第42話 『わたしたちの未来』ーひかる視点ー
あのときの自分は正しかったと今でも言える。
けれど世間は、周りの人間は違った。
女の子を助けた事実も、暴漢に立ち向かった勇気も見ずに、顔に残った傷跡に言葉を並べた。
「印象が悪い」「気持ち悪い」「怖い」「近づくな」「妖怪」「化け物」
「醜い、醜い、醜い、醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い」
短大の卒業式には出られなかった。
就職先はなかなか決まらなくて、障碍者枠でやっと決まった事務の仕事も、ひどいイジメに遭って辞めた。
いくつものバイトを書類で落とされて、いくつものバイト先で蔑まれて、それでもいつか報われるんだと信じてた。
わたしのしたことは正しかったから。
物語の少女たちみたいに、今にきっと素敵なことが起きるはずだって。
でもある日。
助けた女の子と同じくらいの子どもたちに「化け物!」と叫ばれた。石を投げられ、馬鹿にされて、笑われて。
――――わたしの心は壊れてしまった。
人と日の光が怖くて外に出なくなった。
友達との連絡も断って、家族にすら顔を見せることができなくなった。
毎日思っていたのは、生まれ変わりたいという願い。なのに死ぬこともできないまま、ただ命の無駄遣いをしていた。
そんなときに出会ったのがVテイナー。
見た目や今までの人生に関係なく、だれもが理想の自分になれる世界。画面の向こうで笑う彼女たちは、本当に楽しそうで美しかった。
ただ眺めるだけだった二次元の存在が、こちらの言葉に答えてくれる。同じ話題を共有して、同じ時間を過ごしてる。それだけでも夢みたいなのに、バトル・アリーナはまるでいっしょに戦ってるように感じられて、夢中になった。
何年かぶりに笑って、泣いて、声を出して。
もう一度あの歌を聞くことができた。
だからわたしも、Vテイナーになりたいと思ったんだ。
「まっ……て、まって」
胸が苦しい。唇が震えて声が出ない。
伸ばした手は遠ざかるカタナちゃんに届かない。暗闇を抜けて、危険が待つ外へ堂々と飛んで行く背中は、とても眩しく見えた。
「カタナちゃんが……あの子……わたしが……恩人」
足下の染みが涙なのか、降り始めた雨なのかわからない。
「行かなきゃ、行かなきゃカタナちゃんまで……でも……でもっ……」
過去が今を罵り始める。
聞こえる侮辱、刺さる視線、投げられる石。
一度経験した痛みが何度だって襲いかかってくる。
『ひかるちゃん。どうしても伝えたいことがあって、今しかないと思ったからコメントします。長文失礼します』
わずかに開いたまぶたの隙間から、長いコメントが目に入った。
アイコンと名前は最近あまり見かけなかった、古参リスナーの一人。
『三年前、私は生きるのが辛かった。なにをやっても上手くいかなくて、人に迷惑ばっかりかけて、夢もなくて。そんなとき、ひかるちゃんの初配信を見たの。
マイクの音声が一分以上入ってなかったり、BGMが爆音になったり、関係ない音楽が流れたりして、最初から最後までバタバタだった』
もちろん、よく覚えてる。デビューをやり直そうかと思ったくらい、ひどい配信だった。
『でも、同接が私だけになっても、ひかるちゃんは一生懸命喋ってた。どんなに失敗しても諦めないで、最後までやり抜いた。あの配信で本当に久しぶりに笑ったし、泣いた。
私はね、ひかるちゃんを見て、もう少し生きてみようって思ったの。あなたに、とびきりの元気をもらったんだよ!』
地上から戦いの音が聞こえる。
けど、流れる文字から目が離せない。
『それからなんとか合う仕事が見つかって、そこで出会った人と結婚した。ひかるちゃんも、おめでとうって言ってくれたよね。
でね、私もうすぐ子どもが生まれるの。今、分娩室でこのコメントを書いてるんだよ!
予定では娘が生まれるから、名前は『ひかる』。私の夢はね、娘とひかるちゃんの配信を見て『あなたの名前はこの人からもらったんだよ』『この人が私のヒーローなんだよ』って、おしゃべりすることなの。
あんなに人生が嫌いだった私が、未来に夢を持てるのは、ひかるちゃんのおかげなんだよ! だから諦めないで! なにがあっても私はあなたの味方だから。わたしと娘は、絶対にあなたを見捨てたりしないから!
あーもう! 陣痛って本当に痛い!
私も負けないから、ひかるちゃんもどうか負けないで!
桜色ひかるらしく、諦めずにやり抜いて!』
読み終えた心に風が吹いた気がした。
戸惑っていると、雨よりも激しくコメントが降り注ぎ始めた。
『おれは古参じゃないけど、きみのバトルに惚れたんだ。桜色ひかるは桜色ひかるだ! 中の人がどうだろうと変わらないよ!』
『さくらメイトを通じてたくさんの友達ができた。きみがいないと、ぼくの人生は楽しくない』
『最推し名乗ったからには、肉壁だろうとなんだろうとなるもんさ! どうか俺たちを信じて!』
カタナちゃんだけじゃない、あの子だけじゃない。
こんなにひどい姿を見せても、まだ応援してくれる人がいる。
どん底に落ちても一人じゃなかった。
Vテイナー桜色ひかるが、たくさんの夢と元気を繋げてくれたんだ!
「みんな……一分、ううん、三〇秒ください」
Vギアを外して、ゴミを踏みつけながら走った。
向かった先は洗面所。
この家で唯一鏡のある場所だけど、それも新聞紙を貼り付けて見えないようにしている。
呼吸が整わないし指も震えたまま。だけど今なら、わたしはわたしと向き合える。
「うわああっ!」
大きな勇気と力を込めた手。
爪の先に引っかかった新聞紙は、葛藤とは裏腹になんとも簡単に破れた。
そして閉じたままの目を、ゆっくりと開いた。
「……あっ」
大嫌いな顔があった。
何度も何度も消してしまいたいと思った、不幸の象徴。
でも、記憶にあるよりも傷はうっすらとしていて、数年ぶりに見た自分を恐ろしいとは感じなかった。
「は……はははっ……当たり前だよね。薬は塗ってるんだから、少しづつでも治るよね……そうだよ……なのにわたしは」
目を背け続けてきた傷に、鏡のわたしがそっと触れた。その姿にかつての自分が重なっていく。
――――思い出した。あの事件の直後はこの傷が誇らしかったんだ。
あの子を守れたことが嬉しくて、名誉の負傷だって笑ってたっけ。
あの子が、あのときのわたしを覚えてくれてる。
それだけで、この傷の価値は何も知らない他人には決められないものになる。
「……どうして、こんなに当たり前のことがわからなかったんだろう。十年もかかっちゃうなんて、バカだなぁ」
久しぶりに向けた自分への言葉は、自虐と愛情に満ちていた。
「今、あのときの女の子がわたしのために戦ってくれてる。本当に立派で強くなって。でも、わたしはそれでいいの? 死神の犯罪にあの子まで巻き込んで、地下で泣いたままでいいの?」
答えはノーだ。
「いこう、未来。いこう、ひかる。わたしたちの戦う場所へっ!」
立ち止まる理由はどこにもない。
戦場へ戻ると、おびただしいカラスの鳴き声が聞こえた。
「あれは?」
視界確認で周りを見回すと、瓦礫ではないきれいな濃紺の箱を見つけた。
手のひらに乗るそれは『エンゲージリング』
今のわたしたちに必要なものだ。
「きゃあ!」
轟音と激しい揺れのあと、全身のドレスがズタズタに引き裂かれた。
立っていられないほどの倦怠感で、ワンドを握っているのもやっとだ。
「カタナちゃん……」
ありがとう。たった一人で背負ってくれて。
でもね、もう大丈夫だよ。
わたしにもあの歌が聞こえてるから!
「もう迷わない。みんながいるから、もう怖くない。どうか見ていてください。本当のわたしの、全力のバトルを!」
『おかえりいいいいい!』
『信じてた! 信じてたよ!』
『いそげええええええええええ!』
ダメージ共有による全身の鈍化は、もうちょっと続くはず。
でも、花婿のところへ飛んで行くことはできる!
「妖精の羽、全速力で飛んで!」
光の羽がわたしを運ぶ。
暗い地下から雨の止んだ空へ。
「カタナちゃんっ!」
居場所はすぐにわかった。
モブ子ちゃんがタンクローリーを持ち上げて、叩きつけようとしている。
「させない!」
羽の速さじゃ間に合わない。
だからワンドを後ろに向けて、頂上戦のときみたいに光線を放った。
「――――はああああああああっ!」
ぐったりと倒れ込み、悔しそうに見上げるカタナちゃんがいた。
デザインされたVの体だから、中の人と姿は違う。
けれどその表情は、あのときの女の子にそっくりだった。
まばたきのヒマもない一瞬の判断。おかげでギリギリ間に合った。
巻き上がる粉塵の中で、ぐったりとした体を抱き上げた。
「――――待たせてごめんね」
あの歌をうたったとき、助けにいく約束をしたよね。
本当に長い間、待たせちゃったな。
「あのときの約束どおり、助けにきたよ!」
だけどもう心配しないで?
もうこの顔を伏せることはない。
今も昔もあなたを助ける、ヒーローの顔だから!
雨が上がった。風が吹いた。
雲が流れて一筋の光が差し込んだ。
わたしは桜色ひかる。
みんなに夢と元気を届けるVテイナーだ!
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