その昔話は理不尽なしきたり
月明かりが差し込み、少し不気味な雰囲気になっている処置室前の廊下。
病院内を見回っていた警備員が、処置室から響いてくる二連続のビンタ音に驚いて肩を揺らす。
「あんた! ふざけんじゃないわよ! ハナビちゃんの気持ち、ちゃんと考えなさいよ!」
「最低ですエンハさん! 見損ないましたよ!」
処置室内からものすごい勢いで怒鳴り声が響いてくる。 警備員は手を震わせながら処置室の扉をほんの少しだけ開く。
喧嘩だったら止めなければならない。
恐る恐る中を覗くと、全身包帯だらけでミイラのようになったエンハの胸ぐらを、ものすごい剣幕で掴み上げていたビークイットが目に入る。
ビークイットの向こうで唖然とした顔をしていたサラカが、警備員の存在に気づいた。
サラカは慌てて覗いていた警備員に、すぐ出てけ! とジェスチャーを送る。 警備員は足音を殺して必死の形相で走り去った。
処置室内が、胸を刺すような気まずい雰囲気に支配される。
血走った瞳でエンハの胸ぐらを掴んでいるビークイットは、ギリギリと歯を鳴らしていた。
「ビークイットさん、エンハさんは怪我人です」
そんな彼女に臆する事なく、注意を呼びかけるララーナ。 それを聞いて、なぜかサラカは青ざめながら頭を抱えて布団に潜り込む。
ララーナにちらりと視線を送ったビークイットは、エンハの胸ぐらを乱暴に離した。
ベットに叩きつけられるような形で落とされるエンハ。
一瞬苦悶の表情を浮かべたが、特に何も声は上げずにそのまま俯いた。 なんとなく状況を悟ったサラカは、驚いた顔で布団から顔だけを出して安心したように息をはく。
「誤って許される事じゃないわよ」
ビークイットはそれだけ言って、ドカリとソファーに座る。 しかしシェンアンの瞳からは、まだ怒りの炎が消えていない。
「肉親を悲しませるだなんて理解できません! どうして大切なお姉さんを、簡単に傷付けるようなことしたんですか! 一度つけてしまった傷は、犯してしまった罪は絶対に………絶対に消せないんです」
目頭に涙を浮かべ始めるシェンアン。
サラカはシェンアンの言葉を聞いた瞬間、顔色を変えながら足についていた拘束を力ずくで破壊した。
エンハは何も言い返せず、ずっと自分の刀に視線を送っている。 ララーナは、ベットから身を乗り出し、シェンアンの肩をギプスでつついた。
「シェンアンさん、私はあなたたちとお会いしたばかりなので、あなたがそんなに怒る理由をよく存じ上げません。 だから適当なことは言えないですが、一つだけ言いたいのは………エンハさんも大切な仲間を守ろうとしての行動だったと思うんです」
「それは——————分かってますよ」
キュッとローブの裾を握りしめるシェンアン。
ララーナはシェンアンに視線を送ったままコクリと息をのむ。
「………でも、でも」
肩をフルフルと震わせながら、シェンアンの膝にポタポタと滴が垂れる。
「おいシェンアン! 外を歩こうぜ! ビークイットさん、ちょっとだけなんで外行ってもいいっすよね?」
「ええ、ありがとうサラカ君。 私も気分が悪いわ。 ララーナちゃん、何かあったらすぐ呼んでちょうだい」
サラカが真剣な顔つきでシェンアンを支えながら処置室から出ていき、その後をビークイットがついていく。
ビークイットは部屋を出る直前、エンハに憤怒の視線を向けたが、特に何も言わず部屋を出ていった。
処置室にはエンハとララーナ、まだ寝ているガイスとアディールを残して全員退室してしまう。
息をするのもちゅうちょしてしまうような空気の中、ララーナは貼り付けたような表情にも関わらず、キョロキョロと視線を迷子にしながら何かを言おうとしていた。 しかし、ララーナはみんなと知り合ったばかりだ、何を言うのが正解なのかがわからないのだろう。
口をぱくぱくさせながら、ほんの少しだけ眉尻を下げた。
「よいのだ小娘よ。 それがしが弱すぎたのが、何よりも悪い。 あやつらがそれがしを罵倒するのは当然のこと。 ハナビとそれがしの間に起こったことを知っておるからのう。 この事は、信用する仲間だけに伝えてきた」
気まずそうな顔のままぼそりとつぶやくエンハに、ララーナはゆっくりと視線を向けた。
「しばらく寝れそうにないからのう、おぬしも聞いてはくれぬか? 今日会った人型の悪霊と、それがしの姉、炎の聖霊ハナビ。 おそらく同じ生まれ方をしたにも関わらず、聖霊と悪霊………全く別の存在になった事には何らかの関係があるはずだからのう」
額から一筋汗を流しながら、こくりとうなずくララーナ。
それを横目で確認したエンハは、過去に起きた事をゆっくりと、落ち着いた口調で話し始めた。
♤
エンハの故郷、エドガンの村は古いしきたりや伝統を重んじる村であった。
この村では今までの歴史を大切にする一方、保守的すぎる考えが若者たちを苦しめていた。 なぜならこの村では、生まれたと同時に将来が確定されてしまう。
エンハが生まれたカグヅチ家は、代々強力な守護者を輩出してきた名門一家であった。
エドガンの人口は二百人未満、セイアドロの十分の一に満たないためこの村ではカグヅチ家を知らないものはいない。
エンハが産まれた際、体のどこにも刻印が無い事を知ると親はすぐに彼を見放し、子育てはカグヅチ家に仕える女中に全て任せきりにした。
豪勢な屋敷の裏にひっそりと建てられた離れに押し込められ、外出も禁じられたのだ。
生かして近くに置いておく理由は一つ、守護者はいつ死ぬかわからない。
先に生まれていた姉が死んだ時のため、血を絶やさないようにする保険だ。 しかし刻印もない力不足な子を世間に広めるのは一家の恥。
まさかの事態が起きない限り、死なないよう最低限の栄養を与え、他の村人に見られないよう監禁していたのだ。
カグヅチ家は、新たに産まれた男児は死んだと村の人々に発表し、この発表を素直に信じてしまったヒバナ・カグヅチは心の底から悲しんだ。
ヒバナ・カグヅチ、ハナビが聖霊になる前の名前だ。
エンハより先に産まれていた彼女には炎聖の刻印が施されており、エドガンの村でも将来を期待されるとてつもない魔力量を持っていた。
おてんばで明るく元気な彼女は、運動神経も人当たりも良く、多くの村人から愛された。 しかしある程度年を重ねた頃から、家族や周囲の人間から一家の名に恥じないようにと言われ、振るまいや言葉遣いは全て矯正され始めた。
いわば、カグヅチ家を彩るための操り人形にされていたのだ。
エドガンの面積はセイアドロの十分の一以下だったため、守護者の家系に生まれた後継は十歳になったらすぐに迷宮へと向かわされる。 そのための訓練は七才から始まる。
訓練はそれぞれの家系で独自に生み出した育成方法を用いるため、エドガンの村にノルンの聖水を奉納する量に応じて、その一家に与えられる報酬が大きく変わるのだ。
無論、カグヅチ家はエドガンの村で一、二を争う名門。
奉納量を減らすわけにはいかないため、訓練はかなり厳しいものになる。 しかしヒバナは有り余る才能をいかし、次々と訓練をクリアしていった。
九才の時点で二十才年上の一家の当主、カザン・カグズチを一対一で圧倒してしまうほどの実力を発揮した。
圧倒的すぎる才能、文句無しの天才。
村中でヒバナの名前は広まりだし、村の人々からの期待も膨れ上がっていった。
ヒバナは初めての迷宮攻略を難なくこなし、その日の夜はカグヅチ家本家で盛大な宴会が行われた。 才能溢れる新たな守護者を、親は他の家の当主に自慢し放題。
刀鍛冶の家系や農業の家系、他の守護者の家系を継いでいる当主も宴会に招かれていたため、ヒバナの親はそれはもう嬉しそうに娘を自慢していた。 あたかも一人娘である事を主張して。
酒が入り、てんやわんや状態になった宴会場から離れたヒバナは、外の空気を吸うために家から出た。
幼い頃から近づくなと耳が痛くなるほど聞かされていた離れを、縁側に座ったままぼーっと眺めていると、たった一つしかない小さな窓から何やら異常に目を奪われる男の子の姿が目についた。
血の繋がりは、どんなに離しても離しきれないのだろう。
その男の子を見た瞬間の違和感を、頭のいいヒバナは一瞬で答えを導き出した。
———あの男の子は、間違いなくワタクシの弟だ。
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