第一章 実験庭園へようこそ6
※ ※ ※
どこかに時計がないか、一爽は首をめぐらせた。
タブレットは取り上げられてしまった。腕時計をつける習慣はない。
「今、何時くらいなんだろ? 食事は出るのかなー」
虹太にきかせるともなくつぶやく。
「晩飯の心配かよ」
お前の頭ん中平和だな、と隣にいる虹太があきれて笑う。
「寮の食堂のおばちゃんたちって、今も働いてるのかな」
虹太は首を振った。
「いや、一般生徒と一緒に本土に避難しただろ。たぶん学校の先生や寮の職員とかも、もういない。残ってるのは、管理官と監視者の生徒たち。それからプラチナベビーズだけだ」
「じゃあ監視者の連中は、飯どうすんの」
「こういうときのために備蓄食料があるから、それを食べるんだろ。たしかビスケット状の栄養機能食品とか、冷凍のミールトレーが何百食とかあったはずだ」
ガチ、と金属音がした。電子錠の開錠する音のようだ。
虹太が顔を起こして扉の方を見た。
「水だ。ここは少し暑い。ちゃんと水分とっとけ」
扉が開き、男女ふたりの監視者が飲料水のペットボトルを持ってきた。
「それから、今は午後三時四十二分だ」
ひえ、と一爽は小さく肩をすくめた。ここでの会話は全部、監視者に筒抜けのようだ。
監視者の男子が虹太にすごんだ
「芝、プラチナベビーズにあまり余計な情報を与えるな。お前はしゃべりすぎだぞ」
は? と虹太は急に反抗的な目になった。
「そりゃ、フェアじゃねーだろ。こいつには自分の置かれた状況を知る権利がある。無知のままでいると、狡猾な連中の食い物にされるからな」
監視者の男子は、威嚇するように虹太とにらみあいながら部屋を出ていった。虹太とふたりきりになった部屋に、また施錠の音が響く。
虹太は閉められた扉をみつめてひとりごとのように言った。
「情報は与えた。あとは自分で選択して決断しろ。生きるってそういうことだろ。……永友は、お前にそう言ってたよな」
一爽はも思い出した。一爽を逃がそうとしたときのことだ。
「あいつ、いい奴だな」
虹太はしみじみと言った。
「俺もそう思うよ」
一爽はソファに腰かけたままうなだれた。
今の自分が、選択して決断すべきこととはなんだろう。
ぱきり、と音がして、一爽は顔をあげた。虹太がペットボトルのキャップをひねったところだった。こぽこぽと音をたてながら、半分ほど飲み、手の甲で口元をぬぐった。
「ちゃんと水分摂れってさー、母ちゃんかよ? こんなに他人に甘くて、本当に殺し合いなんてできるのかね」
呆れたように言い捨てる。
「俺らなんて結局、本物の戦争とか、虐殺とか知らないからな。こんなところに閉じこめたって、所詮は子供の遊びみたいなもんなのかも」
一爽も同じようにボトルを開けて一口飲んだ。
「あのさ、俺、お前からいろいろきいて考えてみたんだけど」
居ずまいを正し、真面目くさって話しだした。
「やっぱり、俺は優吾とは戦いたくない。いや、優吾には金が必要だってことはわかってる。でも金は別の方法でも稼げるんじゃないか? そもそも、いくら兄だからって、十代の優吾が弟の莫大な手術代を全部稼がなきゃいけないなんて、それもおかしいだろ」
一爽はペットボトルをマイクのようにつかんで、力強く宣言する。
「だから、この実験は平和的に終わらせたい。プラチナベビーズと監視者は戦わない!」
虹太はもう何度目かのあきれ顔で一爽の顔を見た。膝の上に自分のペットボトルを抱えて正面をにらむ。
「だ、か、ら、お前の気持ちはわかんだけどさ、何度も言ってるけど、監視者の連中に契約金をあきらめさせるのは難しいぞ。あいつら、それに命かけてるんだからな」
勢いを失って、しょぼん、と首を垂れた一爽に、虹太は声をひそめて続けた。
「俺らがこのあとどうなるかはわからない。でももしお前が、本気でここを脱出して、プラチナベビーズと監視者の和解のために行動する気があるのなら、俺から多少のヒントは出してやれるかもしれない」
「なに?」
食いついてきた一爽を落ち着かせるように、虹太は一度両手をあげて制した。
「この島には、監視者と取引できる強力なアイテムがふたつある。それを監視者より早く見つけだすんだ」
「それは?」
虹太は一瞬、頭上の監視カメラを見た。少し座る角度を変えて、自分の口元が見えないようにすると、一爽の耳元でひそひそと告げた。
「ひとつは、春待太一のタブレット。春待が負傷して本土に送られるとき、なぜかタブレットは発見されなかった。本人がどこかに身に着けていた可能性はある。でも島外に持ち出せば、橋にあるセンサーに記録が残るはずなんだ。ということは、この島の中にまだ残っている可能性が高い。監視者がまだみつけてないってことは、おそらくGPS機能を切ってあるんだろうな」
「それがなんで重要なんだ」
一爽も小さな声で問い返す。
「おそらく、弥生真尋を逃がしたとき、監視カメラをごまかすために使ったトリックの痕跡が残されている。そして、それは春待が計画的にプラチナベビーズを逃がしたことの証明にもなる。春待をかばおうとしている監視者たち、とくに武装隊の狩野遥馬には都合の悪い証拠だ。そして、もうひとつは、リガレスト」
一爽は眉をひそめた。
「なに?」
「薬。内服薬。きいたことないよな。普通に処方されることはまずない。LiaXというタンパク質を分解する薬で、ある種の耐性菌感染症の最後の治療薬と言われている。最近この島の病院から、米国の疾病予防センターへリクエストされた形跡がある。そろそろ届いてるんじゃないか?」
「そんなものがなんで重要なんだ」
虹太は意味ありげに笑った。
「うーん、そりゃあ、やたらと強い兵器を開発すると、人体への副作用もあるってことだろ。でもこれは、誰かさんが感染症で命の危機にあるときだけ効力を発揮する、条件つきアイテムだからな。まあ、賭けみたいなもんだな」
「監視者の誰かが特殊な感染症になるかもしれないってことか」
虹太はかすかにうなずいた。
「もしそうなった場合、その薬をお前が持っていれば、相手の命を掌握できるようなもんだ。なんでも取引できるだろ。人質とってるのと同じなんだからな」
一爽は虹太の言葉を記憶に刻もうと、何度か単語を繰り返した。暗記は苦手だが、このくらいは覚えなくては。
「相手の弱点を握ってコントロールするなんて、卑怯かもしれないな。けど、今は手段を選んでる場合でもないだろ」
一爽はすっかり感服した。
「すげえな。……芝はさ、なんで俺にいろいろ情報くれんの?」
今度は虹太のほうが、虚を突かれたような顔になった。
一爽はもどかしそうに続ける。
「さっき、監視者の奴ら怒ってたじゃん。俺にいろいろしゃべったら自分の立場が悪くなるってお前だってわかってんだろ? 優吾はもともと友達だけど、お前は……」
虹太は少し困ったように目を細くした。
「ああ、そう、そうだな」
自嘲するように不器用に微笑む。
「この一年半、俺はお前の監視映像を何度も見たよ。あきれるくらいフツーの高校生でさ、周りのやつらとよくへらへら笑ってたな。掃除の時間に丸めた雑巾投げて、箒の柄で打って野球して、勢い余って窓ガラス割って」
「……あー、そんなことまで?」
一爽は、きまりわるそうに、へへっ、と笑った。
虹太もつられるように口の端を上げた。
「やること小学生かよっていう。それで優吾と一緒に後片付けして、職員室に謝りに行くんだよな。そういうしょうもない毎日をさ、俺らはモニター監視してたんだ。なにを監視してんだろうなって思いながら」
虹太は過去を懐かしむ顔になっていた。優しげで同時に少し寂しげな顔だ。
「お前ら、いいコンビだなって思ってた。俺は、ここでそんなダチがつくれなかったからな。そういう才能がないんだ。学校でもずっとひとりでいたし」
一爽は不思議な気持ちで虹太を見た。虹太は追うべき夢があり、そこに向かってまっすぐ向かっている。ひとりでいても、けっして寂しそうには見えない。それでも、考えることがあったのだろうか。もし自分に、なんでも話せる友達がいたら、と。
「だから俺は、お前らの肩を持ってやりたいのかもな」
照れくさそうに虹太は笑った。
一爽は何と答えていいのかわからなくなってしまった。そそくさと立ち上がり、壁についている内線の受話器をとった。
「おーい。そろそろ便所に行かせてくれよ」
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