第46話 第一部最終話『ひかる未来をあなたと』

 高鳴る鼓動はきっと、緊張と喜びの鼻歌だ。

 通い慣れた道を歩きながら、見下ろす太陽に仮想空間の自分を想った。


 海月カタナとして死神と戦ってから、もう三日が経っている。

 ケミカル・ビーカーを含めた死神のアカウントはすべて凍結され、ゴブ・モブ子は無期限の活動休止を発表した。


「にしても二人は流石だったな。個人情報のばら撒きは絶対に阻止するって言ってたけど、あそこまで完璧に防ぐなんて」


 私たちが戦っている間、ルー殿とルナ殿は裏工作に努めていた。

 ユキノ殿の立会人や中継による公の監視を計画。顔も知らないリスナーを信頼し、リアルでの設備支援。などなど挙げればキリがないが、人脈と資産のある彼女たちにしかできない大仕事だった。


 おかげで余計な心配をせず、バトルに集中することができた。


「……そういえば、例のSM女王様からお仕置きは任せてってメッセージがきたけど、どういう意味だろう?」


 死神の悪行はバトル中のウイルスと複数のアカウントと共に晒され、白日の下となった。

 ヴァーチャルの陰に隠れていた犯人が逮捕されるのも、もはや時間の問題。むしろ、かつて被害に遭ったVへの謝罪やセキュリティ面の強化など、バトルアリーナ側の対応が迫られている。


「でも、私にとってはこれが一番の大勝負っ」


 信号を待つ間、お店のガラスに映った自分をチェックする。

 紙袋の手土産はルー殿イチオシのコンビニスイーツと、ルナ殿オススメのちょっとお高めの紅茶。

 リュックにはVギア。一晩中悩んだ服にはこだわりのポイントがある。


 青色と桜色が重なり合うチェックのシャツ。

 折り重なった糸が、美しい模様を描いていた。


「髪もよし……うん、大丈夫っ」


 時間に余裕はあるのに、つい足早になってしまう。

 この坂を昇れば、目的地はすぐそこだ。


「あれ?」


 予定になかった人影が見えた。

 私が目指す場所。とあるマンションの前に、花田かおりさんが立っていたのだ。


「かおりさん? どうしたんですか?」

「あっ、海ちゃん」


 声をかけると優しい顔に涙が浮かんだ。

 そして私の手を握り、深々と頭を下げた。


「ありがとう、本当にありがとうねっ。あの子がね、何年かぶりに笑ってくれたのっ。笑って、目を見て、話をしてくれたのっ。本当に……本当にありがとうっ!」


 私たちだけじゃない。この人もずっと苦しんでいた。

 親としての心境なんて、今の私には想像もつかない。けれど、我が子を心から愛していたことだけはわかる。


 その姿を私は見てきた。あの日からずっとそばにいて、終わりの見えない闇の中を必死で進んできた強い姿を。

 この細い手と小さな肩に、どれほどの重圧がかかっていたのだろう。でも今は、涙の向こうに晴れ晴れとした光が見える。


「呼び止めちゃってごめんなさい。これから予定があるのよね? お邪魔しちゃったわね」

「いえ! そんな」

「あの子ったら『家に人を呼ぶのなんて久しぶり過ぎてわかんない!』って、てんやわんやだったわ。どうか広い心で見てあげてね?」

「はい。あ、あの!」


 お茶目な笑顔で去ろうとしたご婦人を、慌てて呼び止めた。


「今度はかおりさんもいっしょに。三人でゆっくり話しましょう」

「……えぇ、もちろん。もう、そんなことを考えてもいいのよね」


 また流れた涙の粒は、眩しい太陽が見守ってくれた。

 

 オートロックのエントランスは思ったよりも無機質で、冷たい印象だった。

 深呼吸をして部屋の番号を押し、反応を待つ。


「は……はい」

「あ、あの! 海月カタ……月島海です!」

「ははいっ! ど、どうぞ!」


 微動だにしなかったガラスの扉が、静かに招き入れてくれた。

 乗り込んだ鉄の箱が、見下ろす景色の上階へ運ぶ。


 まっすぐ伸びる通路を歩いて。

 目的の部屋の前にやってきた。


 ――――――――


 生きていく間に、人生の転機って何回起こるんだろう。


 わたしはもう四回も経験してる。

 最初は小さい頃、あのアニメに憧れたとき。

 二回目は十年前のあの夜。

 三回目はVテイナー桜色ひかるになったとき。

 そして四回目はあのバトルだ。


「……本当にいろいろあったなぁ」


 死神に勝った直後、わたしは個人情報が広まるのを覚悟した。


 でも、そうはならなかった。

 逆にケミカル・ビーカーがユキノさんに裁かれて、死神の罪が日に日に暴かれていく。

 その裏にカラフル・ミラクルの奮闘があったことを知ったのは、バトル後の夜だった。


「心配かけやがってぇ! 敬え! 褒めろ! どこにも行くな!」

「もう大丈夫ですわ。おかえりなさい、ひかるさん」


 最初はどんな顔をして会えばいいのかわからなかったけど、二人は強く抱きしめてくれた。


 チームベースはリスナーのみんなを巻き込んだお祭り騒ぎになって、昼間のことが夢みたいに思えたっけ。


「お母さんも……」


 ついさっきまで片付けを手伝ってくれていた、母の背中を思い出す。

 自分と、この傷と向き合えたことを早く言いたくて、バトルの翌日朝一番に来てもらった。

 

 久しぶりに目を合わせた母は、記憶の中とはまるで別人だった。

 白髪としわが増えてて、体がすごく細くて小さくて。わたしが閉じ籠っていた時間の流れと、背負わせてきた苦労を強く感じた。


 最初は笑顔でいれたのにすぐに泣いちゃって、二人で抱きしめ合って、何回も何回も謝った。

 

 本当にわたしは人に恵まれてる。


「さてと! カタナちゃん……海ちゃんだったか。ウチに来てもらうのは申し訳ないけど、あの子にはちゃんとお礼を言わないと。そうだ、カーテン開けたほうがいいかな」


 自分でも驚くほど自然に外の光を取り込んだ。

 あんなに怯えていたのに分厚い布は軽く動いた。


「あっ」


 当たり前だけど、見下ろす景色が明るくて色鮮やかだった。


 それだけじゃない。


 更地になったと思っていた場所は、柿の木をそのままに新しい家の工事がはじまっていた。古いコンビニはキレイに生まれ変わって、まだ赤ちゃんだと思ってた親子は手を繋いで歩いてる。


「みんな……変わっていくんだ」


 わたしも、みんなも、世界だって移り変わる。

 悪くなるだけじゃない、良くなることだってある。

 だから、ほんの少し。

 ほんの少しの勇気を出せば、自分を変えることができる。周りにある優しさに気づくことだってできるんだ。


 ずいぶん時間がかかっちゃったけど、わたしの時計の針はやっと未来へ動き出した。

 まだ外出は怖いけど、進んでいけばきっと出来るようになる。


 今日の招待はそのための、小さくも大きな一歩だ。


 ピンポーン


 呼び鈴が鳴って、緊張と喜びで胸が弾んだ。

 小さなモニターに、きれいな女の子が映ってる。


「あぁ……」


 幼い頃の面影がある。

 でも、昔はなかった強さを感じられる。


 この子が、わたしが守った女の子。

 この子が、わたしと戦ってくれたカタナちゃん。


「は……はい」

「あ、あの! 海月カタ……月島海です!」

「ははいっ! ど、どうぞ!」


 お互いの緊張が伝わる。

 部屋まで来るあとわずかな時間が、とても待ち遠しくて、あっという間だった。


「あ、あの、ほ、本日はお招きいただきまして、まことにありがとうございます」

「こ、こちらこそ。いらっ、しゃい、ませ?」


 玄関で顔を合わせた海ちゃんは、優しい匂いがした。


「ふふっ」

「はははっ」


 二人で変な挨拶を交わして、同時に笑い出して。


「あああああ〜!」

「うわあああ〜!」


 抱き合って、子どもみたいに泣いた。


 ……たくさん、たくさん話をした。

 海ちゃんと話してると、声も表情も体も心も、なんだか波に抱かれているように心地よかった。

 

 これじゃあ、どっちが年上かわからないや。


「あっ、そろそろ時間です」

「本当だ! 急がないとっ!」


 Vギアをつけて、ベッドに並んで、気づいたら手を握っていた。


 目が回りそうなロード画面のあと、わたしたちはもう一人の自分になっていた。

 

「時間ギリギリじゃねぇかぁ!」


 美しい庭園に可愛らしい声が吠える。

 ルーちゃんとルナちゃんが、噴水の前で待っていた。


「まぁまぁ、そんなに大声ではしたない。もう少し優雅にいられませんこと?」

「うるせぇ、ドリル髪女」

「やーめーなーさーれー」


 このやり取りもなんだか懐かしい。

 帰ってきたと思わせてくれる、あたたかい安心感で満ちてる。


「ご、ごめんね? 実は……今わたしの家で、カタナちゃんとオフコラボ中なんだ!」


 リアルと同じように、右手と左手を繋いだ。

 みんなには秘密にしてたサプライズ。喜んでもらえたかな?


『うおぉぉぉ! マジで!?』

『どっちもオフは初めてじゃね?』

『ジューンブライド・マッチのペアがオフコラボとか……てぇてぇすぎる』


 よかった。

 さくらメイトのみんなも、群れさんたちも、親衛隊さんたちも、同志さんたちも、みんな喜んでくれてるみたい。


「ルーにサプライズなんて、やるようになったな、ひかる。でもいいのか、カタナ。ひかるの家ってことは、モーション配信じゃないんだろ?」

「無論です。さきの戦いで、アリーナ・バトルの真髄は想像力だと知りましたのから」


 好戦的な視線が交わって火花を散らせる。

  

 今日集まったのは他でもない。

 イベント最終日に行うはずだった、カラフル・ミラクル同士のバトルのためだ。


「もうイベントは終わってるから、ノーマルルールのタッグ戦だ。パフォーマンスは各自でやる。これでやっと制約から解き放たれたぜ」

「こっちのセリフです、バカパピィ。さぁ皆様方、準備はよろしくて!?」


 全員で頷き、息を吸い込んだ。


「「バトルライブ・スタート!」」



 わたしの声はあなたに届いていますか?

 わたしが戦う姿は見えていますか?


 もしあなたが、先の見えない人生に迷って。

 だれにも言えない苦しみを抱いているのなら。

 少しの時間をわたしにください。


 わたしは人の冷たさを知っています。一人で悩む苦しみを知っています。

 人の素晴らしさと勇気の大切さを知っています。


 顔を上げるのが怖くても、この姿なら笑い合えると思うから。

 だからきっと、あなたにも夢と元気を届けてみせる。


 はじめまして、こんひかる。

 わたしはVテイナー桜色ひかるです!

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バトルアリーナV!~戦って魅せるヴァーチャルたち!~ 末野ユウ @matsuno-yu

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