第36話 『今宵、剣姫は鬼となる』ーカタナ視点ー

 ジューンブライド・マッチ最終日。

 日が暮れてもアリーナは活気があり、花嫁を待つ間、どこのエリアもにぎわっていた。

 本当なら朝から、私たちもこの中に参加していたはず。

 

 なのに、死神のせいで。

 

「まだ来ないのかなぁー?」


 シシシッと鮫に似たギザギザの歯で笑うこの女が、ひかる殿が指名した対戦相手。

 ケミカル・ビーカー。白衣を纏い科学系Vを謡いながらも、配信は知識を利用したセンシティブな内容が多い。


「でで、でも、まだ五分あるし」


 となりの小柄なゴブリン娘がゴブ・モブ子。

 黒点の目やシンプルな装飾の、モブキャラ風な出で立ち。主にゲーム配信をしていて、特にFPSゲームが得意。しかし、キャラクターとして目立ったところはない。

 が、盛られた設定が目立つVテイナーの世界では、逆に個性となっている。


 わざわざ名指しされたということは、どちらかは死神と関りがあるはず。

 いや、もしかしたら二人とも……むしろ死神本人という線も捨てられない。


「そんな怖い顔で睨まないでくれないかなぁー? そっちから対戦希望出して来たんだけど?」

「……失礼しました。イベント最終日で久しぶりのバトルですので、少々殺気立ってしましました」


 モブ子が怯えたが隠す必要などない。

 この一戦に私は全力を注ぐのみだ。


「お、遅くなりました!」


 待ち望んだ声が聞こえた。

 ひかる殿が、私の花嫁がやってきた。


「いえ、まだ時間はあります。お久しぶりですね、ひかる殿」

「う、うん……本当に……ごめんなさい」

「やめてください。顔を上げて」


 こちらの目を見ようともせず、深々と頭を下げた。

 夢と元気を届ける妖精には似合わない、痛々しい姿だ。


『ひかるちゃーん!』

『なんで引退すんの? やめてよ!』

『これで終わりなんて嘘だよね?』


 沸き立つコメントは盛り上がるというより、阿鼻叫喚の声が目立った。


「さくらメイトのみんな……ごめんなさい。引退は」

「桜色ひかるさん! Vテイナー最期のバトルに、ご指名ありがとうございます!」


 私のときとは打って変わって、ケミカルがすり寄る笑顔を浮かべた。


「いやぁ、たしかにブロンズランクになって三年。歴だけ長くてウチら二人、このランク帯だけで有名人になってますが! まさか話題のスターのこんな大舞台にお呼ばれするとは!」


 ひるがえった白衣の中は露出の高い衣装。

 試験管に入った色とりどりの薬品が、鮮やかに光っている。


「ぼぼ、ぼくたち、全力でやるからね! 怨まないでね、負けても!」


 どっちも絶妙に腹が立つ。

 

「は、はい。よろしく、お願いします」


 いつもバトルの前はあんなに目を輝かせていたのに。

 今はまるで別人。恐怖で震えて、向き合おうともしていない。


「あ、あの、カタナちゃん。ルーちゃんとルナちゃんは?」

「あー……お二人はお二人で、イベントの追い込みをしていますよ」

「そ、そっか。そう、だよね」


 思わず歯を食いしばった。

 ダメだ。これ以上、この人の辛い顔を見たくない。


「じゃ、そろそろ始めましょうか」

「その前に、ちょっといいかな?」


 ウィンドウを開いたケミカルの言葉を、転移の光と芯の通った声が遮った。


「こんワオン。久しぶりだね、二人とも」


 現れたのは白狼の女戦士オオカミ・ユキノ。

 そしてとなりには、バトル・アリーナ実況部サン・ライトが立っていた。


「なんですかぁー? 部外者は下がってくれませんかねぇー?」

「部外者だなんてひどいな。アタシとひかるちゃんには、切っても切れない縁があるんだ。これが最後のバトルだって言うなら、ほっとけない。なにを言われても牙を剥いて食い下がるよ」


 歴戦の猛者が放つ肉食獣の威圧に、モブ子はもちろんケミカルもしぶしぶ押し黙った。


「……やあ、ひかるちゃん。突然引退だなんてビックリしたよ」


 名前を呼ばれると小さな肩が跳ねた。

 あんなに慕っていた人の顔すら、ろくに見ることができないなんて。


「そうっすよ! サンちゃんもめちゃくちゃ驚いたっす! あの頂上戦から、ひかるさんの大ファンになって……ブロンズランクでも活躍するって……信じてっ、応援っ、してた、のにっ」


 いつも太陽みたいに明るかった元気娘の目から、熱い涙がこぼれた。


「ご、ごめんなさい。わたし」

「理由は聞かないよ。でもアタシもあのときから、ずっときみのファンだった。あの出会いを、運命を、アタシは誇りに思ってる。だからさ、最後までお世話を焼かせてちょうだいよ」


 分厚い肉球が桜色の髪を優しく撫でた。


 そして一瞬、私に目配せをした。

 

「ということで提案だ。このバトルに、アリーナ公式の中継を入れさせてもらいたい。立会人はこのアタシ、オオカミ・ユキノが務めさせてもらう」

「バトルの詳細は、すでにデータを送らせてもらったっす。確認をお願いするっす」


 実況部はバトル・アリーナ運営に所属しており、頂上戦などの定期イベントはもちろん、普段は条件を満たしたバトルが自動的に中継される。

 

 しかし、個人が実況部の中継を依頼することも可能で、その場合は様々な演出を要請することができる。しかし公平を期すために『立会人』と呼ばれる、第三者のVテイナーが必要になるのだ。


「はあ? そんなことしなくても、このバトルなら中継は入るだろ! 余計なことは」

「いいですね! 桜色ひかる最後のバトルなんですから! 願ってもない申し出です!」


 今度は私がケミカルの声を遮った。

 

『ユキノさん! すげぇぜ、あんた!』

『最後の花道飾ってやろうぜ!』

『最初に出会ったユキノ様がこんな……エモい……でも悲しい……』


 さくらメイトはもちろん、この話にリスナーは大いに盛り上がった。

 もはや、ケミカルやモブ子の一存で拒否できる状況ではない。


「……このまま戦っても……でもこの条件なら……よし、いいでしょう。盛り上げてやりますかぁー!」

「がが、がんばるよ!」


 よし! 引き込んだ!


「ひかるちゃんもいいよね? アタシからの餞別だ」

「は、はい……ありがとう、ございます」


 ひかる殿は消えそうな声で、ネオンが映るひざ当てにお礼を言った。


「では、ひかる殿。お手を」

「え?」


 戸惑う小さな手をそっと包んだ。

 強張って石のように固いのに、小動物みたいに震えている。


「今夜まで私はあなたの花婿ですから」


 少しだけ躊躇って、やっと握り返してくれた。


「うん……」


 そしてちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。

 大好きな桜の妖精が顔を覗かせてくれた。


「「バトルライブ・スタート!」」


 久しぶりに揃った声はどこまで届いただろう。

 この気持ちは、は、彼女に届いてくれるだろうか。

 

 データ照合……桜色ひかる、海月カタナ。

 チャンネル登録者数合計・一〇四一三〇人。HPに変換されます。

 雑談配信、最高グッド数合計・八三九三四。最高ナイスコメント数合計・六四九五〇。最高スパチャ額合計・一九二四〇〇。分割後、ステータスに変換されます。


 ひかる殿の引退宣言後、彼女のチャンネル登録者は大幅に減り、チームメイトである私もわずかだが影響を受けた。

 そしてろくに配信もできていないため、イベント開催時と比べてHPだけが下がった状態だ。


 データ照合……ケミカル・ビーカー、ゴブ・モブ子。

 チャンネル登録者数合計・一三八六六六人。HPに変換されます。

 雑談配信、最高グッド数合計・一〇六一二四。最高ナイスコメント数合計・七六〇〇。最高スパチャ額合計・二二二六〇〇。分割後、ステータスに変換されます。


 対して相手は順調にイベントをこなしてきたベテラン。

 双方に熱狂的なファンがいるし、ケミカルにいたってはルー殿以上にギリギリを攻めた配信で、モブ子のステータスをカバーしている。


「イベントバトル最終日! 始まりましたのは、衝撃のデビューを飾ったVテイナー桜色ひかるの……引退バトル! 対戦相手はケミカル・ビーカーとゴブ・モブ子の、ブロンズランクではお馴染みの顔ぶれです!」


 実況にいつもより力が入っている。

 思うところはたくさんあるだろう。けれど仕事に徹する彼女の姿勢は、まさしくプロだ。


「今回の中継は銀の牙リーダーのオオカミ・ユキノさんより、個人要請を受けてお送りしています。ひかるさんのデビューに大きく関わった、白狼の女戦士が選んだ大舞台はこちら!」


 広がったステージは、上から下までどんよりと重たい色をしていた。

 古いコンクリートが建ち並び、同じ色の空が広がっている。


「ステージは廃墟の街。建物の崩壊や電源復帰など、多くのギミックがあるステージです。さらに天候は時間経過で変化。戦法の切り替えがカギとなるでしょう! さらにっ!」


 曇天の空に浮かぶ巨大な画面に、可愛らしい花束と小さな箱が映し出された。


「ジューンブライド・マッチのレアアイテム《ハートブーケ》と《エンゲージリング》が確定で出現! こちらはゴマフ・モフモフ様とチーム・アニ〇ズ。万丈気炎様とチーム・英雄連合。そのほかたくさんの有志の方々から、餞別としていただいたマニーによって実現いたしました!」


 聞こえたチームはどこもお世話になったり、メンバーに同期がいるところばかり。

 表示された有志の方々も、ひかる殿から一度は名前を聞いたVテイナーたちだった。


「すごいですね、ひかる殿! こんなにたくさんの人があなたを」

「……なんで……こんなに」

「ひかる殿?」


 いつもの彼女なら泣いて喜んでいたはずだ。

 なのに今は、壊れてしまいそうなほどに辛い顔をしている。


「大丈夫です」


 優しく包んでいた手に力を込めた。


「大丈夫」


 すでにこの眼は前を見据えている。

 私のやるべきこと、この剣の斬るべきものは揺るがない。


《イベントバトル ジューンブライド・マッチ。バトル・スタート!》


 ――――私は今宵、死神を狩る鬼となろう。

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