神経伝達もできるんだって。強化モジュールもその応用でできてるらしいよ」

「そんな、他人の体にやりたい放題……」

「あの人たちにとって、私たちは実験動物みたいなもんだもん。同意書さえとれればなんでもできちゃうんでしょ」

 立ち止まった理央が、投げ捨てるように言った。

「あの人たち?」

「トゥエルブファクトリーズから派遣された管理官たち」

 理央は残照を背にして、一爽のほうを向いた。逆光で、理央の表情はよく見えなかった。

「私は自分でここに来ることを選んだから、大人たちに利用されるのも、ある意味自業自得なのかもしれない。でも澄人くんはまだ中学生なのに、こんな目に遭ってる。あの子は無戸籍児なんだ。今まで誰にも手を差し伸べてもらえなかった。ここに来るまで、幼稚園や小学校に通ったこともなかったんだよ。行政の手も、福祉も届かない場所で、ひとりぼっちで生きてた。購買のプリンが好きでね、初めて買ってあげたとき、『美味しいです』って感動して、食べながらぽろぽろ泣いたんだよ。そういう子をね、豊かな生活と引き換えに利用するのがあいつらのやり方なんだよ」

 理央は憤りを込めて語った。

 豊かな生活とは――ここでの学生生活のことだろうか。

 一爽にとっての平凡な日常は、誰かにとっての夢のように豊かな生活だったのだ。

「じゃあ、理央さんも無戸籍児だったんですか?」

 一爽の質問に理央は笑いだした

「ううん。うちはただの貧乏だよ。父親はギャンブル大大大好き。私や遥馬のお年玉だって、『倍に増やしてやるから』って奪っていくようなアホでさ。母親はお金のことでいろいろ悩んでるときに、なんか話をきいてくれる親切な人に出会って。そのうち、その人のいいなりになってヘンな宗教にはまっちゃった。信者の人たちと共同生活するって、私たちが中学生のとき家を出ていったんだ。まあ、別によくある話じゃない? 学年にひとりくらいいるよね、そういうヤバい家庭の子ってさー」

 理央はわざと他人事のように突き放して語る。

「施設に入りたいと思って役所に行ったけど、だめだった。児童養護施設は私たちより幼い子でいっぱいなんだって。私たちはまだそこまで不幸じゃないみたい。アパートで姉弟ふたりで暮らせる力があるし、母もたまには生活費を渡しに来てくれるから、完全に養育を放棄したことにはならないらしいよ」

 理央は絶望的な顔つきでうつむいた。

「でもさ、母親のくれるお金は、いっつも足りなかった。このままの生活じゃ、まともに進学もできないし。かといって両親が健康で、ある程度の収入があったら生活保護っていうのも難しいらしいし。……だから姉弟ふたりでこの島の監視者になる契約をした。ここはほんと夢みたいな生活だよ。食事の心配しないですむし、高校に通えて、お小遣いももらえる。ただ、いつか兵士として戦わなくちゃならなかったんだけどね」

 苦しげな表情をしながらも、理央はうっすらと笑う。

「監視者の役目から逃げて、私はずるいね。でも心のない兵器にはなれないや。こんな姿になってもまだそう思うんだ」

 徐々に暗くなってきた歩道の片隅で、強化モジュールの右手をみつめ、理央は自嘲した。

「理央さんは、俺と戦ったら、何千万ももらえたんですよね」

 虹太は三千万を提示されたと話していた。

 理央は笑いながら右手を振った。

「あー、それは違うよ。君はまだ能力を発現していないから」

「それじゃ、吉住類とならどうですか。彼と戦ったらお金、もらえたんですよね」

「ああ、うん。そうだよ」

 ちょっと戸惑った顔で、理央は答える。

「貧乏から抜け出せますよね」

「もちろん」

「じゃあ、なんで、今こうしてプラチナベビーズの味方になってるんですか」

 理央は一歩踏み出し、街灯の光の輪の中に入った。いつの間にか、あたりの空気は青い絵の具を溶かしたように薄暗くなっていた。

「……遥馬を守るためだよ」

 人工的な白い光の中で、理央は厳かに告げた。

「遥馬が前線で戦わなくていいようにするため。澄人くんのことも心配だけど、私が責任持たなきゃいけないのは弟の遥馬だから。あいつは赤ん坊のときからずっと、私の戦友だから」

 理央は蒼白な顔でうつむく。

「……本当はガウスガンの射手になんてなりたくなかった。危険な実験だってわかってた。でも私が怖がって断ったら、次に遥馬に話がいくってこともわかってたから」

 きっ、と顔をあげて、一爽に訴える。

「あいつらのやってることって携帯のゲームみたいなの。課金して、キャラクターを強化して、新しい武器を手に入れて、それで戦いをやって報酬を得るの。私たちは時間と手間をかけて訓練されたゲームの駒。でも、遊んでる連中はリスクを負わない」

 激昂した理央の声が、誰もいない道路に響き渡る。

「リスクをとらなきゃ成功しないって、成功した人はみんな言う。私たちもそう思ったからここへ来た。でも、命を失くしたらなにもできないでしょ。私は、手も足もあの兵器工場にくれてやった。このうえ弟の命もなんて我慢できない。そこそこの生活でいいから、笑って生きていたい。なのに……どうしてそれが、許されないんだろう」

 理央は悔しそうに肩を震わせた。下瞼のふちが、白く光って波打っていた。

「理央さん……」

 理央はむりやり口角をひきあげて笑おうとした。

 へらへら笑ういつもの自分に戻ろうと頑張っているようだ。

「私が類についていくことを決めたのは、プラチナベビーズと監視者の戦いを回避するため。お金のために戦いたい監視者をけん制しながら、プラチナベビーズのみんなを守って、直接戦わなくていいようにする、それが私の使命だと思ってるの」

 理央が顔をあげた。暗い空に笑いかける。

 それが理央の選んだ道だった。たとえ、一時的にその遥馬と敵対する立場になるとしても。

 一爽は複雑な思いでそのけなげな笑顔をみつめていた。

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