第二章 海月カタナ
第26話 『強さを求めるVテイナー』
夜になるといつも蠢く記憶がある。
あの日の光景に世界が塗り替わり、肌の痛みや感触も、鼻をつく匂いも、胸を潰す苦しみもさえも生々しく蘇る。
だがそれは自分への戒め。
愚かで弱く未熟な自分を忘れずにすむ。
どれだけ苦しくても所詮は通り過ぎた過去。人はこれをトラウマや悪夢だと呼ぶらしいが、私には枷とならない。
だれよりも強く、バトルアリーナで輝きを放つこと。
世界を相手にするに等しいこの夢を抱いたときから、生半可な覚悟は許されなかった。
幼き頃より武と共に生きる者として。
そしてなにより、あの人に救われた者として。
強くなっていることが、すべての前提なのだから。
「――――水断!」
上段からの一閃。
相手のパフォーマンスをかいくぐり、手応えのある一撃を入れた。
勝者、海月カタナ!
ブロンズランクでの三連勝目。
飛行を初めとする新たなシステムには驚いたが、今やルー殿の機動力にも簡単に遅れを取ることはない。
「お疲れ様、カタナさん」
離れていても目を引く出で立ちが、賞賛の拍手を送ってくれている。
初戦で私たちに出遅れていたルナ殿も、たった半日でブロンズランクの戦いに適応していった。
空を飛ぶのはまだ苦手らしいが、自身の魔法と組み合わせることで、他者にはない動きを会得している。
「ありがとうございます。ルナ殿も勝ちましたか」
「えぇ、もちろん。わたくしの歩みは止まりませんわ。あとはあの……終わったようですわね」
転移の光が噴水の水に混ざったかと思うと、ルー殿が意気揚々と現れた。
「っしゃあ! ひと月先に上がってたVに勝てたぜ! って……あいつはまだ来てないのかよ?」
喜びを発していた可憐な顔は、すんっと眉間に皺を寄せてしまった。
「はい。ひかる殿はまだログインしていません」
既読もつかないメッセージを見つめると、美しい庭園に重たい空気が漂った。
桜色ひかる。夢と元気を届ける桜の妖精。
過去最高の連勝記録を更新していた私に土をつけた、尊敬すべきVテイナー。
あの歌が好きで、なんだか放っておけない特別な人。
「ったく、なにしてんだよ。チーム結成した翌日だぞ?」
「リアルでなにかあったのかもしれないでしょう? 少しは心配したらどうですの?」
「だから何度もメッセ送ってるだろうが。派手な活動はな、話題になってるときにやんなきゃ意味がねぇ。鮮度が大事なんだよ。お前こそ、もっとチーム運営の心配をしやがれっ」
「守銭奴」
「くそ薔薇ぼっち」
「やーめーなーさーれー」
こうした仲裁も私だけでは一苦労だ。
ひかる殿がいれば、なんだかんだまとまってくれるのだが。
「しかし、チームへの対戦希望もかなり溜まってきてますね」
「それだけ注目されてるってことだ。見ろ。シルバーランクからも希望が来てる」
「えっ!」
耳を疑ったが、両の眼がすぐに事実だと教えてくれた。
「このランク帯からは、ワンランク上とのバトルも可能になるからか……言うまでもなく強敵ですが、勝てば一気に上位に食い込める」
「だな。しかも、負けてもこっちにはリスクがほとんどねぇ。このチームはシルバーじゃパッとしない連中だな。ルーたちの人気にあやかりたいって魂胆だろ」
「つまり、受けない手はない。ということですわね」
「そういうこった」
様子を見ていて思ったがこの二人、実は似た者同士なのではないだろうか?
もちろん、性格的な馬の合わなさはあるだろうが、着眼点や物事への姿勢には多くの共通点を感じる。
「本当、ルーキーランクにいた頃と環境がまったく違いますね。バトルに対する熱量みたいなものが、まるで別次元です」
個人的には体の疼きが止まらない、最高の環境だ。
「まぁ、当然ですわね。バトルアリーナVの競技人口はランク別で完全なピラミッド。その理由は、バトルへの本気度とイコールみたいなものですから」
ルナ殿がかたむけたティーカップから、柔らかな紅茶の湯気が漂った。
「ルーキーには登録だけしてバトルをしないVも多いからな。だから無駄にランキング数あるし、ひかるみたいにドカンと順位が上がるパターンもある」
「なるほど。ここから先は、大なり小なりバトルに身を投じてきた者たち。ということですね」
気づけば腰の刀に手をやっていた。
まだ見ぬ猛者との戦い。なんと心躍る響きだろうか!
「おう! だから気合い入れなきゃいけないんだよ。仕方ねぇ、先にイベントのペア決めるか」
――――六月のバトルイベント、ジューンブライド・マッチ。
パートナーを選び、タッグ戦で順位を競う。
新郎新婦をイメージした特別衣装や、特殊ステージ。二人でのパフォーマンスで繰り出す『エンゲージ・スペシャルスキル』など、普段はない要素が目白押しだ。
「チームメンバーが偶数なら、その中でペアになるのが普通だ。ってことで、組みたい奴の名前をせーので言うぞ?」
一呼吸の間があり、三人同時に口を開いた。
「ひかる」
「ひかるさん」
「ひかる殿」
想い人は同じだったようだ。
「ルーが一番付き合い長いんだから、ルーがひかるのパートナーになるっ!」
「たかが一ヶ月弱の差でドヤってんじゃないですわ! 伝説の一戦で絆を深めたわたくしが、パートナーを務めるべきです!」
「いえいえ。なんだかんだと趣味嗜好の合う私が、ひかる殿のとなりに相応しいかと」
三つ巴の争いが始まった。
各人がいかに自分とひかる殿の相性がいいかを熱弁しても、結論が出ることはない。
「こうなったら仕方ねぇ。記念配信の代わりに、リスナー巻き込んでひかる争奪配信だ!」
「望むところですわ!」
「本人の承諾がないですが……まぁ、許してくれるでしょう!」
きっと、あの人ならこの状況もヨダレを垂らして喜ぶはずだ。
「競う内容はどうすっか」
「アリーナゲームでどうです? それなら、普段のやり込み具合で差も生まれませんし」
「おぉ、いいですね! 私もやってみたかったです!」
バトルアリーナには、Vの体で遊べる様々なミニゲームが実装されている。
基本的に配信でしかプレイすることはできず、コラボで人数が増えるほどステージやルールの種類も増える。
「先に三勝した奴がひかると組む権利を得られる。それで文句はないな?」
鼻息荒いルー殿に頷くと、コメント欄も同じ熱量を示してくれた。
桜色ひかる。夢と元気を届ける桜の妖精。
過去最高の連勝記録を更新していた私に土をつけた、尊敬すべきVテイナー。
あの歌が好きで、なんだか放っておけない特別な人。
だけど姿の見えない彼女を思うとき、胸を揺さぶるこの気持ちはなんだろう。
彼女の笑顔と声を思い出すだけで、夜が少し温かくなるのは何故なんだろう。
堂々巡りの答えを問い続けるのは、私にとって雑念と同じ。
だから普段よりも気合いを入れ、ひと際勝負に集中することができた。
――――その結果。
ルー殿に影を踏ませず、ルナ殿に圧倒的大差をつけて。
あの人のとなりに立つ権利を手に入れた。
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