第三章   孤独な少年たち5

「弟にはもう、生体間移植か脳死移植しかないんです。肺は、国内の臓器移植ネットワークに待機登録しても、順番がまわってくるまで成人で三年はかかるんです。十五歳以下の子供のドナーはもっとずっと少ない。でも弟にはもうそんな時間は残されてないんです。俺は、弟が海外で肺移植を受ける費用を稼ぐために、ここにいるんです」

 真尋が表情を険しくした。

「弟が病気なの?」

「突発性肺線維症という病気なんです。弟が十才の時、母親が生体移植で片肺の三分の二を提供しました。でも大人の肺だったから、あまりうまくつながらなかったようで、どんどん機能が落ちてきているんです。それで、海外での移植手術をめざして募金活動を……していました」

「していました? 目標金額に達してないの?」

 おもいつめた優吾の目から、ぽろ、と涙が一滴つたった。

「募金活動は中断されているんです。やらかしちゃったんですよ。俺と父親が」

 優吾は、人生最悪の日に起きたことを語りはじめた。

 その夜はふたりとも疲れきっていた。父は毎日夜遅くまで仕事。優吾は学校に行き、夕方からは彰吾の病室に顔を出していた。

「なんかもう毎日めまぐるしくて、くたくたで。でもおかげで手術の資金は順調に集まっていました。で、その日、魔が差したっていうか」

「外食しよう」そう言い出したのは父親で、ふたりで駅前の繁華街まで出た。ファストフード店や格安を売りにしたチェーンのファミリーレストランは、試験明けの学生でごったがえしていた。そこを避けて、静かな地元のイタリアンレストランに入って食事をした。

「その次の日ですよ。目が覚めたら携帯のメールも、アプリのメッセージもパンクです。俺たちが食事している所を誰かにこっそり撮影されて、ネットでばらまかれたんです。『この一家は次男の病気をネタにお金を集めて高級レストランで贅沢してる』って。見たこともないIDからすごい中傷のメッセージが送られてきて。それがまた拡散されて、どんどん増えていくんです」

 それは、優吾とその家族への悪意がすさまじい勢いで増殖していくのを、数字にしてまざまざと見せられているようだった。

「今思えば、俺たちがうかつでした。弟のことを知っている誰かに見られてたんですね。募金集めるために、地元であちこちの集まりに顔を出していたのが仇になったみたいです。あまりにもネットの反感がすごくて、しばらく募金活動を自粛しようって、ボランティアの代表の人に提案されました。そっちの事務所のほうにも苦情や中傷の電話やメールがすごかったみたいです」

 一爽は言葉を失う。世間に対して言いようのない怒りを感じた。

「今まで同情的だった第三者が一気に敵にまわったんだね。そういうふうに人をひきずりおろすのが好きな連中ってどこにでもいるんだよ」

 真尋も憤っている。そっけない口調だったが、それが彼女の精一杯のなぐさめのように思えた。

 優吾は苦笑しながら新しい涙をこぼした。

「他人があれこれ言うのはもうどうしようもないんです。止めることもできないし。俺が一番つらかったのは、それで家族がバラバラになっちゃったことで……。母はもう半狂乱で俺と父を責めるんです。なんでもっと安い店にしておかなかったのか、とか。コンビニで弁当買えば、とか。でもそんなこと言われても、あとの祭りじゃないですか」

 その後の家は冷凍庫のようだった、と優吾は話した。

 家族がみな必死で頑張っていることはお互いにわかってるはずなのに、顔合わせると相手を責める言葉しか出てこない。そんな両親の間で優吾はどうしていいかわからなかった。ただ凍え死なないように手足を縮こめてひたすらやり過ごすしかなかった。

「決定的だったのは、十六歳の誕生日のことです。そんな場合じゃないってわかってたけど、でも少しは両親がお祝いしてくれるかなって期待してました。そんな俺へ母が用意してくれたプレゼントは、クロスマッチテスト。つまり弟の次の生体移植のドナーになれるか病院で検査を受けてくれってことです。俺から健康な肺を切り取って、弟に移植させてくれって話です。

 なんか、それが……その時の俺には素直に受け入れられませんでした。俺は冷酷かもしれません。兄として失格なのかもしれません。何もなければ、弟のために協力したと思うんです。でもその時は、なんだか、母親から『あの日のことを償え』って脅されてるみたいで怖くなったんです。だから、息苦しい家から逃げるようにここへ来ました。両親に『プラチナベビーズと戦ったら三千万円もらえるんだ』って話したら、止めもしませんでした」

 優吾はうつろに笑った。

 真尋は少し思案していたが、決心したように目に力をこめて優吾を見た。

「そっか。じゃあ、私もさっきの質問に答えるね。私には人間の肺は作れない。私の能力は、君が期待するほど万能じゃないの」

 優吾はそれをきいて、支えを失ったようにへなへなと床に膝をついた。

「……ですよね。いくらなんでもそんな都合のいい話……。もしそうだったら、この国の移植医療はもっと飛躍的に進歩してるはずですしね……」

 一爽は真尋と一緒に、優吾を支えて売り場の脇にあるベンチに座らせた。はじめも心配そうな顔で見守っている。

 真尋は穏やかに話した。

「あのね、さっきも言ったけど、私、今のところ、内蔵とか脳とか複雑な臓器は作れないの。今まで人間のパーツで成功させたのは、手足と移植用の皮膚片だけ。正直いうとね、皮膚だって本当は細かい階層にわかれていてそれぞれの働きがあって決してつくりが単純ってわけではないのよ。ただ私の能力で作ったものは、生体組織の断面の神経をつなぐことが簡単にできたから、感覚や筋力を要する部位で利用できるように研究されてきたんだと思う。名医と言われる外科のお医者さんでも、移植で細い血管や神経を傷つけずにつなぐのは難しかった。でも私の作るものはそこを補えたから」

 真尋はかがみこんで、優吾の顎についた雫を指先でぬぐった。

「それに私ね、手で実際に触ってみたものしか再現することができないの。皮膚も手足も本物の生体の見本に触ったの。表皮、真皮、皮下組織、その下の脂肪、筋肉組織、血管、神経束。そこまでして何度も試作して、ちゃんと実用できるものが作れるようになったの。

 君たちが現場を見たら引いちゃうくらい、それは血まみれでグロテスクな歩みだったよ。でも、その成果で女の子と男の子、大怪我した子を一人ずつ助けることができた。その子たちはここでまた実験に利用されてしまうけど……」

 真尋は心もちうつむいていたが、はっと我に返った。

「ええと、ごめん。つまり、私が肺を作れるかどうかは、本当はまだわからない……。でも作れるようになるためには、実際に人間の肺に触れなくちゃならないし、また長い試作期間が必要になると思う。仮にできたとして、それが医療現場で実用化されるまでの道のりを考えると、ぶっちゃけ、ドナーを待つのとどっちが早いか私にもわからない」

 真尋はそこで、きゅっと強気そうな眉をあげた。

「残酷なようだけど、でもだからこそ私は、君は正しい選択をしたと思うよ。三千万。それを寄付金に上乗せして弟の命を救えるなら、そっちのほうが話が早いし、確実だ。君はそのために危険をかえりみずにここに来た。それは勇敢で立派な兄の姿だと思う。永友くん、胸を張ってよ」

 真尋のなぐさめかたは独特だ。優しいというよりも凛々しい。いつも何かに立ち向かっているような、力強い女の子だ。

 一爽は優吾の背中に手を置きながら、真尋に尋ねた。

「あの、真尋さん、あなたはこれからどうするんですか。俺と一緒に、類のところに行きませんか」

 真尋は一瞬固まった。

「類に交渉してもらって、平和的に投降しませんか。それで、この一件は収拾がつくんじゃないですか。優吾もそれを望んでいます」

「葉月くんは、本当にそんなふうに思ってる?」

 立ちあがった真尋の声は、とげとげしい疑念に満ちている。

「君だって、知らないうちに親友に監視されててショックだったでしょ?」

 優吾が首をうなだれる。

「こんなこと、もう終わらせない?」

「終わらせるって?」

「永友くんだって、早くお金もらって家族のもとへ帰らなきゃでしょ。だから、私たちがこの実験を終わらせてあげようって」

「私たち?」

「そう。それが私たちの悲願だったの」

 真尋と春待、ふたりの願いだったということか。

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