第四章   沈まぬ太陽8

   ※   ※   ※


 一爽は春待のタブレットを持ち、類の家を出て学生寮に向かった。

 昨日、優吾に連れられてきたエレベーター建屋の前には、すでに監視者の生徒がひとり待機していた。

 一爽が来ると、入口を開錠し、監視者本部まで案内してくれた。従順に従いながら、一爽は類に指示されたことを頭の中で反芻していた。

 類が一爽に与えたミッションは、タブレット受け渡しの際に遥馬の体のどこかに触れてくること、だった。

 一爽の能力は、まだ監視者たちには知られていない。触れるチャンスはたしかにありそうだ。しかしそれが本当に切り札になるのか一爽はまだ懐疑的だった。遥馬に対して、自分の能力がうまく発動するだろうか。するとしたら、遥馬はそこで何をみつけるのだろう。

(自分の心の奥にしまった本当の願望。彼もそんなものを抱えているのだろうか)

 ちらちらとノイズの入るパソコンの画面の奧で、感情の見えない顔をしていた狩野遥馬。彼の隠された心を、一爽は引きずり出せるだろうか。

「よし、いいぞ」

 春待太一のタブレットを手にして、本部執行室、と表示されたドアを開けた。

 階段教室のような広い部屋に遥馬はいた。大型スクリーンの前の教壇のように少し高くなったところで、キャスター付きの椅子に腰かけていた。後ろに武装した生徒がふたり付き従っている。片方は、一爽が連行される際に優吾と話していたポニーテールの女子だった。

「葉月一爽か」

 遥馬が椅子から立ちあがった。一爽は反射的に身構えたが、遥馬は武器らしいものを持ってはいなかった。

 一爽はタブレットを差し出した。

「約束のブツ、持ってきましたんで」

 雰囲気にのまれて、昔の任侠映画みたいな台詞になってしまった。なぜか同い年の遥馬に敬語を使ってしまう。

 遥馬が近づいてきた。タブレットを受け取り、すぐに後ろの班員に渡した。受け取った女子生徒は部屋を出て行った。プラチナベビーズの保守回線へのアクセス作業を行うのだろう。

「ヒューミント班の永友優吾には、俺が宇津木はじめを保護するよう指示を出した。彼の死は俺の責任でもある」

 遥馬は重々しくそう言った。

 一爽はなにを話せばいいのかわからなくなってしまった。

 自分は親友を失った。そして目の前の遥馬は、「三十八人この島に残った」という仲間の一人を失った。

 一緒に悲しむことはできないのだろうか。どうして自分たちは、こんなにややこしい立場になっているのだろう。

「その、優吾の件ですけど……」

 一爽は、ズボンのポケットから自分のタブレットを出して、用意してきた文章を表示させた。部屋の上方に取り付けられた監視カメラの位置を確認し、液晶画面を斜めにかたむけて遥馬に差し出した。

 遥馬はタブレットを受け取り、表示された文字を読んだ。

『俺は優吾を犬死にしたくない。せめて優吾の家族に契約金が支払われるようにしてやりたいんだ。そのためには、監視者たちはプラチナベビーズと交戦したことにしなくてはならない。でも俺たちは、その悪役を宇津木はじめ一人に背負わせたくはない』

 遥馬は、薄い唇に冷笑をうかべた。

「なるほど。やっぱりあれはハッタリか。類の父親は金を用意できなかったわけだな。それで俺たちに、トゥエルブファクトリーズから契約金が支払われるようにする、という方針に変えたのか」

 一爽はうなずいて、指を動かしてスワイプする動作を見せた。遥馬は画面を送り、続きを読む。

『この島からトゥエルブファクトリーズ幹部に送られるデータを改ざんできれば、これ以上犠牲者を出さずに監視者は契約金を受けとれると思う』

 遥馬は首を横に振った。一爽の渡したタブレットに文字を打つと、一爽に返してきた。

『データに小細工をしようというのか。画像データはリアルタイムで送られる。島内で改ざんするような編集の時間は作りだせない。そもそも、戦闘があったような映像や数値やデータは、何か参考にできるような資料がなければ偽装もできない。相手もプロだ。いい加減なことしたら見破られる』

 一爽はそれを読んで、さらに用意してきた文章を表示させ、ふたたび遥馬に見せた。

『さっき渡した春待太一のタブレットの中に、妨害電波を発生させる装置の遠隔操作用アプリケーションが入っている。監視カメラの転送電波の波長に影響を及ぼしてノイズを発生させることができるものだ。春待はこれを利用して、真尋を逃がすときに、カメラ映像のトリックを作りだした。つまりこれは、一度は成功している目くらましなんだ。

 春待太一のタブレットのセキュリティロックはすでに解除してある。これを使ってカメラの映像は攪乱できると思う。詳しい数値データの偽装は難しいかもしれないが、監視者の極秘データをたっぷり持ってる奴に心当たりがある。元シギント班の芝虹太だ。あいつなら、参考にできるデータ資料を持ってると思う』

 遥馬はもうひとりの班員を近くに呼んで、耳元でささやいた。彼もまた部屋を出て行く。

「それで、俺たちを足止めしてどうなった? 暴走したはじめは懐柔できそうなのか?」

 遥馬はさぐるような目つきで一爽を見た。

「今、理央さんが行ってますが、まだ連絡がないんで……」

「姉貴か。まあ、適役か」

 遥馬はつぶやいた。

「じゃあ、タブレットも届けたんで、これで俺は」

 一爽は軽く言ってから、あらためて遥馬を見た。チャンスは一瞬しかない。いつも優吾の肩を叩いていたときの、あの感触を手の平に再現させようと念じる。

「それじゃ、俺はこれで行きますんで」

 軽く言って、ぽん、と一度だけ遥馬の肩を叩いた。黒いボディスーツの右肩だ。

 遥馬は不快そうに目を細め、同時に一爽の手首を握っていた。

 逃れようのない強い力だった。

「お前、どうして澄人を助けた?」

 焦った一爽に、ぐっと顔を近づけて詰問する。

「類は、例の薬を使って俺たちと交渉しろと指示していたんだろう。仲間を裏切ってまで澄人を助ける義理がお前にあったのか?」

 一瞬、緊迫した空気が流れた。しかし、一爽はすぐに、にやっと笑った。

「あれは、俺じゃないっす。優吾がそうしろって俺に教えてくれたんです。礼なら優吾に言ってください」

 晴れやかにそう言うことができた。

「そういえば、あれからどうですか、澄人。かなりキツそうな感じだったけど」

 遥馬の瞳が揺らいだ。鉄仮面に急に感情が戻ってきたようだ。

 迷子が親をみつけたときような目をしていた。

 遥馬は、こらえるように一度ぎゅっと唇を結び、それから、感極まったようにうわずった声を発した。

「……意識が戻ったんだ。今は少し、熱も下がってきた」

 消え入りそうな声で言った。

 一時はかなり危ない状態だったのだろう、と一爽は遥馬の態度で察した。そこから澄人は生還したのだ。

 一爽は力が抜けた遥馬の手から、自分の手首を引っこ抜いた。

「全部終わったら、澄人をかこんで、みんなでプリン食べたいっすね。購買の八十五円のプリン」

 弾む声で言って、監視者本部をあとにした。

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