第五章   狩野遥馬4

   ※   ※   ※


 吉住類は自分の書斎にいた。隣には澪が立っている。ふたりで遥馬から入電を待っていた。

 少し前、一爽からメッセージが届いた。計画通り、狩野遥馬に春待太一のタブレットを渡し、右肩に触れることに成功した、と伝えていた。

一爽「俺はこのまま虹太を助けに行く。なにかあったら連絡してくれ」

 午後二時四十五分、沈黙を破って通信機が鳴った。

 類は受話器を取り、時間をかけて、遥馬に亡命計画を説明した。

『メガフロートを船舶とする条件はなんだ? 本当にそんなこと可能なのか?』

 やはり遥馬は慎重だった。類は一爽にした説明をくり返した。

「条件のひとつは、自力走行できることだ」

『自力走行? ディーゼルエンジン一基で、こんなでかい島が動くのか』

「大型ディーゼルエンジンは、全長一キロ以上、建築物でいうなら五、六階建てに相当するような豪華客船によく採用されている。同系統のエンジンで出力が二、三倍あれば、この島の規模でも充分実現可能だと僕は思っている。

 そして、そういった客船でディーゼルエンジンが採用されているもうひとつの理由は、これが安定した電力を供給する発電機としても利用できるからなんだ。この島の最深部にあったディーゼルエンジンは、おそらく島の巨大な発電機として今も機能している。本土からケーブルで電力を補給していない分、これで発電していたわけだよ。

 神田社長の話では、これをマニュアル操作で走行モードに切り替えなくては動力を得られないらしい。その操作を、一爽に頼もうと思っている。実はそこに、もと監視者の芝虹太が監禁されているようなんだ。彼も救出したい。

 そして自立走行可能な状態ということは、つまり海底や沿岸に係留されていてはいけないってことだ。

 ここからが大がかりな仕事になるけど、本土とつながるみどり大橋、ガーデン大橋のふたつの橋を破壊して島から切り離すこと。それから海底に固定している三十六本のワイヤーを巻き上げること。この状態にして船主、船長、海技技師の登録を行い、パルマ共和国の船籍を取って初めてこの島は船となる。……おそらく橋の破壊には時間がかかると思う。ガウスガンを使える理央にやってもらいたいけど、できれば援護が欲しい。監視者の君たちも協力してほしい」

 遥馬はまだ決心がつきかねているようだ。

『パルマ共和国が、本当に俺たちを難民として受け入れるという保証があるのか? お前の父親の話を信じて、危ない橋をみんなで渡ろうというのか? お前たちはもともと俺たちと敵対する立場だろう。俺たちがこの話に乗る必要はあると思うか?』

「もう気がついているだろう。理央は、君の安全のために僕の側についた。僕が最後まで戦う意志を持たないと信じてくれた。遥馬、戦いを避けよう。命を危険にさらすことはない。ここで僕らが、金のためにつぶしあう意味はないだろう。

 遥馬、知っていると思うけど僕は過去に事故を起こしてしまった。人を傷つけてしまった。そのせいでプラチナベビーズのみんなにも不自由な生活をさせている。

 僕はプラチナベビーズの仲間を守りたかった。僕の武器は特殊能力なんかじゃない。知識と情報だと思っている。そう思ったからこそ、今まであれこれ調べて知識をためこんできた。それでも足りなかった。君たち姉弟の話を聞いて、自分の視野が狭かったと痛感した。実際のところ僕は、ある程度めぐまれた暮らししか知らないんだ。今となっては、君が、そんな僕とは理解し合えない、と言った気持ちもなんとなくわかる気がしている」

 類は少し笑った。下を向く。

 そこには動かなくなった細い両腿と、車椅子の座面があった。

「僕はね。こうなってしまってから、人の手を借りないと生活できなくなった。父、ヘルパーさん、学校のボランティアスタッフ、友人……いつも周囲の人の力に支えられて生きてきた。みんなが差しのべてくれる親切な手が、いつもとっても有り難くて――同時に、はらわたが煮えくりかえるほど嫌いだった。

 どうして僕は、いつもほどこされる側なのか。僕だって、好きでこんな体になったわけじゃないよ。それでも僕は、その手にすがって今まで生きてきた。周囲に支えられなくては生きられなかったからだ」

 類は左手で受話器を支え、右手を、きゅっとにぎりしめた。

「だから、君もこの手をとってくれ。僕のことを大嫌いなままでいい。それでも僕ら人間は、立場の違いと個人的な感情をのりこえて、手をとりあえる。今だけ、君のプライドを捨ててそれを証明して見せてくれ。君は『軍需の金にたかるウジ虫』なんかじゃないだろ。

 遥馬、人になれ、共に生きよう」

 遥馬はしばらく黙った。

 類は祈っていた。

 この想いが届くように、と。

 受話器の先で、ふっ、と笑い声が漏れた。ふ、ふ、と優しい声音がした。

 皮肉なかげなど一片もない、素直な十七歳の少年の笑い声だった。

 理央の笑い方がくっきりと思い浮かんだ。やはり兄弟だな、と類は思う。

『類、俺たちはもうとっくに手をとりあっている。澄人が回復してきた。それだけで十分だ。俺たちも借りを返させてもらう』

(届いた)

 類ははるかな天体の輝きを見るように、書斎の天井を見やった。

「……そうか。澄人くん、良くなってるのか。よかった」

 胸が苦しくなって、泣き笑いのような顔になってしまう。

『では、ここからは共同戦線だな。橋の破壊に武装班二小隊を派遣する』

 また事務的な口調に戻り、遥馬からの通信は切れた。

 ゆっくりと受話器を戻した類は、となりにいる澪に向かって首を垂れた。

「……澪。ひどいことを言ってすまなかった」

「え? ひどいこと? 私に?」

 澪はとまどった顔をしている。

「君は共同生活をするうえで、たびたび僕の手助けをしてくれたのに。それを……遥馬との交渉のためとはいえ、あんな言い方して」

 澪は破顔した。こちらも一点の曇りもない慈愛に満ちた顔だった。

「類も人間ってことだよ。これで私たち、やっと対等になれたよね」

「澪……そうか、もう全部わかってたのか」

 類は、思わず声を詰まらせた。片手で目元を覆う。こんなの自分らしくない、と思うのに、あごが勝手に震えてしまう。

「……怖かったんだ。これを、口に出すのが、ずっと、怖かったんだ」

 小さな子供をあやすように、澪がとんとんと背中を叩くと、類は咳きこみ、むせび泣いた。

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