第一章 実験庭園へようこそ7
さっきペットボトルを持ってきた生徒らしき声で、わかった、という事務的な返事がきこえたあと、急に大きな悲鳴があがった。
思わず一爽は顔をしかめ、受話器を耳から離す。
スピーカーからこめかみが痛くなるようなハウリング音がして、音声が途絶えた。
一爽は虹太をふりかえった。
「向こうでなにか起きてる」
先ほどのハウリングによく似た音が、今度は訓練場まで響いてきた。キーンという高周波数の音だ。
受話器を落として一爽は両手で耳を覆った。鼓膜から入った音の振動で脳まで細かく揺れているかのようだ。
「伏せろ!」
叫ぶのと同時に、虹太はソファから蛙のように飛び降りて床にうつ伏せになった。
一爽はなにがなんだかわからないまま、両手で耳をおさえて突っ立っていた。
訓練場の金属扉が、べこ、とたわんだ。
壁とのわずかな隙間から白い光が漏れ入ってくる。
その白光が、奔流のようにあふれて訓練場を明るく照らし出した。
目がくらむ。爆発音がした。
地響きと衝撃音が収まり、一爽が薄く瞼を開くと、黒い部屋に埃っぽい白い煙がもうもうとたちこめ、ゆっくりと晴れていくのが見えた。
鍵と蝶番の三点でぎりぎり持ちこたえていた扉は、まわりの壁ごと吹き飛ばされて、つきあたりの壁までがれきの道を作っていた。
一爽のすぐ横で、ぴき、ぴき、とかすかな音がした。あわててそちらへ目をやると、防弾仕様の透明なドアに、小さなヒビが音をたてて広がっていくところだった。
蜘蛛の巣のようなヒビに覆われたドアに、一爽が、ちょんと指で触れると、一斉に小さな破片になって飛び散った。一爽は反射的に腕で顔を覆い、ふりかかってきた砕片から両目を庇った。
「こんにちはー」
高い声が、射撃場に反響した。
扉のあった場所にあいた大きな穴から現れたのは、大きな銃器をかついだ少女だった。深紅色のボディスーツに、茶色の長い髪を後ろに流していた。目元にはゴーグル、両耳には、鼓膜を保護するためかイヤーマフのようなものをつけていた。
「はじめまして。私は狩野理央です。澪ちゃんが今朝助けに行くって言ったでしょ。だから約束通り来ました!」
壁から剥がれ落ちたがれきを踏みつけながら、明るい声で自己紹介した。イヤーマフを首に下げ、視察用のボックス席を見上げて、小首をかしげる。
「えーと、あれ? ふたりいるの?」
「俺は部外者でーす」
虹太が、伏せた床の上から片手をひらひら振ってみせた。
「じゃ、君が葉月一爽くんであってる?」
こくこく、と一爽はうなずいた。無抵抗を示すハンズアップの姿勢だ。
「あ、あの……あなたは俺を助けに?」
つっかえながら問い返すと、「そうだよ」と理央は優しげな声で答えた。
理央はかつかつとブーツの踵を鳴らして一爽のいるボックス席へ向かってきた。枠だけになったドアをくぐりぬけ、無事だったほうの壁に銃を立てかける。
理央が銃から手をはなすのを見て、一爽もやっと両手をおろした。
理央はやや警戒心のある目で虹太のほうを見た。
「君はなに? 監視者の人?」
「元シギント隊の芝です。さっきクビになりましたけど」
理央はけげんな顔になって虹太をみつめた。
「クビなの? 契約解消ってことかな……今ね、地下本部に武装隊の子たちがいないんだ。本当に『例の計画』をやりにいったんだね。おかげでここまで、ちょっと脅かすだけで楽勝だったけど」
「みたいっすね。俺もタブレット取りあげられたんで、現状はよくわからないですけど」
虹太が敬語でしゃべっているのを見ると、理央は年上なのだろうか。
「タブレット? ああ、これか」
理央が、腰の上についたポーチから二台のタブレットを引っ張り出した。理央の細腰にはごついベルトが巻いてあり、物入のためのポケットと拳銃のホルダーがくっついていた。
「監視者の子が持ってた。どっちが葉月くんのかわからないから、両方持ってきたんだ」
「サンキューです!」
床の上からぴょん、と起き上がった虹太が、嬉しそうに飛びついた。
一爽はそっと理央を観察した。三年生だろうか。すらりとして長身だ。さっきまで、その身長を超える大きさの銃器を軽々と担いでいた。
透明な壁に立てかけられているのは、バスケットボールのような青い球体のパーツがついた、見たことのない銃器だった。銃身のまわりには赤銅色のコイルが見えている。ゴムが焼けつくような焦げくさい匂いがしているのに、銃器に触れていた理央の顔は涼しげだ。
「あなたもプラチナベビーズなんですか」
一爽はたずねてみた。それにしては、理央は監視者の芝と、親しそうに話していた。
「違うよ。私は監視者のひとりだった。武装隊のガウスガン射手」
「ガウスガン?」
「これだね。生身の人間でこれを撃てるのは、世界で私と澄人くんふたりだけなんだよ」
銃器を指さして少し自慢げに言うと、理央は急に警戒心をみなぎらせ、自分が入ってきた穴を振り返った。
廊下を走ってくる足音が聞こえた。撃ち抜かれた射撃場の入り口に人影が見える。
「待て、裏切り者!」
さっき、一爽に水を持ってきてくれた監視者の男子生徒だった。
髪が汗で頬に張りついている。ぶるぶる震える手には、二十二口径の小型拳銃があった。優吾が一爽に見せたものと同じものだ。彼もヒューミント隊所属なのだろう。
銃口は理央の背中に向けられている。
「理央、葉月一爽を勝手に連れ出すことは許されない」
「狩野さん、後ろ!」
一爽は叫んだ。
理央は冷静だった。腰をかがめると、右足を伸ばして、半円を描くようにひゅっと回した。虹太はあわてて床に伏せて避ける。理央のすねは、一爽の両膝の後ろにヒットした。
「いっ」
一爽は、だるま落としのように、かくんと前へ膝をついた。
ぱん、と風船が割れるような音がして、一爽の頭の上をなにかがかすめていった。
理央は、一爽へのローキックと同時に、右手で腰のホルスターから大型拳銃を引き抜いていた。構えるのと同時にかちりと撃鉄を上げる。
「ちょっと、葉月くん巻き込んだら危ないじゃん。ここ、防弾壁が壊れてるんだよ?」
理央は言うなり、引き金を引いた。
男子生徒の手から、小型拳銃が弾き飛ばされた。
男子生徒は手をおさえて床を転がった。大げさな悲鳴をあげているが、出血はしていないようだ。
「今のはゴム弾だから心配しないで。ほら私、人を殺す気はないんだよ」
一瞬別人のように鋭い目になりキレのいい動きを見せた理央は、撃ち終えたとたんに、さっきまでの柔らかな笑顔に戻った。
その豹変ぶりに、顔をこわばらせる一爽をしり目に、理央は男子生徒に挑戦的に笑いかけた。
「君さ、その二十二口径で、四十四口径のリボルバーとは戦えないでしょ。そもそも君たちヒューミント隊は、私たちと違ってロクに射撃練習なんかしてないんだし」
それから、わざと視察ボックス内の監視カメラに映るようにして、背筋を伸ばし、凛とした声を張る。
「監視者全員に吉住類からのメッセージを伝えるね。君たち監視者には、プラチナベビーズ葉月一爽を監視する権利がある。しかし、脅して自由を奪うことはできない。そういう武力行使ができるのは、プラチナベビーズが人間に危害を加えた場合か、この島からの脱走を図った場合のみ。そういう協定だったよね」
手をおさえていた男子生徒が、腹ばいのままうなずく。
「で、どうなの。葉月くんは誰かを傷つけた? 島からの逃走を試みた?」
理央はしゃべりながら、大型リボルバーのシリンダーをスライドさせた。傾けると、空の薬莢が音を立てて床を転がる。一爽の親指よりも太い薬莢だった。
一爽には銃器に関する知識はない。しかし、これだけ大きな口径の銃を、あの細腕で、しかも片手で撃ち、反動に耐えたというのは信じられない。
男子生徒は片手をおさえたまま、よろよろと立ち上がった。がれきを踏み、埃にせき込みながらこちらに近づいてくる。
「違う。俺たちは葉月一爽を保護しているんだ。体調を崩さないよう、ちゃんと水分も与えているし、このあとは食事も用意する。こいつはこの島での実験についてなにも知らされていなかった。逃走中の弥生真尋がみつかるまで、このまま勝手にしろ、と放り出すほうが無責任だ。こちらで保護するべきだと判断した」
どうやら、さっき水を与えられたのは、「保護している」という建前を貫くためのアリバイ工作だったようだ。
「ふーん。だったら君たちに代わって、私たちが彼を保護してもいいよね」
理央は明るく言ってのけた。
「待ってくれ、彼がこちらの管理を離れてしまうのは困る。それでは監視できない」
男子生徒はすがるような声を絞りだす。ここで一爽を逃がすと、彼の責任になるのだろうか。一爽は少し彼が気の毒になってきた。
「できるでしょ。葉月くんについてる発信機。監視カメラ。そういうもので、どこからでも監視できるでしょ。私、よく知ってるよ」
理央は自分が破壊した訓練場を見回した。彼女も、かつてはここで腕を磨いたのだろう。しかし、回想に浸る気持ちはないようだった。
「むしろ、この訓練場がブラックボックスなんだ。ここの監視映像は外部に公開されていない。監視者の施設内でしか見ることができない。プラチナベビーズの人権擁護団体がアクセスすることができない特別な場所だ。だって、ここは監視者の訓練施設で、もともとプラチナベビーズが入り込む予定のない場所だったもんね。こんな秘密の場所に、葉月くんを閉じ込めておくのはおかしいよ」
理央は一度、一爽のほうを見た。それから憐れむような顔で監視者の男子生徒を見下ろす。
「プラチナベビーズは、人間じゃないかもしれない。でも、人間との共生が可能な存在だと私は信じる。『支配するか、されるか』でしか考えられないあなたたちは、自分とは違う属性の誰かとつながる勇気がない人たちなんだと思う」
銃声が響いた。
最後通告のように、理央は男子生徒のすぐそばの床を撃った。今度は正真正銘、金属の弾丸だった。音を立てて床を跳ねた弾丸は、訓練場の奥に飛んで消えた。
男子生徒は、悲鳴をあげて奥へ駆け戻っていった。
「君はよく頑張ったよ。私はプラチナベビーズじゃないから、ここで私と戦っても契約金の支払い対象にはならない。これ以上はお互いに不毛じゃない?」
理央がそういうと、同感だったのか監視者側はそれ以上抵抗を見せなかった。
「さ、武装隊が帰ってくる前に、ここを出発しよう」
一爽をせかし、困惑の表情で虹太のほうを見た。
「で、君はどうするの? プラチナベビーズの側につくなら、類のところへ一緒に連れていくけど」
虹太の立場はなんとも微妙だ。たったひとり島に残された一般人ということになる。
「あなたは吉住類に従ってるんですか? あなたたちはそこへ?」
「そう。彼が私たちのリーダーだから」
虹太は少し考えていた。監視者をやめた今、プラチナベビーズの味方になるか、このまま中立の立場でいるのか、迷っているようだった。
「いや、やめておきます。俺はなるべく早くこの島を脱出したい」
理央は細い眉を寄せた。
「……脱出は難しいよ。橋のところにはもう警戒レベル4の封鎖システムが稼働してる。通行許可のない人間が橋を渡ろうとしたら、自動で掃射を受けるよ」
「俺も監視者だったんで、だいたいのしくみはわかってます」
虹太はあっさりと答えて、一爽の背中をぽんとたたいた。
「葉月、お前は理央さんについていけ。吉住類がお前を待ってる」
「澪ちゃんもそこにいるよ」
理央はにこにこしている。
一爽は迷っていた。このまま理央についていくとどうなるのか。優吾とは敵対する立場になってしまうのか。すぐに決心するには、あまりに判断材料が少ない。
「あの、吉住類というのは……」
確認するように理央にたずねると、虹太がじれったそうに割って入った。
「少し前に話しただろ、吉住耕一って人が、この実験を最初に提案した人物で、プラチナベビーズの人権擁護団体のトップだ。その吉住の息子が類だ。この島のプリンスで、絶対の平和主義者だ」
「でも、俺は、優吾と敵対したくないんだ」
理央はぶんぶんと首を振った。ゆるくカーブを描く長い髪が、左右に揺れた。
「芝くんが言った通り、類は監視者と戦うつもりはないよ。私がこんなことしてるのは、葉月くんを開放するために仕方なくやってるだけ。類は、この島の全員の命を最優先にして、この実験を平和的に終わらせようとしてる。だから私は類についたんだ」
理央の顔には、強い信念が感じられる。なにより、類や理央が、全員の命を最優先にして、この実験を平和的に終わらせようとしているのなら、それはまさに一爽の望んでいることだった。
「お前がいつまでもここにいると、お前の処遇をめぐって永友はずっと板挟みになり続けるんじゃないのか? せっかく類が助けを送ってくれたんだ。俺は理央さんと行ったほうがいいと思う」
虹太が一爽の心を見透かしたように言った。
優吾は自分を拘束することをためらった。心のどこかで、こんなのはフェアじゃないと気がついていたのだろう。
「わかった。俺は理央さんの言葉を信じます」
一爽は決心した。
吉住類は、自分と同じプラチナベビーズのひとりであり、虹太の情報によればこの島のキーパーソンらしい。会ってみたいと思った。ひとりではどうしようもないことでも、仲間がいればなにか解決法がみつかるかもしれない。
さっきから、両手で器用に二台のタブレットをいじっていた虹太が、一方を一爽に投げてよこした。
「ほら、俺とID交換しておいてやったぜ。なにかあったらきいてこいよ」
「芝こそ、困ったときは連絡してこいよ」
「虹太でいい。ありがとな。でも、俺は一匹狼が性に会ってる」
飄々と言い捨てると、虹太はふたりを置いてさっさと歩きだした。視察ボックスの階段を下り、がれきに半分埋まった訓練場の穴に向かっている。
(よせよ、俺たちもうダチだろ?)
一爽は、いつもの調子で気安く言おうとしたが、結局はその台詞をのみこんだ。
虹太の背中にはそういうなれなれしさを拒絶するような雰囲気があった。教室の中でも、彼はずっとそういう態度で過ごしていたのだろうと思った。
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