第六章 僕らの船6
※ ※ ※
類は、ひょこ、ひょこ、と筋力の落ちた足でぎこちなく歩いていた。履いているのは足先を保護するための室内履きだ。
腰から下の感触はない。ただ何かに動かされている。倒れないように腰でバランスをとるのがやっとだ。
類が外に出ると、きな臭い匂いが鼻腔をついた。遊歩道の北の方角から、もうもうと黒い煙が立ちのぼっていた。綿で作ったような黒く渦巻く雲の柱の中で、時々ひらりと赤い炎が舞うのが見えた。布やビニールでも焼けて舞い上がっているのだろう。
(はじめがあそこにいたんだ。みんなのためだと信じて周囲を燃やしていてくれた)
類の心が後悔にきしんだ。
(僕の考えたおかしな作戦に巻きこんでしまって、すまない)
ひとりぼっちで自分を始末しに来る武装隊を待っているのはどんなに怖かっただろう。今は澪と合流して、安心している頃だろうか。
徐々に島の中心にある展望台が近づいてくる。類が首をもたげると、タワーの最上階にある平たい円柱が窓に明かりを灯していた。
(僕を招いている。兵器として起動するための最後のパーツを待ち望んでいる)
ミナトタウンの横を通り過ぎようとした時、パソコンのモニターでしか会ったことのなかった男が立ちふさがった。
「ひとりで散歩か? プリンス」
「遙馬か? どいてくれ。これはもう僕の意志で歩いているんじゃないんだ。止まれない」
「まさかお前が、トゥエルブファクトリーズの最後の切り札だったなんてな」
類は力なく笑った。
「だから最初に言ったじゃないか。僕らは似たような立場だって。あれは交渉術でもなんでもない。僕は事実を言ったんだ。監視者もプラチナベビーズも、双方がやつらに買収されているんだ。君たちは金で。僕は自分以外の兄弟(プラチナベビーズ)の命で」
遥馬は舌打ちした。
類は静かに続ける。
「だから、こんなのは全部茶番だ。僕らが命がけで戦う必要なんてないんだ。遙馬、こんなくだらない世界に利用されてしまうな。金もうけのために食い物にされてしまうな」
「類、荷電子粒子砲の威力を知っているか?」
遥馬は、こんなときでも冷淡と思えるほど落ち着いている。
「推定でしかないが、半径二キロと言われている」
「ほとんどこの島を覆うな」
「地下に避難するのがいいだろうな」
「監視者は寮の地下に射撃場を持っている。姉貴が入口を壊したが、あそこが一番丈夫だろう。プラチナベビーズはどうする? お前の自宅がシェルターになってるのか?」
類はうなずいた。そして、蒼白な顔を遥馬に向けた。
「僕は、最後まで抵抗するつもりだ」
荷電子粒子砲のシステムにとりこまれて、自分の意識がいつまで保てるのか、類自身もわからない。すでに自分の下半身は、類の意志を離れて機械的に体を運んでいる。
自分は意味のない無謀なことを考えているのかも知れない、と類の心の奥が恐怖に冷えこんでいく。そのあいだにも、類の体は、無情に遥馬の脇をぎくしゃくと通り過ぎていく。背中をゆがめてうつむく類の耳に、少しだけ感情的な声が響いた。
「死ぬな。それを言いに来た。お前はちゃんと自分の信念を貫け。お前の命だってひとつの命だ。犠牲にはするな。自殺は卑怯だぞ」
「わかっている。僕も闘う。僕の意志で。最後まで。この能力をおさえこんで」
「戦おう。このくだらない戦争を」
※ ※ ※
「あのね、ここでね、お兄ちゃんが、アイス買ってくれたんだよ」
カートに座ったはじめが、ミナトタウンの建物を指さした。
少しでも早く類の家に行くために、澪は外周道路ではなく、島の中心を抜けるメインストリートを選択した。
「ふーん。アイス、おいしかった?」
「うん!」
楽しげに会話に応じていた澪は、突然ぴたりと立ち止まった。はじめを載せたカートを押す手が止まる。
「どうしたの?」
「あいつ……」
澪は敵意を込めた目で前を見た。黒い防護服に身を包んだ痩躯の男子が、ふたりの前に立ちふさがっている。
「空田澪と宇津木はじめだな?」
澪は黙ってにらみつけた。
遥馬は険しい目つきで展望台を見上げていた。
「さっき、類がここを通った」
「……知ってる」
「空田澪、お前は能力で、類の契約のことも最初から全部知ってたよな」
遥馬の口調は、澪に同情するようでもあった。
「事実を知ってても、止められないことはたくさんあるよ」
澪が静かに言うと、遙馬はうなずいた。首からさがった射撃用ゴーグルが揺れた。
「お前たちは類の家に避難するのか」
澪はうなずく。
遥馬は視線をずらし、さっきから買い物カートのカゴの中で膝を抱えている少年のほうを見た。
はじめの着ているTシャツはほとんどがすでに焦げてしまい、首のまわりから小さなポンチョのように布がぶら下がっているだけだった。ズボンもあちこち焦げて肌がのぞくような大きな穴があいていた。
遥馬はかがんで、はじめに視線を合わせた。
「きみが、宇津木はじめくんだね。お兄さんから、ひとつだけお願いがあるんだけど、きいてもらえるかな?」
「な、なんですか」
はじめは震え声でたずねた。全力で澪のほうに体を寄せている。
「君の左の腕の中にプラチナベビーズ監視のための発信器が埋め込まれている」
遙馬は人差し指と親指で一センチほどの隙間を作った。
「このくらいのマイクロカプセルだ。これを取り出させてくれないか」
はじめはまだ何を言われているのか分からない様子でぼんやりしている。
けげんな顔をする澪に、遙馬は説明した。
「これは賭けなんだが、吉住類に最終兵器として召集がかかったのは、海底からのチェーンの巻き上げや橋の破壊が原因ではなく、はじめの破壊活動の痕跡をみとめてのことだと俺は思っている。ミナトタウン付近での彼の暴走は、弥生真尋には想定できなかった突発的な事故だ。あのときは、真尋自身もあわてていたから、監視カメラの画像の妨害ができなかったんだろう。それを確認したトェルブファクトリーズの幹部が、はじめを制圧するために荷電子粒子砲を起動させたと考えている。
俺の推測が正しければ、今動き出した荷電子粒子砲の標的は、はじめくんに設定されているはずだ。だから、その発信器を取り出して、俺に預けてほしい」
「あんたは、それをどうするの」
遙馬は力なく笑った。
「澪、お前なら俺の考えは、もうわかってるんだろう? ゴミ処理施設の下にはディーゼルエンジンがあって、葉月一爽と芝虹太がいる。寮の地下は俺たち監視者の射撃場になっている。そして君たちプラチナベビーズは類の自宅地下に避難する予定だ。それらの場所から照準をはずすためには、たぶん海浜学園中学部の校舎が方角的に最適だ。俺が的になって照準を誘導するんだよ。これで俺の戦いは終わる」
最後に、遙馬は軽い調子で小首をかしげて見せた。
「俺と類との一騎打ちだな」
澪は不服そうに目を細めた。
「自分から死ぬのは卑怯だって、あんたは類に言ったくせに」
「そうだ。そのとおりだ。だからこそ――卑怯者は俺一人で充分じゃないか」
ふたたび遙馬は笑った。諦観を帯びた笑顔だった。
「自分でしたことの責任を果たすだけだ。金をもらってトゥエルブファクトリーズの兵士になった時から、こんな結末は予想できていたんだからな」
そして、澪の前にいるはじめに話しかけた。
「そういうわけだから、お兄さんに協力してもらえるかな?」
はじめは澪のほうを心配そうに見上げ、やがておずおずと、煤で汚れて生白さの目立つ左腕を遙馬の前に出した。
遙馬は、腰についた物入から黒い筒状の道具を取り出した。
「怖がらなくていい。金属探知機だ」
検針用の小さなものだった。遥馬はさらに、折り畳みナイフを取り出して、広げて咥えた。
金属探知機をはじめの左腕の内側にゆっくり添わせていく。
電子音が鳴った。その場所を注意深く親指で押さえて、探知機をしまい、折りたたみナイフを手にした。
「はじめくん、ちょっとだけ痛いけど、我慢だ」
はじめが歯を食いしばってうなずく。
遥馬のナイフが、浅くはじめの腕の皮膚をえぐった。血のついた刃先に、髪の毛のような黒い糸がひっかかってくるのを、遥馬はそっと指でつまみあげて引っ張った。
はじめは一度びくり、と体をこわばらせたが、あとはじっと耐えていた。
ひっぱる糸の先に、一センチくらいの銀色のカプセルが現れた。逃亡防止の発信機だ。遥馬は、ほっと息を吐いた。
そして、今度は自分の左腕にナイフで傷をつける。はじめの傷から取り出したカプセルを、自分の腕の傷の中へ埋めこんだ。
ぎょっとした顔をしているはじめに、遥馬は説明した。
「発信機の周辺には随時微弱な電流が流れていて、体外に取り出されたことを感知するしくみになっている。これで大丈夫だ」
遥馬はナイフをしまうと、絆創膏を出して澪に渡した。
「貼ってあげてくれ」
もう一枚取り出すと、片手と口をつかって絆創膏の包装を剥き、自分の傷に貼った。
「よく頑張ったな」
相変わらずそっけない声で、遥馬ははじめの腕をみつめていた。
「……こんなに細い腕をしていたんだな」
遥馬がつぶやいた。自分の腕とくらべているようだ。
「そうだよ。なのにあんたはさっきまで、この子と澄人に殺し合いをさせようとしてたんだよ」
澪が責めるように言うと、遥馬は皮肉に笑った。
「それが、さっきまでの俺たちの正義だったからな」
それから遠くを見て、少しせつなげな顔をした。
「世界から見捨てられたものは、自分を生かしてくれるものを正義と信じるしかないんだよ。俺の母親と同じようにな」
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