第一部最終章 桜咲く水平線
第35話 『妖精と死神』ーひかる視点ー
どうしてこうなったんだろう。
現実がなにもかもダメな分、Vテイナー桜色ひかるは順調だったはずなのに。
イベントが残り五日になったあの日。
パソコンに送られてきた一通のメールから、絶望は始まった。
「なんのメールだろ?」
パソコンはもっぱら、動画編集やイラスト製作にしか使っていない。
メールアドレスも、いろんなサービスのアカウント作りのために持っていただけ。メルマガ以外が受信ボックスに溜まることは、滅多にない。
だから、甘かった。
迷惑メールの設定をしていたのに届いた、差出人不明のデータファイル。いや、あのときは添えられていた『これ見てくれ』の一文で、勝手にルーちゃんからだと思ってしまった。
開いたときの恐怖と後悔は、たぶん一生忘れない。
「なっ、えっ、やっ」
わたしだった。
圧縮から解放されて画面いっぱいに映し出されたのは、わたしに関する個人情報だった。
卒業した学校が保育園から短大まで載っている。
実家と家族の名前が載っている。
わたしの名前と、年齢と、住所。
そして。
もういつ撮ったのか覚えていない、この顔の写真が添付されていた。
「な、に? なになになになになになに!」
意味がわからなかった。
自分が置かれている状況が飲み込めない。
ただただ怖くて逃げ出したかった。
『バトル・アリーナにログインして、この場所に来い。さもないとこのデータをばら撒く。見ているぞ、桜色ひかる』
続いて送られたメールが逃がしてはくれなかった。
わたしは従うしかなかった。とにかく、個人情報が広まるのをくい止めたかった。
なにより。
桜色ひかるを守りたかった。
「こ、ここでいいの?」
指示に従って深い森の中に来た。
晴れることのない霧と、てっぺんの見えない背の高い木々が、恐ろしく静かに並んでいる。
エリアの転移以外は、オープンワールドゲームのようにどこにでも行けることは知っていた。でも、こんな場所に来る人なんて普通はいない。
ましてや待ち合わせなんて、相応しくないにもほどがある。
「よく来たな」
声がした。けれど、人の姿は見えない。
「だ、だれなの! どうしてこんなことを」
締め上がった喉に無理やり空気を通して、掴めない霧に叫んだ。
「おれは」「ぼくは」
「ワタシは」「我は」
「「死神だ」」
また声がした。
四方八方から聞こえる声は、ぐるりと囲む霧そのものが喋っているみたいだった。
「な、な、な、なにが目的なの」
死神という名前より、相手が一人じゃないことが怖かった。
どこを見ていればいいのかわからなくて、余計に震えた。
「要求はただひとつ。引退しろ、桜色ひかる」
「…………え?」
きっとお金とか、えっちなことを要求されるんだと思ってた。
それなら受け入れるつもりで来た。お金も体も、頑張って我慢すればなんとかなる。
でも、でも!
これだけは譲れない!
「どうして! あなたはだれなの? わたしに怨みがあるの!?」
恐怖よりも突き付けられた理不尽に腹が立った。
「怨みなどない。お前は死神に選ばれた。ただ、それだけだ」
「ふざけないでっ!」
「公表するか? 訴えるか? やってみろ。アドレスは使い捨てのものだし、海外のサーバーを経由した。あのメールから我を追うのは至難の業だぞ?」
嘲笑う声がいくつも重なって、不快に反響した。
「な、ならVテイナーのアカウントに開示請求を! バトル・アリーナでは、交流した相手の履歴が残るから! こうやって会話したのは、大きなミ、ス?」
ウィンドウを開いてトーク履歴を確認した。
でも最新履歴はカタナちゃんで、時間は一時間前になっていた。
「ど、どうして」
「ここの霧は特殊でな。一定距離に近づかないと視認はできず、履歴にも残らないのだ」
「雰囲気があるだろう?」
「浅はかな考えは捨てることだ。我の機嫌を損ねれば、お前の顔が全世界に知られることになるぞ?」
全然ちがう男女の声なのに笑い方がどこか似ている。
気取った喋りもみんな同じで、痛々しさすら感じられた。
頭に浮かんだ同一人物の可能性。
もしもわたしの心が数時間前と同じだったら、そこを追及することができたかもしれない。
けれど、死神の鎌の冷たさがそんな思考も奪っていった。
「わかったか? すぐに引退を公表し、バトル・アリーナから消えろ」
「ま、まって!」
ほとんど悲鳴みたいな声を霧の中に投げ入れた。
「い、今のイベントが終わるまで待って! チームのみんなと、ペアの子になにも言わずに引退なんてできない!」
「そうか、チームリーダーだったな」
「……久々のビッグネームだ」
「利用してやるか」
濡れた風に混ざって、数人の独り言が聞こえる。
「よし、いいだろう。最終日に引退試合をさせてやる。だが、こちらの指示に従え」
「このあと一時間以内に、動画と文章で引退宣言を行え。そして、引退試合まで一切のバトルをするな」
「対戦相手はこちらから指名する。そいつらとバトルし……負けろ」
理不尽に理不尽が重ねられて、めまいがした。
「わ、わざと負けるの!? 最後のバトルなのに? カタナちゃんといっしょなのに!?」
「お前に口出しする権利も拒否権もない。従わなければ個人情報が」
「わ、わかりました! 言うとおりにします!」
ずるい。たった一言で従順にさせる、邪悪な魔法だ。
「では引退宣言忘れるなよ?」
「死神は」
「常にお前のそばにいる」
最後まで気取ったまま、霧の中の死神は音もなく去って行った。
「うう……うぅぅぅぅぅぅ!」
声を殺して泣いた。
泣き叫びたかったけど、そんな桜色ひかるを、データに残したくなかった。
力の入らない手で文章を書いて、震える声のまま動画を撮った。
同じ言葉を何度も並べて、カメラにも目を向けられなくて。
自分でもなにを言ってるのかわからなかった。
投稿できずに部屋で泣き続けた。制限時間ギリギリになって、なんとか人差し指を動かした。
そしてこの手で、投稿のボタンを押してしまった。
「ごめんね……ごめんなさい……」
今まで応援してくれた、さくらメイトのみんな。
ルーちゃん、ルナちゃん、カタナちゃん。バトル・アリーナで出会った、たくさんのVテイナーたち。
そして、だれより。
ひかる……もう一人のわたし。
こんなことになって本当にごめんなさい。
「どうして……なんで、こんな目に」
投稿した直後からメッセージが鳴りやまない。
ネットニュースにもなって、たくさんの人が反応していた。
そっか、自分だけじゃない。
他の人にも迷惑をかけるんだ。悲しませるんだ。
せっかく見つけた生きる理由も、わたし自身が奪っていく。
わたしの存在は呪いなんだ。
対戦相手の情報が添付された、死神からのメールが届いた。今さらだけど、存在が呪いなら死神が寄ってきたのも納得できて、笑えて、吐いた。
それから何度目かわからないカタナちゃんの電話に、意を決して出た。自分では普通に喋れたつもりだけど、どう思われたかな?
――――最後のときがやってきた。
このバトルが終われば、桜色ひかるの物語は終わる。
でも安心して? ひかる。
少し眠るだけだから。
あなたにはこのあと、新しい魂が宿るの。
その人はきっと、わたしなんかよりも素敵で元気でかわいくて、あなたにピッタリ。
相応しくないわたしは消えるから。
呪いは二度と現れないから。
どうかたくさんの人に夢と元気を届けてね?
わたしじゃなれなかった理想の女の子に、ヒーローみたいな女の子になってください。
みんなに愛されるきれいな花を、どうか満開に咲かせてください。
じゃあ、はじめようか。
わたしとあなたの最期のバトルを。
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