第四章   沈まぬ太陽5

 類は両手を組み合わせてうつむいた。

「それなんだ。立場が一方的すぎる。なにか、こちらに交渉できる材料があればいいんだけどね……」

 交渉できる材料、そのひとつは『耐性菌感染症の薬』だった。しかし、一爽はそれを無条件に澄人に渡してしまった。

 一爽はふたたび頭を抱えたくなった。

 しかし、はっと思い直した。

 『重要なアイテム』はもうひとつあったはずだ。

 一爽は、ちょっと待っててくれ、言い残して、あわてて自分のリュックサックを持ってきた。帰ってきたときに、玄関に置いたままになっていたのだ。

 リュックはナイロン生地があちこち焦げていた。ジッパーを開けて、真尋から預かったタブレットを取り出した。

「これはどうだ。真尋が持ってた春待太一のタブレットだ。この中に、取り引きできるものが入ってるかもしれない」

 類は眉を上げた。

「隊長だった春待か。でもセキュリティがかかってるだろう」

「真尋からパスワード教えてもらった」

 一爽が自分のタブレットをテーブルに出すと、メッセージの着信のアラートが灯っていた。虹太からのようだ。とりあえず、真尋の送ってくれたパスワードを類に教えた。

「ええと、画像カメラの電波を妨害できる装置がこの島にしかけてあって、そいつをこのタブレットでコントロールできるらしいんだ。春待はそれを使って、監視カメラをごまかし弥生真尋を逃がしたらしい」

「わかった。僕はこのタブレットの内容を分析してみるよ」

 類の横で、一爽は自分のタブレットを手に取り、虹太からのメッセージを確認した。動画のようだ。

「ちょっとごめん。虹太から何か来てるんだ。大事な話かもしれない」

 席を立って、リビングのソファのほうにいった。動画を再生する。

 コンクリートを打ちっぱなしにした広い空間に虹太はいた。太古の神殿のような太い柱が高い天井を支えている。ここはどこなのだろう。

 周囲に海底ケーブルらしきものは見えない。本土の施設なのか。それとも、この島のゴミ焼却場の地下だろうか。

『やられた。……ほんと、やられたよ』

 弱々しい虹太の声がした。

 画面が揺れて、床にへたりこんでいる虹太を映した。自分の手でタブレットを持って撮影しているようだ。虹太は下着のタンクトップ一枚になっていて、それが体にぴったりと張りつくほど汗をかいている。

『一爽、ここには海底ケーブルなんか無かった。脱出できるトンネルなんてないんだ。この厳重そうな扉も、ただのカムフラージュだ。神田造船はやっぱりプラチナベビーズの味方だった。奴らはトゥエルブファクトリーズの幹部に嘘の設計図を渡したんだ』

 カメラがぐるりと反転した。大きな装置が映しだされる。二階建てのアパートくらいの大きさはあるだろうか。大型のロッカーをブロック状に組み合わせたような外観で、あちこちにパイプが走っている。装置の外側に黄色く塗られた足場と階段がついていた。一爽には、それがちょうど安アパートの外付け階段のように見えた。

 大型装置は天井から下りている透明なシャッターにぐるりと囲まれているようだった。虹太はその内側にいるのだ。

『海底ケーブルなんかない。地下でこいつが発電して、この島の電力を支えていたんだ。俺はここのセキュリティシステムに触れてしまった。見えただろ? あのシャッター。防弾仕様で俺にはどうにもできない。この場所から、出ていくこともできなければ、地上に戻ることもできないんだ』

 水が半分ほど残ったペットボトルを、虹太は振って見せた。

『一爽、俺の持ってる水分はこれだけだ。あと半日くらいしかもたないだろう。この画像を類に見せろ。この装置がなんなのか、この島のプリンスであるあいつなら、きっと突き止められるはずだ。そして、この実験から無事に脱出してくれ』

 虹太の眼鏡は、下半分がくもっていた。汗で濡れた前髪が束になっている。

『一爽、未来の戦争を止めろ。頼んだぞ』

 虹太は覚悟したように両目を閉じて、かすれる声で言った。

 動画は終わった。

「見てくれ、ちょっと、これ」

 あわてて類のいるテーブルに戻った。

 装置の映っている画像のところで動画を止め、拡大して類に見せた。

「これはなんだろう? 虹太は、類ならわかるだろうって言うんだ」

 さっそく春待のタブレットをいじっていた類は、ひょい、と首を動かして一爽の差し出した画面をみつめた。最初は不審そうに。そしてだんだんと、食い入るようにじっとみつめた。

 一爽はその様子をじれじれと見守っていたが、我慢できずにしゃべりだした。

「俺、虹太を助けに行かないと。よくわかんないけど、あいつ、あの装置を守るシャッターに囲まれてて身動きがとれないんだ」

 一爽を落ち着かせるように、類は一度一爽の手を握った。

「一爽、虹太は半日くらいもつ、と今言ったんだよな」

「でも半分は強がりだと思う。あいつは人を頼るのが嫌いだから」

 一爽の言葉に、類は何度もうなずいた。一爽をなだめるような様子だ。

「僕に考えがある。情報を整理するから、もうちょっとだけ待ってくれないか」

 一爽は悩む。それまで虹太の体力はもちこたえてくれるだろうか

「たぶん君にやってもらわなければならないことがある。君の能力を使わないとできないことだ。ひょっとしたら、あそこのセキュリティを解除して、虹太を拘束してるシャッターを開けられる可能性もある」

「わかった」

 がむしゃらに行動するよりも、今は虹太の言うとおり、類の知識を頼るべきなのかもしれない。一爽は焦る気持ちをこらえて、椅子に深く座りなおした。

 心を落ち着け、類を信じて待つことにした。

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