第一章   実験庭園へようこそ3

   ※   ※   ※


 一爽は、優吾とともに朝出てきた寮の敷地に戻った。

 優吾は寮の母屋となる建物の中へは入らず、敷地の角にある小さな建屋に向かった。一爽はそれまで、その窓のない小さな建屋に注意を払ったことはなかった。倉庫、あるいは庭の掃除用具入れかなにかだと勝手に思い込んでいたのだった。

 優吾が自分のタブレットをかざして扉を開けると、自動的に内部に明かりが灯った。狭い空間に金属製の扉と矢印のボタンがある。エレベーターになっていたようだ。

「これで地下に降りる」

 優吾の説明で階下へ降りると、ぶ厚い真空扉の前まで歩いた。銀行の金庫室のような扉だ。一爽を威圧するように銀色に光っている。

 扉の前に小さな前室があり、生徒がふたり待機していた。

 優吾が一爽をふたりの前に立たせると、無言でボディチェックが始まった。制服のポケットの中まで確認され、最終的にタブレットだけをとりあげられることになった。

 プシュー……と圧縮された空気の漏れる音がして、扉が開かれると、その先には二十五メートルプールがすっぽりと入りそうな大きな空間が広がっていた。

「ここは、俺たち監視者の射撃訓練場になってるんだ」

 暗い空間に、優吾の声が不気味に響く。

 壁ぞいに歩いていくと棚があり、射撃用のゴーグル、グローブ類が置かれ、角にはロッカーの形をした黒い金属の箱があった。銃器、弾薬類はあの中に保管されているのだろう。

 一爽は広大な施設を見て、はは、とかわいた笑いをもらした。

「これまで俺たち、この上でのんきに寮生活してたってことか」

 優吾は少しだけ口元をひきつらせた。そして、壁についた狭い階段をあがり、一爽を体育館の犬走のような場所へ連れて行った。

 到着したのは天井から吊り下げられた箱のような部屋だ。射撃場全体が見渡せる高さにあり、防弾カーボン樹脂の透明な壁に囲まれている。三メートル角くらいの水槽のような部屋だった。

「本来は、幹部視察用のボックス席なんだが、今はお前の拘束に利用する」

 中には上質そうな黒のソファが置かれていた。天井付近に監視カメラがあり、壁には外部と通話用の受話器がとりつけてあった。優吾が受話器を指して言った。

「トイレに行きたくなったら、それで誰か呼んでくれ」

「で、こいつも俺と同じプラチナベビーズなの?」

 視察用ボックスのソファ、そこにはすでに男子生徒がひとりくつろいだ様子で腰かけていた。先ほどから、やってきた一爽と優吾をかわるがわるみつめている。

 優吾はその男子生徒を見て、眉をひそめた。

「お前、誰?」

「あー、俺? 二年三組の芝虹太(しばこうた)でーす」

 ソファに寄りかかったまま、かったるそうに名乗った。一爽と同学年のようだ。

 もっさりと伸びた髪が目元と首にかかっている。銀色のメタルフレームの眼鏡が、長い前髪を持ちあげていた。

「一般生徒がどうしてここに?」

 戸惑った顔をしている優吾に、虹太はひょうひょうと続ける。

「俺はシギント隊所属。で、ついさっき監視者をクビになりましたとさ」

 虹太は下手な役者のように抑揚をつけていった。

「クビ?」

「うん。だから今となっては一般生徒だ。そして守秘義務違反てことで、実験が終わるまでここで拘束されてまーす」

 相変わらずふざけた口調でいうと、虹太はソファから背中をはがして優吾のほうへ身を乗り出した。

「どうよ、永友くんも俺と一緒にクビになんない? 君も監視対象者に情がわいちゃった人間なんだろ? 春待隊長みたいにさ」

 虹太はまるで、さっきの食堂裏でのやりとりを知っているかのようだ。

「見てたのか」

 苦々しく言って、優吾が虹太をにらみつけた。

「あー、そう。ここに閉じ込められる直前までね。永友くん、あそこは大丈夫だって思ってた? でもどこにでも隠しカメラがあるのがこの島なんだよねー。でも安心していいよ。俺しか見てない。誰にも言ってないから。プラチナベビーズを逃がそうしたなんて」

「管理官たちに余計なこと言うなよ。……そうか。お前はクビか。気楽だな。俺は、監視者をやめない。やめられない事情がある」

 優吾は口止めすると、一爽の前で透明な扉を閉め、電子錠をかけて立ち去って行った。

 優吾が出ていくと、密室に虹太とふたりだけになった。

「ここは射撃場だから。どんな偉い人でもさ、安全確保できるまでは、勝手に出られないシステムになってる。外側から鍵が掛けられるんだ。それを利用して俺たちを閉じ込めてるんだよ」

 一爽がなにかたずねるまでもなく、虹太が説明してくれた。

「あんた、さっきまで自分がプラチナベビーズだって知らなかったんだろ? 今、頭ん中めちゃくちゃだよな」

 虹太は同情するような目で一爽を見た。

「ああ、優吾はいろいろ説明してくれたけど、正直実感もないし、なんだかよくわからない。俺、あんま頭よくないんだよ。そういえば、シギント隊ってなに?」

 一爽は、混乱する頭を両手でくしゃくしゃかきまわした。

 虹太は苦笑した。

「シギント隊ていうのは、機械を使った監視をする隊、ってこと。ここの中学、高校や島のあちこちに仕掛けられた監視カメラ、盗聴器による監視を行う。おれはそのテックだった。機器の保守点検係ってこと。ちなみにヒューミント隊は、人的監視。先生やお友達のフリして近づく係。永友優吾はヒューミント隊だ」

「なるほど」

 一爽は、虹太のとなりに腰かけた。なめらかな革のソファが、一爽の尻を深く沈ませた。

 透明な壁の外は、窓のない黒い四角い空間だった。照明が落とされていて、向こう側の壁も、射撃の的らしきものも見えなかった。

「で、俺、これからどうなるの?」

 一爽は前を向いたまま、無機質な暗がりをみつめて尋ねた。

「俺にきいてるー?」

 虹太がのんびりと答える。

「うん。お前、内部事情に詳しそうだからさ」

 虹太はくすぐったそうに笑った。

「まあ、そんなに心配すんな。いきなり殺されたりはしねーよ。お前には利用価値があるからな」

「利用価値?」

「そう。永友はお前にまだ隠してることがある」

「なに?」

 思わず身を乗りだした一爽に、虹太は眼鏡の奥の目をすっと細めた。

「お金をもらってお前を監視してた。永友はそう説明しただろ。でも監視者の契約金は、実は二段階式になっているんだ。まず、監視者として働いている間、月に八万の報酬がある。すごいと思うか? でもこれは、高校の学費と寮での生活費で、ほとんど消えちまうんだ。小遣い程度しか手許に残らない。プラチナベビーズとの交戦、これがあって初めて大金が得られるんだよ」

「こ、交戦、て、つまり俺と戦うってこと?」

 虹太はうなずいた。

「俺の場合は三千万を提示された。契約した監視者の生死は問わない。本人死亡や行方不明の場合は、遺族に支払われる。スカウトで連れて来られた奴らなんかは、俺よりもっと高額を提示されてるかもしれない。

 俺はさ、最初それについてあんまり深く考えていなかった。生命、身体を危険にさらすことへのボーナスみたいなもんか、と思ってた。でも、監視者になってみてわかったけど、まわりはみんな、永友みたいにのっぴきならない事情抱えてるような生徒ばっかりだったんだよ。あいつらは、プラチナベビーズと戦って二段階目の報酬をもらわなければ、本土に帰れない。そのくらいの覚悟でここに来てる。いずれ、ここは戦場になるぞ」

「お、俺も戦うの? いやいや、無理無理。あいつら拳銃持ってたし」

 うろたえる一爽に、虹太は微笑む。

「いや、監視者サイドから手を出すことはできないんだ。あくまでこれは行動観察実験で、プラチナベビーズが能力を悪用して人間に危害を加えようとしたときのみ、武力制圧が認められる。これはこの実験が始められるときに、プラチナベビーズの人権擁護団体との間で結ばれた協定だ」

 一爽は、胸をなでおろした。

「じゃあ、俺たちから手を出さなければ、平和的に解決できるってことか」

 虹太は無情に首を振った。

「さっきも言ったとおり、多くの監視者はそれを望んでない。お前をここに拘束しておけば、なにがしかの方法でお前を刺激して戦うこともできるかもしれない。奴らの保険のひとつだってことだろう」

 一爽はうつむき、両ひざのあいだで頭を抱える。しばらく、うーん、とうなっていたが、すぐに名案がうかんだ。

「そうか。俺は優吾と戦う真似をすればよかったんだな。そうすれば、優吾は彰吾くんのために手術の金を持って帰れるしな」

 はあ? と虹太があきれた声をあげた。

「そんなに単純じゃねーよ。まずお前は能力に覚醒してない。能力の悪用はできない。そして、いざ制圧となったら、お前も見ただろ。マシンガン持った武装隊が前線に出てくるんだぞ。ちょっと戦う真似するのだって命がけだ。お前は、永友のためにそこまでする勇気があんのかよ?」

(そうか。だから優吾は俺を逃がそうとしてくれたのか)

 ――バーカ、バカ、バーカ!

 優吾の罵倒がよみがえった。チャンスを与えたのに逃げようとしなかった一爽を、優吾は本気で怒った。

 ――お前には中華丼の借りがあるからな。

 優吾はそう言っていた。

 この島で過ごした、なにげない日常。そのお返しに、優吾は一瞬契約をなげだして一爽を逃がそうとしてくれたのだ。

「優吾は、のちのち仲間を巻きこんで俺と殺し合いになるかもしれないって、そう考えてたんだな……」

 虹太は一爽のほうを見て、少し同情する声音になった。

「優しい奴ほど、板挟みになってあわれだよな。プラチナベビーズっていっても結局はただの人間だし、監視してるあいだに、みーんなほだされちゃうんだよなあ。春待隊長だってそうだったし」

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