第三章 孤独な少年たち4
※ ※ ※
「ねえ、ふたりとも朝ごはん食べた? これ、消費期限午前四時までだけど、まだいけるっしょ」
大きな声とともに、食品売り場のほうから現れた少女を見て、一爽はすぐに弥生真尋だと理解した。
真尋は赤のワンピースにスパッツ姿だった。ワンピースは伸縮性のあるニット生地で動きやすそうだ。髪はベリーショートにしていて、小顔でスタイルがいい。意思の強そうな大きな目をしていた。一爽は母親の好きな古い映画のポスターを思いだした。たしか主演はオードリー・ヘップバーンという女優だった。
真尋が近づいてくると、腰にホルスターをさげていて拳銃を携帯しているのが見えた。一爽が理央から借りている銃とよく似ていた。あれはおそらく春待太一に支給されていたものだろう。
真尋が左手にさげた藤カゴの中には、菓子パンや総菜パンがたくさん詰めてある。森を散歩する乙女のような足取りで、はじめのいるベンチのほうへやってきた。
一爽の存在を認めて、真尋はぴたりと足を止める。
しまった油断してた、という顔だ。
表情をこわばらせ、ホルスターに右手をかけて、優吾に詰問した。
「なんで仲間増えてるの? ここにいる間、お互いに援護は呼ばないって約束したよね?」
優吾は両手をあげて、無抵抗を示した。
「俺は仲間なんて呼んでませんよ。一爽はプラチナベビーズだし、吉住類のところから来てるわけだから、どっちかというと、あなたの仲間だと思うんですよね」
優吾は冷静に説明した。真尋は春待と同じ三年生なので、なんとなく敬語になってしまうようだ。
「私、そんなこと類に頼んでないし」
「俺もですよ」
「はいはい、ごめんなさい。俺が勝手に来ました。ごめんなさい!」
一爽はなかばやけっぱちで謝った。世の中は理不尽だ。
「そうだよ。余計にややこしくなったじゃん」
追い打ちをかけるように、真尋はややふてくされた口調で言うと、感慨深げにじっと一爽の顔を見た。
「――君か。君が、『能力未知』の葉月一爽か」
やがて、くるりと向きをかえて、優吾のほうを向いた。
「そっか、これで類のとこにプラチナベビーズがみんなそろうんじゃない? 私と戦う準備ができたね」
「あの、本当に戦いが必要なんですか」
一爽がたずねると、真尋はあっさり答えた。
「必要でしょ。監視者のみんなはお金が必要なんだもんね」
くりっとした大きな目の奥には、決死の覚悟がどっかりと座っているようだった。
※ ※ ※
アイスを食べ終わって、やることのなくなったはじめに、優吾は真尋の持ってきたパンを食べさせた。
はじめにとってはこれが今日の朝ごはんになるようだ。優吾は自販機でパック入りの牛乳も買ってやっている。
「食料、分けてくれたんですよね。ありがとうございます」
優吾が律儀に礼を言うと、真尋はちょっとだけ照れ臭そうに笑った。
「お腹すきすぎて、あのチビ恐竜がまた暴れだしたら困るからね。君たちも食べなよ。いっぱいあるから」
真尋ははじめのとなりに座り、クリームパンをほおばっているはじめの頬を、ティッシュで拭いてやっていた。彼女も小さな子の世話をするのが嫌いではないようだ。
一爽は、姉弟のような様子をながめていた。
ここにも、不思議と平和な空気が流れている。
「俺はいいよ。類のうちで食べてきたし」
一爽が手を振って断ると、優吾はひとつだけパンをつかんだまま考えこんでいた。食欲がわかないようだ。
朝ごはんを食べ終わったはじめは、二階の催事場前の広い通路で遊び始めた。真尋と一爽もなんとなくつきあう。
「わー、お兄ちゃんと手をつなぐと、いっぱいアイスが見える!」
一爽と手を繋いでケンケンしていたはじめが、急に歓声をあげた。
「あとね、靴。それと……誰だろう。誰かいる。夢に中に出てきた子かな」
一爽がはじめの体に触れていると、はじめの視界にだけ何かが見えるらしい。
「俺の能力っぽいんですけどね」
「なにそれ、どういう能力?」
「俺にもよくわかんないんですよ」
真尋があきれたような顔をする。
(なんだこれは。なんの能力だ?)
とにかく、はじめのように発火したり、類のようにバリアを作れたり、そういうカッコいい能力ではないようだ。
「全部、僕が、欲しかったものだー」
はじめが嬉しそうに、色白の頬を薔薇色に染めた。
「ああ、そうか。そういうことか」
その様子を見ていた優吾が笑いだした。
「そういうことって?」
「うん? 俺にはさ、いつもパフェグラスが見えたんだよ。一爽が俺の肩を、ぽん、て叩いたときとかさ。不思議だなって思ってたんだ」
「パフェグラス?」
「うん、三つのパフェグラスと、ひとつのガラスのコップ。あれは、じゃんけんパフェだった」
「じゃんけんパフェってなに?」
一爽がたずねると、優吾は苦笑しながら説明する。
「昔、弟がもっと元気だったころ、うちには綺麗なアンティークガラス風のパフェグラスがあってさ。夏になると家でそれにパフェを作るんだ。って言っても、ビスケットとか家に買い置きしてるお菓子を入れてバニラアイスを入れて、チョコレートシロップをかけるだけなんだけど。コーンフレークとかマシュマロとかバナナとか、その時のあり合わせでなんでも入れちゃうんだ。グラスは四人家族でちゃんと四人分あったんだけど、ひとつ割れちゃって。同じ物が買い足せなかったみたいで、仕方なくひとつだけ普通のコップで代用してた。だからひとつだけ、ただのガラスのコップに盛りつけるんだ。
コップは小さくて、入るアイスの分量も少ない。誰がコップのパフェを食べるか、家族と仁義なきじゃんけんで決めるわけ。でさ、なぜかいつも最後は俺と弟の一騎打ちになって。俺も弟もゆずれなくて何度も『もう一回じゃんけん』って言うから、いつまでも勝負がつかないんだよ。だんだんアイスは溶けるし、もう何のためにじゃんけんやってるのかもわからなくなってきて。それでも『もう一回、もう一回』って笑いながら、じゃんけんし続けた」
優吾は遠くを見るような目つきになる。
「弟とふざけあってばっかりいた。あの頃は楽しかったな。この島に来てから何度も見てたんだ。たぶん、お前の力で。お前が俺のどこかに触れる。そうすると俺の目の前にはいつもあれが見えるんだ。アイスの入った三つのパフェグラスとひとつのコップ。
それを見るたびに俺は迷ってしまうんだ。俺だって本当は、金が欲しかったわけじゃない。一爽を騙してこんな監視活動をしたかったわけじゃない。……本当はただ、あの頃の楽しかったあの家に帰りたいだけなんだって」
本当に欲しかったもの、優吾にもそれが見えていたのだ。
「ねえねえ、次はお姉ちゃんも、このお兄ちゃんと手つないでみて」
はじめが真尋に訴える。
「やだっ」
真尋が反射的に大きな声をあげた。
「あ、ですよねー」
おもいきり拒否されて、鼻白む一爽に、あわてたように真尋が言う。
「あ、君が嫌なんじゃなくて、私は……」
そこで、急に顔をしかめた。
「……私は、自分が本当に望むものなんて、見たくないんだ」
真尋の望むものとはなんだろう。
自由な生活。春待と過ごすはずだった青春。そういうものだろうか。そんなものを今さら見たくない、というのだろうか。夢を見ればそれだけ現実との落差に苦しむ、ということだろうか。
「真尋さん、試してみませんか、俺の能力」
一爽はあえて手を伸ばした。
真尋は怯えるような目でその手をみつめる。
「自分が本当はなにを望んでいたのか、ちゃんと確かめてみませんか?」
真尋は首を横に振った。もういい、と言いたげだった。
「お姉ちゃん、恐くないよ。大丈夫だよ」
はじめが困ったような顔で、ふたりを見比べている。
「私はいいんだ。それより、今度はお姉ちゃんの能力を見せてあげよっか」
真尋はごまかすように笑って、自分の両手を上下に重ね合わせた。
真尋はしばらく目を閉じて集中していた。
すると、両手の隙間にピンク色のゲル状の液体があふれてきた。
一爽は釘付けになってその光景をみつめていた。はじめも、少し離れたところにいる優吾も、食い入るように見守っている。
真尋が目を開いた。
ピンク色の粘液を、泥団子でもこねるように手の中で丸めて転がしていく。両手の平でいつくしむように包みこんで、やがてぱっと広げると、そこには羽の濡れた小鳥が横たわっていた。真っ白な羽に桜貝のようなくちばし。精巧な白文鳥の模型のようだ。
その文鳥の細い足が、ぴくぴくと動いて虚空を掻いた。黒い目をぱっちりと開ける。飛び起きると、ぷるる、と身を振るわせて羽を乾かした。
「すごい、生きてる!」
はじめがさっきよりさらに大きな声をあげた。まさに奇跡を目の当たりにしたのだ。
小鳥は、真尋の手のひらを蹴って飛びたつ。
はじめの頭の上を軽やかに羽ばたいた――と思った次の瞬間、突如バラバラになって落ちてきた。空中分解、まさにその言葉どおりだった。
一爽は思わず両手をひろげてその残骸を受けとめた。
不気味に感じながら、手の上を見る。白菊の花弁を重ねたような翼が一対。つぶらな眼とくちばしが備わった頭部。繭玉のような胴体。そして、針金の細さのピンク色の足が一対。それらは、プラモデルの部品のようにひとつひとつ分かれていた。出血も、引きちぎられたような跡もない。ただ、朱色の断面を見せて綺麗に分かれているだけだ。
「ごめんね。生きてはいないんだ。最初っからまがいもの。複製して作っただけで、生命なんかないんだよ。だって私、神様じゃないもん」
真尋が笑って言った。
一爽は、手の上の物体をもう一度まじまじと見た。小鳥の部品は見る間に透き通っていく。ガラス細工の肉体に細かい毛細血管が透けていた。やがてその血管も周囲に溶けこんで、全体が半透明のピンク色に染まる。どろりとゲル状の液体に戻って、指の間からこぼれていった。
「ごめんね、気持ち悪い? 葉月くん、手、拭いていいよ」
真尋がハンカチを手渡してきた。
「これが私の能力」
「あの子、もう生き返らないの?」
はじめの悲しそうな問いかけに、真尋は困ったような微笑みで応えた。
「あの小鳥には、羽や足や筋肉はある。でも臓器や脳がないの。部品同士の血管と神経が一瞬つながっただけで、心臓も脳も持たない空っぽの体なの。すぐに、生命を維持する整合性が取れなくなって、バラバラになってしまう。研究棟でいろんな実験に協力してきたけど、私、最後まで生命そのものを作ることはできなかったんだ」
一爽は圧倒されていた。研究所での訓練によって、真尋の能力はこんなことができるところまで洗練されたのだ。彼女の能力を利用して、理央と澄人の義手義足は作られた、と理央は言っていた。
いつのまにか優吾が真尋のすぐそばに立っていた。
「あ、あの、今の能力について、ひとつだけ質問してもいいですか」
優吾は急にあらたまった態度で真尋にきりだした。
「何?」
真尋はけげんな顔で優吾を見る。
「あの、あなたは――」
優吾は苦しそうな顔をしていた。火傷の痛みとは違う、腹の中にぎゅっと固まったしこりに耐えるような顔だ。
「あなたは、十二歳の子供の肺を作ることができますか?」
真尋は優吾の顔をじっとみた。
「十二歳?」
「片肺だけでもいいんです。どうにかなりませんか?」
優吾の瞳がみるみる潤み、頬がひきつっていた。せきをきったように優吾はしゃべりだした。
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