第六章 僕らの船7
※ ※ ※
「ほんとお前、お人よしだな。なんで俺なんか助けに来たんだよ」
毒づく虹太の声は、床の振動のせいで微妙に震えていた。
この期に及んでも、素直にありがとうとは言えないらしい。
暑いエンジンの周辺をのがれて、ふたりはシャッターの外に脱出していた。
一爽は思わず虹太につっこんだ。
「え? いや、お前こそ、ちゃんと助けてって言えよ。俺ら友達だろ?」
「……一匹狼気どってたのに、こんなときだけ『友達だったら助けに来て』なんて言えねーよ! 都合よすぎんだろ」
虹太は、ごろり、と床に横たわった。顔の赤みは引いている。元気が出てきたようだ。
「それでいいんじゃねーの? 都合のいいときだけ助け合おうよ。お互い様だろ。なんていうか、虹太は虹太でいいんだ。そういう他人との距離の取り方でさ。無理してつるむ必要はないだろ。なんでもかんでもわかりあえなくたっていいだろ。それでも俺ら、友達でいられるんだからさ」
一爽は床に座って、半開きのシャッターと稼働するエンジンをしみじみとみつめていた。
「俺さ、なんもわかってないバカだった。それでも、お前の知識がずっと俺の行く手を照らしてくれたんだ」
一爽は虹太に、にかっと笑いかけた。
「だから、これは恩返しなんだ。俺には、お前みたいな飽くなき好奇心は持ち合わせていない。でも、行動力だけはあるからな」
虹太は寝ころんだまま、天井をみつめている。
「未来の戦争、俺たちはここで止められるか?」
わかんねーな、と一爽は髪をかいた。
「でも、今回のことで自分のまわり半径二キロメートル内に、こんなにもいろんな考えや境遇の子がいたんだってことには気がついた」
そして、急に思いついて、寝ころんだままの虹太の手をとった。
「なんだよ」
急に手を握られて、ぎょっとした顔の虹太に、一爽は意味ありげに笑う。
「そういや、俺、能力に覚醒したんだよな。虹太、お前には何が見える?」
虹太は少しためらい、それから誇らしげに言った。
「俺の原稿。本になってる。そして、読者が怒ってる。こんな実験が行われたことを知って、世界中の人が怒ってる」
「書くだろ、虹太」
「ああ、ここを脱出できたらな」
虹太は、えい、と反動をつけて上半身を起こし、確信の宿る目で一爽をみつめかえした。
※ ※ ※
類は遥馬と別れ、展望台の玄関前まで来ていた。
足は勝手に右側の建物に吸い寄せられていく。
自動ドアが開いた。この島の住人がまだ誰も足を踏み入れたことのない場所へ、類は歩を進めていった。
エントランスは調度品もなく、がらんとしていた。内装は病院のように白一色だ。壁は正方形のパネルにおおわれて、照明が乱反射してまぶしい。
正面のエレベーターが、すでに扉を開いて待っていた。その五人乗りほどの箱の中心に、大きな椅子があった。黒の合成皮革で張られた椅子の背もたれには、首と頭を乗せるヘッドレストがついていて、下部には足載台までついていた。
類はそこへ収まる。自動的に頭は固定され、金属特有の冷たさを持った機器が首に触れた。
類の前でエレベーターの扉が閉まる。目指すのは最上階の展望室。高速エレベーターが上昇を始め、椅子に寝そべる類の体に、内蔵が下へ引っ張られるような重力がかかった。
類は目を閉じた。
(あとどれだけ、自分は自分でいられるだろう)
自分の後頭部に、髪の毛ほどの太さのワイヤーが渡されているのを類は知っていた。そこを何かの端子につなげば、自分はここにある兵器の奴隷になるのだろう。
こんなことが許されるのか。最初に知らされた時は呆然とした。そして、おもいしった。
(僕はまだ人じゃない。この国では人じゃない。あとに続く弟妹にこんな思いをさせないために、僕は道を作るんだ)
それが正しかったのか、今もわからない。ただ従うほかに方法がわからなかったのだ。自分が彼らの役に立つことを証明すれば、従順に従う姿勢を見せれば、プラチナベビーズに有利になると単純に信じたのだ。
過去の戦争で命を投げ出した兵士たちは、こんな気持ちだったのだろうか。たとえ自分が倒れても、その後に道ができる。橋が架かる。未来につながるはずなのだと。そう信じたのだろうか。
(いや違う。ここで行われているのは実験だ)
類は上昇していくときの胃の不快感を紛らわすように考えた。
芝虹太は案じていたという。ここでデータがとれれば、新しい兵器が実戦用に開発、運用される。そしてその元をとるために本当の戦争が始まる、と。
本当の戦争? それは結局、新しい玩具を試すのと何が違うのだろう。新しい武器をダウンロードして。錬成して。未知なるミッションに挑み。敵をみつける。そうやって何かの使命づけのもとに殺生をくりかえして、姿の見えない誰かを儲けさせる。これから起こる戦争なんて、みんなそんなことなんじゃないのか。
くだらない。くだらない。
(死なないでくれ。みんな死なないでくれ。血まみれのゲームの駒にされてたまるか。僕たちの命は課金ではあがなえない)
※ ※ ※
澪は類の家に到着していた。
はじめは疲れていたのか、着替えるより早くリビングのソファで寝入ってしまった。
すぐにでも起こして地下のシェルターに移動しなくては。
玄関の鍵が開く音がした。澪は急いで廊下に出て行った。
「澪ちゃん、遙馬が監視者の本部にいないみたいなの。なにか知ってる?」
ブーツを脱ぐのももどかしそうに、廊下を膝で歩いて理央がやってきた。
「うん……」
澪は歯切れの悪い返事をした。
「遙馬はどこへ、なにしにいったの?」
理央は澪の肩をつかんだ。必死でとりすがる。
澪は視線をそらせたままぼそぼそと話した。
「遙馬は、荷電子粒子砲の照準をはじめくんからずらそうとしてる。みんなの避難している場所やエンジンを直撃しないように。この船がぎりぎりまで航行できるように」
「どこへ? 照準をずらすってどうやって?」
ヒステリックな理央の様子に、澪は視線をそらせてうつむく。
「照準をひきつけるなら、中学部がいいって言って、はじめくんの発信機を持っていった」
「わかった、中学部ね」
あわてて駆け出していこうとする理央の腕を、今度は澪がつかんだ。
「理央ちゃん、落ち着いて。遙馬はほめてほしかったんだよ。理央ちゃんに認めてほしかったんだよ。自分にもちゃんと誰かを守れるって、証明したかったんだよ。遙馬は、変な仕事始めた理央ちゃんを許してないかもしれない。でも、同時に理央ちゃんをそこまで追いこんだ自分を許せてないんだよ。私にはわかる。だから遥馬は――」
泣きそうな顔になった澪を見て、理央は足を止めた。
一度玄関に戻って、小柄な肩をやさしく両手で包む。
「澪ちゃん、ありがとう。今度こそ私、間違えないよ」
※ ※ ※
海浜中学の校庭に遙馬は立っていた。陸上トラックの中心にただぽつんと。
ぐるりとあたりを見まわす。朝礼台。鉄棒。幅跳び用の砂場。ホースの巻かれた水場。誰もいない校庭はどことなく郷愁があった。
遥馬は展望台のほうをみつめた。展望室の窓にはぐるりと光が灯り、不規則に明滅をくり返していた。
金属の研磨音のような音が、島内の空気を裂いた。円柱形の展望室が、まるでケーキが切りとられたところのように、中心点からぱかりと三角の口をあけた。一人分を切り取ったような隙間から、まがまがしく黒光りする砲身が姿をあらわす。
(怖いか、類?)
ふとあの中に閉じこめられている平和主義者のことを考えた。
自分が自分でなくなっていくのは、死ぬこととどう違うのだろう。
(俺も、少し怖い、な)
身震いがした。
展望室はゆっくりと回転していた。まるでロシアンルーレットのためにリボルバーのシリンダーを回しているような、そんな印象だった。やがて口径二メートルほどありそうな砲身が、遥馬のいる方向を正面にとらえた。
ここを狙っているのに間違いはないようだった。
(やった! 連中の裏をかいてやった)
おかしくてたまらないのに、遥馬の足は震え、冷や汗が止まらなかった。
(やはりここを狙い撃ってくる。姉貴、進学するのはあんたのほうだ。ちゃんと幸せになれ。もう間違わないでくれ。安っぽい気晴らしなんかじゃない、ちゃんとした幸せをつかんでくれ)
遙馬には、理央の長い茶色の髪が見えるような気がした。母親に似たとび色の瞳が見えるような気がした。
「遙馬!」
幻ではない声に振り返った。校門から駆けてくるのは、まぎれもなく本物の理央だった。
砲身の先が放つ閃光が視界を満たしていく。
「来るな!」
「遙馬!」
――よく頑張ったね。
理央の唇がそう言っている気がした。実際には耳から頭部を圧迫する轟音に聴力を奪われていた。
――あんたはいっつも、恩着せがましいな。
言葉にならない声で言って、遥馬は、ほんの少しだけ笑えた気がした。
やっと、今になって心から姉と笑い合えた気がした。
理央の両腕が、女とは思えない力で遙馬を抱きしめた。彼女が強化モジュールの手足を持っていたことを、遙馬は今さらながらに思い出した。
ふたりがもつれて校庭の地面に転がった刹那。全てが真っ白な光で包まれた。
メガフロート全体が揺らいだ。ダイナマイトで発破をかけられたように、中学部の校舎が音を立てて崩れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます