第一章 実験庭園へようこそ2
※ ※ ※
夢の中で、一爽は夜の草原に立っていた。落葉樹の森の真ん中に、舞台のようにぽっかりとひらけた野原だ。
心地の良い涼しい風が吹き、足元の草がさわさわ波打っている。
初めてきた場所なのにどこかなつかしい、そんな気がする場所だった。
ぼんやりと夜空にうかぶ白い月をながめる。スイカを食べた後に残った皮みたいな、細い三日月だった。
「一爽」
女性の声がして振り返ると、十代の少女がいた。小柄で、髪形はまるいきのこのようなショートボブだ。色白の肌が、夜闇にほのかに光をはなっているように見えた。
左胸に見慣れたエンブレムがついている。海浜高校高等部の制服だ。しかし、少女の顔にはまったく見覚えがない。
「一年?」
一爽の問いには答えず、その子は厚い前髪から上目遣いに一爽を見た。
「君に、予言があります」
台詞を読むような一本調子で言うと、少女は真顔のまま続けた。
「あなたは今日、親友に裏切られます。でも、抵抗はしないで。戦わないで。私たちが必ず助けに行くから、それまでのあいだいい子にしていて」
いい子にしていて――同年代の少女からそんなふうに言われるのは、なんだか引っかかるが、さしあたって一番気になったのは。
「親友って誰だ? 優吾のことか? 裏切られるってなんだよ」
矢継ぎばやに質問する一爽を、少女は少し同情するような目で一瞥すると、そろえた両足で、とん、と地面を蹴った。
ふわっと空に浮き上がる。彼女のまわりだけが無重力になったように、短い髪が空気中に広がった。
「じゃ、私、ちゃんと伝えたんで」
一方的に会話を切ると、イルカが泳ぐようにくるりとうしろを向いた。プリーツスカートが危うい感じにふくらんだ。
「お前、なんだよ。名前は?」
あわてて一爽が追かけると、
「ミオ。あと、このことは絶対にほかの生徒に内緒だからね」
少女は後ろ向きのまま名乗り、一度振り返った。ちょっとだけうらめしそうに一爽をにらむ。
「一爽は私の事、全然覚えてないの?」
「覚えてない」
「あ、そう」
少しだけがっかりした顔で、少女は暗い空にうかびあがって、遠ざかっていった。
一爽は、思わず彼女を追って自分も空中を浮けるのだろうか、と手を伸ばした。両足で地面を蹴る。
しかし、足先は地面のあるべき場所になんの抵抗も感じなかった。つるりと両足が地面をすべる。
(転ぶ!)
焦った瞬間、全身がガクっと揺れて目が覚めた。
目を開けると、そこはいつもの自分の部屋――男子寮の二階の角部屋に壁付けされたベッドの上だった。
※ ※ ※
『あなたは今日、親友に裏切られます。でも、抵抗はしないで。戦わないで。私たちが必ず助けに行くから、それまでのあいだいい子にしていて』
夢の中の少女の声がよみがえる。
(あれはこのことを言ってたのか? 俺は予知夢を見たのか?)
一爽は優吾に背後をとられたまま、食堂の裏を歩かされていた。ほかの生徒たちは、食堂の出口から列になって教室へぞろぞろ歩いていく。その列から離れて、裏口のほうへ引っ張り込まれた。
従業員用の裏口には、ゴミ用のバケツと、金属の網でできたカゴ車が置いてあった。
「なあ、俺たち、どこに向かってんの」
「寮へ戻る。あそこの地下が、俺たち監視者の施設になってるんだ」
「なんで……なんで、俺はみんなと避難できないんだよ」
優吾は立ち止まった。あたりをみまわして、ここなら大丈夫か、とひとりごとのようにつぶやいた。
配電盤を囲んだ金網のフェンスと食堂の壁に挟まれた隘路に、隠れるようにしてふたりは向き合った。雑草の小さな黄色い花が足元で揺れていた。
「お前は……プラチナベビーズなんだ」
一爽は、きき慣れない言葉に戸惑う。
「なに、プラチナ……って?」
「俺たちの生まれる前後数年間、あるウイルス性の伝染病が世界的に流行した。妊娠初期にそのウイルスに感染した妊婦から生まれた赤ん坊のうち数人のDNAに特異な点が認められた。外見は普通の人間と変わらなかったが、彼らは特殊能力保持者だった。それがプラチナベビーズだ」
「特殊能力?」
「能力には大きな個体差がある。このあたりのことは機密になっていて、俺も詳しくは知らない。それで、お前もその特異なDNAを保有する赤ん坊のひとりだったってことだ」
「い、いや、俺は特殊能力なんて持ってない」
一爽は無抵抗を証明するように、優吾に向かって両手を広げて見せた。
優吾は淡々と答える。
「ああ、今はな。でもいつかは覚醒する。だからお前は危険なんだよ」
「は?」
「この赤ん坊たち――日本中でたった五人だ。今は全員が十代になっている。プラチナベビーズは人間なのか、人類の敵ではないのか、安全に共存することができるか、それを確認する必要があった。プラチナベビーズを観察するためにこの島は作られ、お前たちは全国からこの島内へ集められた。俺たち監視者は、お前たちの行動を監視して報告し、検証する」
「つまり、お前は、俺の監視役ってこと?」
おそるおそるたずねた一爽に、優吾は即答した。
「そう。お前担当の監視者だ」
「じ、じゃあ、本土にいた中学のときから、今までずっと?」
優吾は首を振った。
「違う。あの頃はまだこの島が完成していなくて、実験も始まってなかった。お前と仲の良い俺に、『監視者として契約しないか』というスカウトが来た」
想像を超えた話に、一爽はぽかんと口を開けたままになっていた。
「俺はスカウトの話に乗って契約したんだよ。それでお前と一緒にこの高校へ進学した」
「なんで……」
優吾はうめくように言った。
「金だよ。弟の彰吾が病気なのは知ってるだろ。彰吾には肺移植が必要なんだ。国内の子供のドナーは少ない。海外で移植医療を受けるには多額の金が必要なんだよ」
眉間に深くしわをきざんだまま打ち明け、優吾は少しだけ笑った。
「ここへ来てから、ずっと、俺は友人の顔してお前を見張ってた。……できれば、ずっと覚醒しなければいいと思ってた。実験が終わるまで、お前は普通の高校生のままで。俺もただの友人のままで。それで終わりたいと思っていた」
「だったら、どうして、今さらこんなネタばらしするんだよ」
俺たちこのままでいいじゃんか、と唇を噛む一爽に、優吾は冷たく告げた。
「事件が起こってしまったからな」
「事件?……昨日の発砲事件か?」
優吾はまた険しい顔に戻ってうなずいた。
「あれはただの噂じゃない。事実だ。監視者の中には、俺みたいなスパイ役のほかに、特別な訓練を受けた武装隊がある。三年生の春待太一(はるまちたいち)はその武装隊の隊長なんだ。彼は、事実上俺たち学徒監視者のトップだった。その春待さんが、監視対象だったプラチナベビーズのひとりを故意に監視から逃がしたんだよ。彼女の発信機をはずし、監視カメラの画像に細工をして」
優吾は深くため息をついた。
「あの人は、俺たちのリーダーだったにも関わらず、監視者みんなを裏切って、プラチナベビーズを自由にしようとしたんだ。逃げたプラチナベビーズ、弥生真尋(やよいまひろ)は今、島のどこかに隠れていて、まだ居場所がわからない。おそらくは、橋を渡って島を脱出する機会を狙っているだろう。だから、津波のフェイクアラートを出して、一般の生徒を避難させて橋を封鎖するんだ」
一爽は周囲をみまわした。建物に囲まれたこの場所から、学校の様子はわからない。食堂から校舎への通路を歩いていた生徒の列はとうに途切れて、人影はなくなっていた。
昼間の学校の敷地内とは思えない静けさだ。ふたりを包む沈黙が、この信じられない事態を現実なのだと一爽に知らしめているようだった。
「この島には、俺たち監視者と、お前たちプラチナベビーズだけが残される。お前は今まで能力に目覚めなかった。だから、お前には、なにも知らせずに監視する方針だった。しかし、こうなってしまった以上、事情を話して拘束するしかない。黙ってついてきてくれ」
「俺はこれからどうなるんだ」
優吾は少し遠くを見るような目をした。
「ここは直径四キロの小さな島だ。行方不明の弥生真尋も、きっとすぐに見つかるだろう。それからこの事件の検証が始まる。いや、今も管理官の会議は行われているんだ。春待さんは、彼女を逃がすためにほかの武装隊隊員と撃ち合いになって負傷した。この真相が、真尋が能力を悪用して春待さんを利用したってことになると――プラチナベビーズには、やはり反社会的なところがあって、行動に制限が必要って結論になるだろうな」
一爽はぎょっとして叫んだ。
「拘束するとか、行動に制限って、それじゃ、俺に人権はないのかよ」
「人権を与えるかどうかの実験を、今、やってるんだよ。つまり、これが無事に終わるまでお前たちには人権がない。プラチナベビーズはまだ人間じゃないんだ。だからこれから先も、この島の中で品行方正に過ごして、じっとこの実験が終わるのを待つしかない。ただ、もし逃げている弥生真尋が抵抗して人を害することがあったら、そのときは戦闘になるかもしれない。そうなれば、お前だって監視や拘束が厳しくなって、今みたいには暮らせなくなるだろうな」
一爽は混乱する頭を必死で働かせた。
そのために、優吾は今日拳銃で武装しているということか。夢の中で少女が『抵抗しないで。戦わないで』と警告していたのは監視者とプラチナベビーズの衝突を危惧してのことだったのだろうか。
優吾は暗い顔をしている。一爽に隠し事をしていた罪悪感にさいなまれているようだ。仕事とはいえ、一爽を拘束することへの迷いもあるかもしれない。
やがてのろのろと口を開いた。
「お前さ、今までおかしいと思わなかったか? やたらと島への出入りが厳しいこととか。ここに警察が介入してこないこととか」
「だって、だって、この島は学校の敷地内だろ?」
平和に暮らしててなにが悪い、と開き直るような一爽の言葉をきいて、優吾はふっと、弱々しく笑った。
「お前は根っからのお人よしだからなぁ……」
困り果てている口調だ。まるで、この状況に追い詰められているのは一爽ではなく優吾のようだ。
優吾が苦悩する様子を見ているうちに、一爽の心は徐々に落ち着きを取り戻してきた。優吾は隠し事をしていただけで、別人に変わってしまったわけではないようだ。
「優吾、お前は俺を監視するために、今まで俺と仲良くしてくれたのか」
「……そうだよ。報告書を書けば、契約金が支払われるんだ。全部自分のためだ。お前、バカだもんな。ホントにちょろかったよ」
バカだもんな、のひとことには、いつもの軽口みたいな親しさがあった。何年も一緒に過ごした、優吾らしい愛着がこもっていた。
(下手な演技だ)
一爽は優吾に同情するようにそう思った。
優吾は、迷いを吹っ切るように一度、ふうっと息を吐いた。ブレザーの内側に右手を入れる。
「俺には、お前を拘束して監視者の本部まで連れて行くという任務が課せられている」
試すような目で一爽を見た。
「いいか、チャンスは一回だけだぞ。今から俺はしくじるんだ。お前にはさっきの中華丼の借りがあるからな。俺はここで転んでお前を五秒間見失う。そのあいだにどうするか決めてくれ」
「ま、待ってくれ。そんなこと急に言われても、俺にはまだなにがなんだか……」
落ち着きかけていた一爽は、またおろおろと足踏みした。
「情報は与えた。あとは自分で選択して決断しろ。……一爽、生きるってそういうことだろ」
優吾はそう言うと、小型拳銃を出して地面に置いた。
ざらざらしたコンクリートの上に拳銃が横たわる。優吾はその横に腹ばいになった。両手を頭の上で組み、首だけすこし反った姿勢で伏せる。
5……4……3。
一瞬、一爽は逃走経路を求めて通路の先へ視線を送った。
しかし足は動かなかった。
伏せている優吾の姿を見下ろし、心の中で問いかけた。
(本物のお人よしは俺じゃなくて、お前だろ。弟のためにこんな因果な仕事を引き受けて。そのうえ、土壇場でやっぱり俺を逃がそうなんて)
そんな友人を残して逃げることが一爽にはできなかった。たとえそれが、千載一遇の逃走のチャンスだったとしても。
2……1……。
一爽はそこに突っ立ったまま、優吾が顔を上げるのを待っていた。逃げることも、小型拳銃を奪うことも考えられなかった。
……ゼロ。
優吾が、ぱっと組んでいた両手を地面につき、一瞬で両脚を引き寄せて素早く立ち上がった。
そして、さっきと同じ姿勢で自分の目の前につっ立っている一爽をみとめ、絶望的な顔つきになった。
「なんで――! なんで逃げない! 俺がせっかく――」
一爽は両手を広げて弁解する。
「だって、お前がしくじったら、彰吾くんの命はどうなるんだ。移植には金が必要なんだろ? そんな銃とか持ってて、そもそもプラチナベビーズと戦闘になったら、お前は無事でいられるのかよ? それをまだきいていないのに、お前を置いて俺だけ逃げるとか、ちょっとないだろ。この状況で困ってるなら助け合おうよ。だって、俺たち友達なんだからさ」
「バーカ、バカ、バーカ!」
片手を差し出した一爽の前で、優吾は地団駄を踏んでやけっぱちのように叫んだ。
「なんで、なんで、お前はプラチナベビーズなんだよ!」
優吾は泣きそうな顔で言う。
一爽には実際のところ、まだよく状況がのみこめていなかった。
しかし、優吾がここまでして逃がそうとしてくれるからには、このまま監視者に拘束されるとロクな目には合わないということなのだろう。他人に決められた、窮屈な人生を生きなければならないということだろうか。とはいえ、一爽はここで優吾から逃れたとしても、行くあてもない。封鎖された橋を突破できるだろうか。監視者たちは優吾のように銃器で武装しているというのに。
『私たちが必ず助けに行くから、それまでのあいだ絶対にいい子にしていて』
今朝の夢を思い出した。あれが本当に意味のあるメッセージであるならば、あの少女が助けに来るということだろうか。
足音がした。革靴の音だ。ポニーテールの女子生徒のひとりが、食堂と校舎の建物の隙間にいる一爽と優吾をみつけたようだ。
短くしたプリーツスカートに黒スパッツ。肩から小型サブマシンガンをかけていた。
「なにをしている? 避難していないのか?」
こちらに近づいてくる。
「あの子、武装隊だ」
優吾がささやいた。
「やばいな。もう逃がしてやれないぞ」
優吾はすぐに顔をひきしめ、一爽の腕をつかんだ。ブレザーのポケットからタブレットを出し、身分証らしき画面を表示させた。
「ヒューミント隊の永友優吾だ。浅井管理官の指示に従って葉月一爽を拘束、連行中だ」
仲間だとわかり、女子生徒は表情を和らげた。
「武装隊の竹内綾乃(たけうちあやの)だ。中断させて悪かった。任務を続行してくれ」
きびきびとした動作で踵を返し、戻ろうとする綾乃を優吾が呼び止めた。
「そういえば、春待隊長の処遇は決まったのか?」
「いや、まだ管理官たちは会議中だ」
「わかった」
一爽は、駆けていく綾乃の後ろ姿をみつめていた。彼女は、春待が逃がしたというプラチナベビーズを捜索しているのだろうか。
「仕方ない、行くぞ」
優吾が一爽の腕をとったまま、寮への道を歩き出した。
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