第二章   絶対の平和主義者5

   ※   ※   ※


 類がノートパソコンをダイニングテーブルの上にひろげた。

「監視者リーダーの遥馬と交渉してみよう」

 夕食の後片付けが終わり、一息ついたところだった。

 一爽は理央、澪とともに緊張の面持ちで類を見守っていた。

「その前にひとつ、気になる事があって、情報共有しておきたい」

 類がパソコンに少年少女五人のプロフィール画像を表示させた。

「この島には五人のプラチナベビーズがいるって僕は説明したよね。まず、ここに三人いる。僕、澪、一爽だ。そして逃亡中の真尋。もうひとりいる」

 画面の中の写真を指さした。

「宇津木はじめ、一番年下で、最も危険な子だ」

 一爽はテーブルに乗り出して写真を見つめた。

 十歳ほどの子供の写真だ。グレイがかった髪色で、瞳は薄茶色のヘイゼルアイ。欧米人とのダブルのような外見だ。両目は眠そうに半開きになっていた。

「その子もこの島のどこかに?」

「はじめはずっと病院にいたんだ。彼は、島内の病院で完全看護されているはずなんだけど、今は病院のスタッフが誰も通信に応じない」

「病院の人たちも一般人として避難したんだろ?」

 一爽が問うと、類は首肯する。

「うん。もちろん一般の患者とスタッフはそうだろう。でも彼の担当の小児科医は、ヒューミント隊の一員なんだ。彼を保護しながらこの島に残っていたはずだ」

「じゃあ、一爽くんみたいに、はじめくんも監視者の施設に連れて行かれて拘束されているのかも」

 理央の言葉に、類は同意した。

「その可能性が高いと思っている。でもどこにいるのか確かめておきたい」

「一爽くんを助けたときには、地下にそれっぽい子はみつからなかったんだけどなあ」

「澪、君の力でなにかわかるかな?」

 澪は首を振った。

「今は無理。あの子には、たまにしかアクセスできない」

 類も仕方なさそうにうなずいた。

「はじめは、ほとんどの時間、薬で眠らされている子だからね」

「一爽にアクセスするのは超簡単だったのに」

 澪がしょんぼりと肩を落とすのを見て、一爽はちょっと複雑な心境になる。

「ちょ、なんか、俺がすげえ単純ってこと?」

「理央、遥馬に連絡をとってみてくれるかな。彼と直接交渉したい」

「監視施設につなげば対応してくれると思うけど。今の私からの直接のコールに出てくれるかはわからない」

 理央がパソコンのキーボードに手を伸ばした。

 通信用のウインドウが開かれた。細い枠にふちどられたソリッドブラックの四角形だ。

「OK、応じてくれたよ」

 四角形の中に画像が表示された。最初は粒子の荒い画面だったが、数秒後にくっきりとした人影を結んだ。

 類、一爽、澪の三人は息をつめてパソコンの画面を見守っていた。やがて画面の向こうに、自分たちと同じ年頃の少年が座っているのが見えた。鋭い目つきのやせ形の少年だ。体にぴったりとした防護スーツが、ひとすじの贅肉もない黒蛇のような体躯を際立たせている。

『監視者学徒隊、隊長の狩野遥馬だ』

 座った少年は、見下ろすような不遜な態度でそれだけ言った。

 彼の後ろには、中学生くらいのまだ顔つきの幼い少年がロングバレルの銃器を肩に背負っていた。理央の持っていたものと同じガウスガンだ。この子が無戸籍児だったという水渓澄人(みずたにすみと)だろう。

 太刀持ちの小姓のようだ、と一爽は思った。少年の顔に表れる純粋な忠誠心がそんなものを発想させるのだ。

「はじめまして。僕は吉住類という」

 類は落ち着いた口調で名乗った。

『この島で一番の有名人を我々が知らないとでも?』

「それは光栄だ」

 類が微笑んでも、遥馬はにこりともしなかった。

『で? 次の台詞はなんだ? お友達になろう、か? 平和主義の吉住さん』

 類は笑い出した。

「本当に、君は僕をよく知ってるみたいだね。僕のことは類でいいよ」

 そして、やや声のトーンを落とした。

「さすがの僕も、君に『お友達になろう』って言えるほど無邪気でもなくなったよ。それでもあえて言いたいな。遥馬、この難局を、死人を出さずにのりきる方法を一緒に考えないか」

『交渉術の初歩だな。味方になったように錯覚させる言い方だ』

 んー、と類は困り顔で笑った。

「僕は、本物の味方になれると思ってるんだけど」

『お前は、こんな島に閉じ込められてもまだわからないのか、一般人がどんなにお前たちを恐れているか』

「それは一般の人たちの話だろう。君たち武装隊は、僕らに匹敵するくらい強いと思っている」

 遥馬が酷薄に目を細めた。

 一爽は、ぞくっとして肩をすぼめた。周囲の温度が下がったような気がした。

『俺たちはみな、戦うための力をたくさんの犠牲をはらって手に入れた。お前たちみたいな生まれつきの奇形と一緒にするな』

「訓練は大変だったろう。でも、僕らも不自由な生活を強いられている。君たちもいろいろ事情があって契約に縛られている。僕らの境遇は似ていると思わないか?」

 遥馬は頭の位置を下げて、前かがみになった。一爽の側からは、遥馬が四角い穴からこちらをのぞき込んでいるように見えた。

『お前は俺にすり寄って、一体どうしたいんだ?』

 類はあくまで微笑をたたえたまま、ゆっくりとしゃべる。

「僕の最終目的は、プラチナベビーズを人間として認めてもらうことだ。そのために、今の状況を平和的に解決したい。今、問題になっているのは弥生真尋が監視から逃れたことなんだろう? 彼女がおとなしく投降すれば全て解決する、違うか」

『違うな。真尋は元隊長春待太一をたぶらかして俺たちを裏切らせた。春待は現在本土の病院に入院中で、全治二ヶ月の重傷だ。真尋はすでに人を傷つけている』

「それは真尋が直接やったのか?」

 遥馬は黙った。微妙に表情がこわばっているようだ。

「君たちは何か事情を隠してるんだろう。ふたりは恋人同士だった。違うか?」

 類は、澪の言葉を信じて遥馬にゆさぶりをかけている。

『やめてくれ』

 遥馬の顔に、ほんの少しだけ動揺が見てとれた。

「遥馬、つまり、プラチナベビーズと人間は恋愛関係になったんだな。これが本当なら、プラチナベビーズの人間性を証明する確固とした証拠になるんじゃないか」

『現実を見ろ。それがこういう摩擦を生んでいる。俺たちは敵対しているじゃないか』

 うんざりした口調で遥馬が吐き捨てた。

 類は追及せず、あっさりと話題を変えた。

「もうひとつ教えてくれ。病院で監視されていた宇津木はじめ、あの子は今どこにいる? 君たちのところで保護されているのか?」

『こちらも監視担当者と連絡が取れてない。避難時、病院ではパニックが起こったようだ』

 遥馬は、ほんの少し眉をしかめた。

『監視映像では、病院を抜け出した形跡はない。まだ病院内にいると考えるのが妥当だ。今、宇津木はじめと面識のある監視者を保護に向かわせている。そのうち彼から連絡が来るだろう』

 類のほうを挑戦的にみつめた。

『お前たちはどうする? 姉貴を使って葉月一爽を開放したように、はじめも力づくで取り返しに来るのか?』

「うん。はじめくんの身柄もこちらに引き渡してほしいけど、そう簡単には行かなさそうだね。遥馬、単刀直入に訊こう。君たちを動かしているのは、金の力か? それとも僕らに対する恐怖心か?」

『金だ』

 即答だった。

「そうか。でも金で命は買えない。考え直してくれないか。僕はここで誰の犠牲も出さずに終わりたい。君だって仲間を失いたくはないはずだ」

 類の説得に、遥馬は冷笑で答えた。

『金よりも大切なものがあるなんて説けるのは、ある程度の金を持っている人間だけだ。たとえばお前のようにな。高名な国際弁護士の息子、吉住類。俺たちがお前に譲歩するための条件として、俺はトゥエルブファクトリーズと同じだけの契約金を要求する。つまりここに残った監視者一人につき、三千万円だ。現在三十八人残っているから、総額十一億四千万円。それがお前とその兄弟たちの命の値段だ。用意できたら、また連絡してくれ』

 遥馬は試すような目で類を見返した。

『さあ、お坊ちゃま、崇高な理想のためにお父様に泣きつけよ』

 遥馬の頬を一滴の汗がつたっていく。冷や汗だろうか。冷静そうに見えるが、彼も必死なのだ。

 この通話はおそらく島外にいるトゥエルブファクトリーズの幹部にもきかれているだろう。遥馬は勝負に出ている。

 吉住類の父親もしくはプラチナベビーズの擁護団体が、遥馬たちの求める金を――トゥエルブファクトリーズが契約したのと同じ金額を支払うことができたら、監視者の生徒たちは吉住類に従う。

 トゥエルブファクトリーズが期待している戦闘は行わずに、平和的に解決する。遥馬はそう言っているのだ。

 全ては支払われる金次第。監視者の生徒たちはどちらにでもつく。

 類に和解の対価を要求しながら、遥馬はトゥエルブファクトリーズ幹部にも決断をつきつけている。

 あんたたちはどうする?

 本当に俺たちに金を払う気があるのか?

 遥馬が、ふっと自嘲した。

『お前たちは、俺たちの生き方を軽蔑するだろうな。類、今感じてることを正直に言ってみろよ』

「……僕が感じてること?」

 類が戸惑った顔で問い返す。

 遥馬は変わらぬ厳しい表情のまま、口元だけを歪めて笑った。

『俺を軽蔑してるだろ。命を買い取れなんて、まるで誘拐犯やテロリストみたいだって。きれいごとじゃなくて本音を言えよ。「こんなのはプラチナベビーズに対するヘイトだ、差別だ」って。それとも「兵器産業の金にたかって甘い汁吸おうとする、お前らみたいなウジ虫がいるから、いつまでたってもこの世界から戦争がなくならないんだ」、か? お前の正義とやらを、口に出して言ってみろよ。それがどうやって俺たちを救ってくれる?』

 類は黙った。握った手を口元にあててうつむき、考えこんでいる。

 ふと、遥馬はカメラ越しに視線を画面の奧へ送った。

『姉貴、いつまでそいつの後ろにいるつもりなんだ。こいつは弁が立つだけで、何も解決できない腰抜けだぞ』

 理央は悲しげな表情で、しかし、しっかりと遥馬の視線を受けて立った。画面越しにきっぱりと言う。

「遥馬。私は、類の考えに一票入れる。人命はお金には替えられない。私はまた惨めな生活に戻ってもいい。それでもいいから、遥馬に生きていて欲しい。あのとき、守ってあげられなくてごめんね。私はあれからずっと後悔してる」

 遥馬は答えなかった。しかし、一瞬理央に見せた瞳は何か訴えるように幼く見えた。

 理央がさらに何か言いかけたとき、通信が途絶える音がした。遥馬の姿が消える。ブラックアウト。

「まあ、ファーストコンタクトはこんなものかな。でも、僕はまだまだ交渉をあきらめないよ」

 類は重苦しい沈黙を破るようにそう言って、理央を励ますように微笑んだ。

 理央がうつむいた。唇を噛んでいる。

「……類は頑張ったよ。あれは私たち兄弟の問題でもあるんだ」

 窓の外はもう夜の闇だった。庭の木々が黒い影になって揺れている。

「遥馬は私と違って頭がいいんだ。だから、高校にも大学にも行ってほしい。貧乏な生活から這い上がってほしいって、ずっと思ってた。だから姉弟で監視者の契約をした。生きるためになりふり構わなかった。でも今はそれを後悔してる。私は契約を破棄したいと思った。お金よりも大事なものがあると思った。でも遥馬は、貧困こそ大切なものを損なう諸悪の根源だと思っている。……どうやったらわかり合えるのかな」

 一爽は懸命に理央を励ます言葉を考えた。

「あんまり思いつめるなよ。悪いのは理央じゃなくて、周りの大人たちだろ」

 思わず口をついた言葉に、理央はまた少しだけ目をうるませた。

「ありがとう。でもきっと私は間違えたんだ。だから今も、遥馬を止められないでいる」

 理央はちらっと一爽のほうを見ると、力を抜いてまた、へらっと笑った。涙をうかべて笑っている。

「なんでかなー。なんでうまくいかないのかな。幸せになろうって、一生懸命もがいたのに。どんどん大事なものが手を離れていっちゃう。それでも、私はバカみたいに笑っていたいんだ。それだけが、この世界への復讐だ。他人がどんな仕打ちをしたって、私の笑顔だけは奪えない。だからみんなが幸せになるまで、私は泣かないよ」

 みんな、というのはここにいる子供たちみんな、ということだろうか。監視者もプラチナベビーズも、みんな。

 いつもの理央のようにへらへらと、そしてきゅっと胸がきしむような、けなげな笑顔だった。

「私、お風呂、わかすね」

 澪は逃げるように洗面所の奥に走って行った。

 誰かの心が痛むとき、澪もまたなにかを感じ取ってつらく感じているのかもしれない、と一爽は思った。だとすれば、澪の能力は、彼女にとっておろすことのできない重荷なのかもしれない。

 まだ能力らしい力をなにも発現させていない、なにも背負っていない自分に、なにができるのだろう、とその小柄な背中を見送りながら考えた。

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