その偶然は運命の悪戯

 守護者の砦から離れたところにひっそりと構える小さな酒場。

 カウンター席に腰掛ける侍風の男は、昼間から徳利とおちょこを目の前に置いてじっと座っている。 すると酒場の扉が慌ただしく開かれた。

 

「うぎゃー! びしょ濡れだぜ! これだから雨は嫌なんだ」

「ララーナさんたちは大丈夫でしょうか? せっかくのデートなのに、こんな大雨にポツポツ降られるだなんて………」

 

 シェンアンは雨で濡れてしまったローブの裾を絞りながら、心配そうな視線で外を眺めている。

 

「あ、やっぱりいたのかエンハ! お前またここでアディール待ち伏せしてたのか?」

「おぬしが言うでないわ吸い取り小僧。 お前さんたちもあやつをここで待つつもりかのう?」

 

 呆れたような顔でおちょこに注がれていた飲み物をカッと飲み干すエンハ。

 

「おやおやエンハさん、またオレンジジュー酒ですか? お子ちゃまですね」

「あはっ! シェンアンちゃんうまいわね! オレンジジュー酒! この名前広めましょうよ!」

「さすがハナビさん! このネーミングの素晴らしさがわかりますか!」

 

 愉快そうに手を叩いているハナビを見て、満足そうに腕を組みながらうんうん頷くシェンアン。

 

「それにしても、その見た目でオレンジジュー酒はさすがにパンチ強すぎですよ? もっと私みたいに大人な雰囲気を出していかないと! またアディール先輩にケラケラ笑われちゃいますよ?」

「お主が言うか? ぺしゃんこ娘」

「だからそのあだ名はやめてくださいって言ってるじゃないですか!」

 

 濡れていた三角帽子を外しながら地団駄を踏むシェンアン。

 

「まあまあ、とりあえず濡れちまったし、服乾かそうぜ?」

 

 サラカに宥められ、口を窄めながらエンハの方に歩み寄っていく二人。

 シェンアンは至極色のサラサラとした髪に手櫛を入れて、おさげにしていた髪の毛を結び直しながら眉尻を下げた。

 

「湿気で髪が広がっちゃいました」

 

 対してサラカはブルブルと犬のように体を左右に振って、あたり一帯に水滴を飛ばす。

 

「これっ! この! それがしの飲み物にばっちい汚水が入ってしまうではないか!」

「サラカ先輩最低です! また濡れちゃったじゃないですか!」

 

 二人に叱咤され、サラカは口を窄ませた。

 

 

 

 三人並んでカウンター席に座ると、ハナビがびしょ濡れ状態の二人に手をかざす。

 するとハナビの手から熱風が優しく噴き出して、濡れた二人の洋服を乾かしていく。

 

「あぁ〜、ハナビさぁ〜ん。 ポカポカあったかくて気持ちいいです〜。 私と結婚してくださ〜い」

「ちょっとシェンアンちゃん? この前ララーナちゃんにも同じこと言ってたらしいじゃない! これは浮気よ!」

 

 口をニマニマさせ始めたシェンアンにガミガミ文句を言い始めるハナビ。

 

「そういえばおぬしら、あの小娘を尾行するとか言っておったな?」

「ああ、なんかあいつらがララーナちゃんの大切な場所に行くって言ってたからよ、気を遣って覗くのをやめて帰ってきたんだよ。 おっちゃんウイスキー! ロックでいいぞー!」

 

 サラカが何食わぬ顔で酒を注文しながら答える。

 

「いや、デート覗くとか。 あんたら本当に最低よ?」

 

 ハナビがジト目を向けながらサラカにヤジを飛ばす。

 

「尾行するって言い出したのはシェンアンだぜ? 俺は面白そうだったから着いていっただけだ。 アディールがララーナちゃんにビキニアーマーを着させようとしててな、止めるのは大変だったぜ」

「え? 嘘でしょ? アディー、そんな趣味があったのね? いい男だと思ってたのに、ドン引きだわ」

 

 ハナビが顔を引きつらせながら身震いさせた。

 

「なんかの勘違いであろう。 あやつはそんな男ではないわい」

「おお! あのエンハさんが、アディール先輩をガバッと庇いました! ビックリ驚きです」

 

 シェンアンが目を見開きながら身をそらし、大袈裟に両手を胸の前に持ち上げた。

 

「そんなことよりエンハ! 今日はあの支援術師一緒じゃねえのか? 確か、名前はガイスだっけか?」

 

 サラカは注文していたウイスキーを一口飲みながらエンハに視線を送った。

 

「今日は雨だったからのう、迷宮に行くのは休みにして訓練場に行っておったのだが、雨が強くなり始めたから午前中のうちに解散したのだ」

「なるほど! それで、ガイスさんはどちらに行ったんですか?」

 

 シェンアンが首を傾げながら問いかける。

 

「さあのう? 大方、午後退院予定のビリビリ小僧を迎えに、病院にでも行っておるんだろう。 ま、既に退院していたのなら、すれ違いになってしまったようだがのう」

 

 エンハは徳利に手を伸ばしながらボソリとつぶやいた。

 

 

 ♤

 雨の音が響く処置室内で、物憂げな表情で窓の外を眺めているビークイット。

 そこに、恐る恐る処置室のドアを開けて入っていく青少年がいた。

 

「あ、あれ? ビークイットさんだけですか?」

 

 入口から名前を呼ばれ、振り返りながら微笑むビークイット。

 

「あら? ガイス君ね? アディール君ならもう退院させちゃったわよ? ララーナちゃんと鎧を買いに行ったわ?」

「あ、そそそ、そうだったんですか。 それでは、僕はこれで………」

「待・ち・な・さい! なんでそんなに怯えているのかしら?」

 

 突然呼び止められ、ビクリと肩を跳び上がらせるガイス。

 ビークイットの冷たい声音を聞いた瞬間、ガイスは全身から汗を溢れさせた。

 

「べっべべべべべ、べつに怯えてなんていないですよ?」

「ふふ、ごめんなさいね? この前のお仕置きがそんなに怖かったのかしら? 初めてだったから優しくしてあげたんだけどね?」

 

 色っぽい仕草で口元に手を添えるビークイット。

 その妖艶な仕草を直視したガイスは、ごくりと喉を鳴らせた。

 

「ガイス君って可愛いわね? なんだかいじめたくなっちゃうわ?」

「ゴッごめんなさい用事思い出したのですぐ帰って用事をします本当にごめんなさぁぁぁぁぁい!」

 

 まるでサキュバスのようにペロリと舌なめずりをしたビークイットを見て、ガイスは飛び上がりながら逃げ出した。

 逃げ去るガイスの背中をながめて鼻を鳴らすビークイット。

 

「なんだか悪いことしちゃったかしら? 少しからかっただけなのに」

 

 

 

 肩で息をしながら病院を出たガイスは、降りそそぐ雨を見上げながら困った表情をしていた。

 

「どうしようかな、暇になっちゃった」

 

 ガイスは灰色の空を見上げながら眉間にシワを寄せる。

 

「いや、こう言う時こそサボらず、ちゃんと魔法の練習をすれば他ときっと差がつくんだ! よし、街の外で魔法の練習でもしよう! こういう隠れトレーニングは、誰にも迷惑かからないところでやらないとね!」

 

 ガイスは一人で呟きながら、軽い足取りで駆け出した。

 正門の方に向かっていくガイスは、ものすごい形相で走り回っている門番を見つけ、首を傾げた。

 何かあったのかと思い、興味本心で駆け回る門番に走り寄っていく。

 

「…れか………け………さ……………!」

 

 門番は走りながら大声で何か叫んでいるが、雨のせいでよく聞き取れない。

 距離も百メートルくらい離れてしまっているため、大声で叫んでても雨音でかき消されてしまうのだ。

 ガイスは仕方がなく足元に魔力を集中させ、風を噴射して瞬時に門番に近づく。

 たった一歩で門番の横に追いつくと、首を傾げながら声をかけた。

 

「どうかされたんですか? かなり慌てているようですけど………」

 

 突然隣に現れたガイスを見て、門番は瞳を輝かせた。

 

「あなたは! 守護者さんですか?」

 

 手を取られ、瞳をうるうるさせながら急接近してくる門番。

 

「え? ああ、一応守護者ですが。 あなた、どこかで会ったことあるような、もしかしてこの前も泣きながら走り回ってました?」

「お願いです! どうか、どうかこの町を救ってください!」

 

 話も聞かず、涙目で何度も頭を下げる門番を見て、ガイスは困りながら視線を泳がせた。

 

「落ち着いてください、何があったかわからないと対応のしようもないですよ?」

 

 ガイスは興奮状態の門番を落ち着かせようと、優しい口調で声をかけた。

 

「西、西門の外に、人型の化物が来てしまったんです!」

「西門? 武具屋がある方角ですか。 ここまでくる途中にアディールとかいなかったんですか? あいつならきっと助けてくれそうなのに」

 

 ガイスは訝しみながら門番に視線を返す

 

「アディール様は、西門に現れた化物と現在交戦中です!」

「交戦中? 化物って具体的になんですか?」

 

 ガイスは目を細めながら西に視線を送った。

 

「わからないんです! 灰色のオーラを纏った、人型の化物でした! 私は西門で日直番をしていたんですが、急に戦闘が始まって! アディール様の、足が!」

「オーラを纏った、人型? そんな、まさか!」

 

 ガイスが顔を青ざめさせながら門番にずいと身を寄せる。

 

「西門のどの辺りですか!」

「一本杉のすぐそばです、お願いです! アディール様を助けてください! あの方は我々の救世主なんです! ですからどうか! どうか助けてください!」

 

 大泣きしながらしがみついてくる門番の手を払ったガイスが、真剣な顔つきで振り向いた。

 

「わめいてる暇なんてないですよ! あなたはエンハさんを探して! すぐに!」

 

 今までとは比べ物にならない剣幕で指示を出すガイス。

 門番はあっけに取られたような顔で何度も頷きながら走り去っていった。

 

 ———悪霊が、街に? なんでまた? ………………いや、そんなことはどうでもいい。 すぐに助けに行かないと!

 

 ガイスは足元に風を集中させ、ものすごい速さで街の中を駆け抜けていった。

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