第25話 第一章最終話『苦しくて穢れてしまう残酷な世界』

「よーし! だいぶ空中戦とスキルに慣れてきたな!」

「……はやくシルバーに上がりましょう。追加のスキルをはやくッ」

「ま、まぁまぁルナ殿」

「明後日から六月のバトルイベントがあるんだよね? 楽しみだな~」

「《ジューンブライド・マッチ》だな。ペア組んで戦うみたいだから、明日は組み合わせ決めるぞ!」

「では、すいません。私このあとリアルで用が」

「わたくしも一旦ログアウト致しますわ」

「ルーも晩飯考えるかー」

「……じゃあ、一回解散しようか。リスナーのみんな! 今日も応援ありがとう! おつひかるー!」

「おつおつルー!」

「おつローズですわ!」

「お疲れさまでした」


 ――――


 楽しかった音と光が消える。

 視界を塞ぐ闇は、目を閉じようと開けようと同じ。

 なら、閉じていたほうがいい。

 あの世界の余韻に浸りたい。

 あの世界から出たくない。

 この世界なんて、この自分なんて、嫌で嫌でたまらないのに。


 どうしてわたしは、桜色ひかるじゃなくなるんだ。


「うぅ……」


 カサついた手で頭を覆うVギアを外す。

 重い。ひかるなら、こんなのぜんぜん苦じゃないはずなのに。


「トイ……レ」


 必要な行動を自分に言い聞かせる。

 じゃないと、わたしはなにもしない。

 申し訳程度に袋分けしたゴミを踏みつけながら、ぼんやり浮かんだ部屋を進んだ。


「灰色……」


 さっきまでと違う、色のない世界。

 これがわたしの住む世界。


「…………」


 用を足してベッドに倒れ込んだ。

 アリーナに潜っているときも、いないときも、この体の安置所になっている。


「たのし……かったな」


 キラキラしていた別世界のわたし。

 仲間がいて、応援してくれる人たちもいて。

 たくさんの人がわたしを褒めてくれる。わたしを強いと、かわいいと言ってくれる。


 なのに今目の前のこれは、どんな意地悪な悪夢なのだろう。


「……ん?」


 自分の呼吸に混ざって、ノイズみたいな音がした。

 予算の許すかぎり徹底した防音設備のせいで、やっと外が雨だということに気が付いた。


「久々に……やろう、かな」


 ――――今は気分がいい。


 チーム結成から一日。

 ブロンズランクのトピックスにも上げられるほどに、カラフル・ミラクルは注目されている。他のVから入りたいというメッセージも来たけど、しばらくは四人でやっていく方針だ。


「あめ、あめ」


 分厚い遮光カーテンをゆっくりと開ける。


 濃い灰色の曇が、この世界の空。

 けれど、わたしはこの空が好きだ。雨の日なら外の空気に当たることができる。

 雨が降っていれば、だれも上を見上げることはしない。マンションの窓のひとつを、見ようなんて思わない。

 代わりにいろんな色の傘が動く様子を見るのが、数少ないでの楽しみだ。


「……」


 しばらく見ないうちに、大きな柿の木があった家が更地になっていた。

 古いコンビニだったところが、なにやら工事中っぽい。あの緑色の傘の人は赤ちゃんを抱っこしていたと思うけど、今日はいないみたい。


「……飛んで行って……あそこから、マジックボールを……」


 想像を膨らませているときは、この世界でも幾分マシな時間を過ごせる。

 本当に最近は気分がいい。


「――――ひぃ!」


 咄嗟にカーテンを閉めた。

 よかったのに。

 せっかくよかったのに!

 なんで、どうして?

 どうしてこっちを見てたの?


「うぐっ……」


 込み上げてきた苦くて酸っぱい気持ち悪さをなんとか堪えて、トイレに駆けこんだ。


「オェッ……ウゲェ……ガハッ……ぅゲェ!」


 だれだれだれだれだれだれなんでなんでなんでなんでなんで!


 明らかにわたしを見てた。この部屋を見上げていた。

 ビニール傘で歪んで見えたけど、あれは近くの女子高の制服。

 きれいで、若くて、健康的で、未来がある、今のわたしとは真逆の存在。

 そんな子がなんでわたしを見てたの?


「あ……あぁ……はああああああああはああああああああ」


 手が、足が、口が、全身が震える。

 もしかして学校で噂になってるの?


 人の気配がなくて、いつもカーテンが閉まってるマンションの部屋。たまに雨の日とか深夜にだけ顔を出す、変な奴がいるって噂してるの?


 それとも妖怪?

 それとも化け物?

 見ず知らずのきみたちも言うの?

 


「ちがうちがうちがうちがうちがう! わたしは化け物じゃない!」


 ゴミの上を這いずって、剥き出しの薬を見つけて、コップに注がれたままの水で流し込んだ。


「見られた見られた見られた見られた見られた見られた……」


 体なんてどうでもいい。

 裸なんてどうでもいい。

 顔を見られた。目が合った。

 それが、それだけが耐えがたい。

 この顔を人に見られたことが耐えられない!


「たす、けて。たすけて、みんな。ひかる……桜色ひかる……」


 布団に包まって、電源の入っていないVギアを被って、世界を切り離す。


「……みんな、こんひかる。夢と元気を届ける桜の妖精、桜色ひかるです……みんな、こんひかる。夢と元気を届ける桜の妖精、桜色ひかるです……みんな、こんひかる……」


 わたしはひかる、桜色ひかる。


 夢と元気を届ける桜の妖精で、カラフル・ミラクルのリーダーで、バトル・アリーナのブロンズランクで注目されてて。

 強くて、まるで昔見たアニメの主人公みたいで。

 かわいい服が似合うキレイな肌の、みんなに愛される女の子。

 

 だから、こんなに弱くて身も心も醜い女なわけがない。

 楽しくて輝ける理想の世界があるのに。

 苦しくて穢れてしまう残酷な世界が現実だなんて。

 

 本当に狂ってる。



 

 ――――第二章 海月カタナ へ続く。

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