第四章 沈まぬ太陽1
一爽は、とぼとぼと類の家までの道のりを歩いていた。
類との通話を一方的に切ってしまった。しかも、類に逆らって、澄人に無条件に薬を与えてしまった。大事な切り札だったはずなのに……。
春待太一のタブレットは手に入れたものの、類にどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。けっしてプラチナベビーズの仲間を裏切ったつもりはない。しかし――。
あの場面でどうすることが正しかったのか、今でも一爽はわからないでいた。
類の屋敷の扉の前にたたずんで、しばらくためらったものの、仕方なく玄関のドアベルを押した。
「待ってたよ、一爽」
「おかえり」
玄関には理央と類がいた。
理央の陰には澪もいた。澪は一爽を見て、一瞬とても悲しい顔をした。責めている顔ではなかった。優吾を失った一爽に、どんな態度で接したらいいのかわからず、途方に暮れているような表情だった。
「こっちから連絡しようかとも思ったんだけど、なんか、私たちと話したくない気分だったら悪いかなって思って……」
理央が遠慮がちに言って、うかがうように一爽の目を見た。
変に気を使われると、かえって罪悪感が募った。
「ごめん!」
一爽は体を真っ二つに折り、三人の前で頭を下げた。
「ごめん、勝手なことして。類に言われたとおりに澄人と交渉できなくて」
「いいよ。あれでいいんだ。君の対応はパーフェクトだ」
類の声は優しかった。
顔を上げると、いたわるような笑みをうかべていた。車椅子のホイールがゆっくり床を転がってくる。
類はうなだれる一爽に近づき、その手をとって、少しだけばつの悪い顔を見せた。
「僕の方こそ、功を焦っていたんだと思う。薬が手に入ったことで、気が大きくなって、簡単に澄人を足止めできると思ってしまった。安直だったんだ。あそこで澄人を脅していうことをきかせていたら、僕らは人命を取引の材料に使ったことになる。それじゃ、トゥエルブファクトリーズがやってることと同じじゃないか。君のおかげで、僕も目が覚めたんだよ」
「類……」
一爽は救われる思いで顔を上げた。
「君ももう疲れただろう」
類の柔らかな声が、一爽の心をそっと支えてくれる。
理央がほっとした顔で、リビングのほうへ歩きだした。
「いろいろ考えなきゃいけないことはあるけど、とにかく今はお風呂に入って、ごはん食べよう。どうするかは、それからまた一緒に考えようよ」
一爽は自分の服が、乾いた血でごわごわと硬くなっていることに気が付いた。手足は煤と土埃にまみれて黒くなっている。きっと顔もひどいことになっているのだろう。
ぼそっと澪がつぶやく。
「大丈夫、ひとりじゃないよ」
一爽の目の前が、急にうるっとにじんだ。涙がこぼれないように目を見張ってこらえた。
こわばってかたまっていた肩から、徐々に力が抜けていく。緊張が解けると、とたんに今まで忘れていた疲労感が、全身にずっしりとのしかかってきた。
革靴を脱ぎ、三人のあとについて重くなった足を動かした。
ふと、澄人の姿が脳裏をよぎった。意識を失って仲間にかつぎあげられた姿だ。彼も、監視者の本部へたどり着いただろうか。今頃はベッドに寝かされているのだろうか。
あれほど大切に思っていた仲間のもとで、少しでも楽に眠っているといい、と思った。
※ ※ ※
一爽は、疲れた体をひきずって浴室へ行った。脱衣場にはすでに清潔な服が置いてあった。
シャワーを浴びながら、浴室でしばらく泣いた。ひとりになると、勝手に涙が出た。死んだ優吾を思い出して、というよりも、自分の無力さが悔しくて、情けなくて流す苦い涙だった。
体の雫を拭いて、清潔な服を着た。体の表面がさっぱりしても、まだ頭が重かった。顔全体が腫れぼったいような感じがする。
リビングにいくと、理央が強化モジュールにラバースーツのいでたちで立っていた。
すわ戦闘か、と一瞬顔をこわばらせた一爽に、類が安心させるように言った。
「今から理央に、はじめの説得に行ってもらおうと思ってるんだ」
「澄人くんが動けないなら、あの子に近づけるのは私しかいないもんね」
理央ははりきっている。
一爽の傷だらけの心は、一気に厳しい現実に戻された。
あれからなにも好転してはいないのだ。
「あ、そうか。そうだよな。今、緊急事態だよな。ごめん。俺、つい自分のことで手一杯で。はじめはあれから……」
痛む頭を軽く振って、懸命に考えようとした。
一爽が焦っていると、理央がかけよってきた。
「あわてなくても大丈夫だよ。あのあと熱反応が少し収まったんだ。たぶん、はじめくんはまだ小さいし、そんなに長く能力を発揮することはできなかったんだと思うんだよね」
ほっと一爽は胸をなでおろした。
「一爽くんが帰ってくるまでのあいだに、類が遥馬ともう一度交渉して、はじめくんの制圧に三時間の猶予をもらったんだ」
「その件については、僕から一爽に説明しておくよ。監視者のほうも、澄人が倒れたことで、慎重になってるようだ」
一爽が澄人に薬を渡してしまったあと、類はもう一度遥馬と話し合ったようだ。
三時間の猶予。一爽は思わず時計を見た。まだゆうに二時間は残っているだろう。理央が落ち着いている理由がわかった気がした。
「それまでに、私がはじめくんを説得する。『君はひとりじゃないよ。仲間がいるよ』って伝えて、こっち側で保護しようと思うんだ」
それから急に理央はうつむいた。
「……あの、私、行ってもいいのかな。そういうことしてもいいかな」
「もちろん。それは理央にしかできないことだし」
一爽にはどうして理央が自分に許可を求めるのか、よくわからなかった。
理央が一瞬、迷う表情を見せ、それからささやくようにたずねた。
「……はじめくんは、一爽くんにとって、永友くんの、親友の仇(かたき)なのかなって。一爽くんはどう思うかなって心配だったんだ」
「それを心配してたの?」
「うん」
「あれは事故だよ。はじめくんを保護してあげてほしい」
事故。それでいいのか、一爽は一瞬迷った。はじめが、意図的に真尋や優吾を襲ったことにしておけば、きっと優吾に契約金が支払われるだろう。
『契約した監視者の生死は問わない。本人死亡や行方不明の場合は、遺族に支払われる』たしか虹太はそう言っていた。
優吾の契約金が家族に支払われれば、弟の彰吾はすくえるのかもしれない。でも、誰かを犠牲にして大切な人の命をつなぐこと、そのことにずっと呵責を感じていた優吾だった。その優しさを、なかったことにはしたくない。
理央は何度もうなずいて、嬉しそうに目を細めた。
「そうだよね。それから……澄人を助けてくれてありがとね」
理央のとび色の瞳が、濡れてきらりと光った。
一爽はとまどう。
「いや、あれはたぶん、俺じゃない。優吾が俺にそうしろって教えてくれたんだよ。……澄人、回復してるといいな」
理央はもう一度深くうなずいた。
「はじめくん、どんな子かなあ。私の言うこときいてくれるかな」
少し不安そうな様子の理央に、澪はささやいた。
「理央ちゃん、大丈夫だよ。はじめはもうすでにこっちの仲間だからさ」
いつかの口調そっくりに、予言のように言った。
理央がはじめをうまく説得してくれるといい、と一爽は思った。
ミナトタウンで出会ったはじめの様子を思い出した。
あの無邪気な薄茶のヘイゼルアイにまた出会いたい。
優吾の代わりに、またアイスを買ってあげたい。
燃えてしまったカエルの傘も買ってあげよう。
あの子に――素直に『生きたい』と言わせてあげたい。
そんな思いを、理央がはじめに伝えてくれるといい、と思った。
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