第38話 『わたしの終わり2』ーひかる視点ー

「はあっ……はあっ……」


 腕が勝手にワンドを空に向ける。

 その先には攻め続けるカタナちゃんと、守り続けるケミカル・ビーカー。


 指示を出したアカウントの名前とアイコンは、最期のバトルが決まった日に死神のメールから教えられた。

 

『バトル中、このアカウントのコメントに従え』と。


「……マジックボール」


 何度も何度もいっしょに戦った桜色の光球。

 どんな相手にもダメージを与えた技。

 一直線に飛んで、飛んで。わたしの花婿に直撃した。


「ぐあっ!?」


 爆音と悲鳴が聞こえた。

 目を背ける直前に見えたのは、驚いて振り向くカタナちゃんの顔と。

 邪悪にほくそ笑む、死神の顔だった。


「レッド、ブラック。ボム・リキッド!」

「ちっ!」


 マジックボールにも負けない爆発が起きた。

 カタナちゃんは爆風を利用して距離を取ったけど、HPは削れタキシードの袖が焼け焦げてしまった。


 同時にわたしのウェディングドレスの手袋も、真っ黒になって消えた。


『なにやってんの!?』

『ひかるちゃん!?』

『いやいやいやいや、それはありえないだろ!』


 バトルを見ている人たちから、たくさんの批難が届く。

 さくらメイトのみんなも庇いきれなくなって、悲しみと動揺の言葉が流れていった。


「ケミカルさま!」


 廃墟の隙間をかい潜って、全速力のモブ子ちゃんが戦線に復帰。

 火花みたいな銃弾が注がれて、新郎はわたしのそばへ下がってきた。


「これ……は、誤射でしょうか。桜色選手には珍しい、というか、らしくないと言いますか。なんにせよ、海月選手の猛攻が止まりました。ケミカル、モブ子ペアはこの隙に距離を取って、態勢を立て直したいところ」


 詰まる実況の声が、耳にズキズキと痛い。


「切り替えていきましょう、ひかる殿。ドンマイドンマイ」


 怒鳴られ、責められても文句は言えない。

 なのに花婿は笑って親指を立てた。


「な、なんで?」

「だれにでも失敗はありますし、反省は終わったあとにすればいい。今は目の前の戦いに集中しましょう!」


 違うんだよ、カタナちゃん。

 わたしにはこのあとなんてない。反省を活かす次なんてないの。


「ケミカルさま。ここ、これを」


 モブ子ちゃんが取り出したのは、レアアイテムのハートブーケ。

 きっと飛ばされた先で見つけたんだ。


「よぉし! いいぞモブ子、あとで可愛がってやる」


 小さな花束を二人が持つと、大きなハート形の光が現れた。


《ハートブーケ発動。対象ペアの武器レベルを一つ上昇させます》


 ケミカル・ビーカーのフラスコが五つに増え、モブ子ちゃんの銃が近代的なものに変わった。

 さらに色の違うマガジンに変えていたから、きっと弾のほうも強化されている。


「ここでハートブーケが発動! ケミカル、モブ子ペアの武器はレベルⅤになります!」

「……まずいですね。このレベルを境に武器性能はグンッと上がり、モノだけならシルバーでも通用する。これは厳しい戦いになるでしょう」


 聞こえる実況と見えるコメントからも、忍び寄る脅威が感じられた。


「厄介ですね。我々はレベルⅤの武器を相手にしたことがない。ひかる殿、注意を」


 花婿の声が警戒を強めて低くなる。


「海月カタナぁー。お前はボコボコにしてやるから覚悟しろぉー! いくぞっ、モブ子!」


 二手に別れた花嫁たちが、五色の液体と黒光りする銃口を向ける。 


「させるっ、かッ!」


 今までよりも重い連射音がカタナちゃんの足を止めた。


「逆巻き!」

 

 巻き上げた水の柱が、辛うじて銃弾の軌道を変えてくれた。

 でも、さっきまで壁になっていた瓦礫が砕けていくのを見れば、威力が段違いなのがわかる。

 

「レッド、ブラック、そして新たなホワイトは効果上昇剤だ。喰らえ、ニトロ・リキッド!」


 撒かれた薬液は眩しい光を発して、直後に大爆発を生んだ。


「きゃああああ!」

「うわああああ!」


 衝撃で吹き飛ぶはずが、わたしたちは下へ下へと落下した。

 ステージギミックの一つ、地下施設へ落ちてしまったみたいだ。


「大丈夫ですか、ひかる殿。不幸中の幸いですね、落下したおかげで爆発のダメージをほとんど受けずに済みました」


 見上げると、狭い空が鈍い光を届けていた。

 

「……追ってこない。ということは、待ち構えているか。もしくはリキッドの回復を待っているか」


 真剣に冷静に、カタナちゃんは状況を整理していく。

 戦うために、勝つために。


「どちらにせよ、ここから動いたほうがよさそうですね。さぁ、ひかる殿。手を」

「もうやめて!」


 だから、差し出された手を強く跳ねのけた。


「見捨ててよ! ろくに索敵もできない、攻撃も誤射する。ただの足手まといなんだから」

「……ですが、これはあなたのバトルです」

「そうだよ。でも意味ないじゃん! どうせいっ、引退するんだから。勝つつもりなんて、最初からないんだから!」


 言ってしまった。

 バトル・アリーナで戦うVテイナーとして、言ってはいけない言葉を。


「なぜですか? 勝ってはいけないと、だれかに脅されているのですか?」


 確信を突く瞳に息を飲んだ。

 けれど、ここで引いちゃダメだ。


 ケミカル・ビーカーが死神なら、このバトルを通じてカタナちゃんが次のターゲットになるかもしれない。

 それだけは絶対に避けなくちゃ。この子まで、わたしみたいにするわけにはいかない。


 これが本当の、桜色ひかる最期の戦いだ!

 

「とにかくもう十分だから! ギブアップします!」


 わたしが喋るたびに、コメントも荒れに荒れていく。

 でもいいの、これでいいの。

 せめて最期はみんなにお礼をしたかった。

 でもそれよりも、カタナちゃんを守るほうが大事だから。


 だから、あなたは許してくれるよね? ひかる。


「私のために無理をしてますね?」


 なのに一歩も引いてくれない。

 凛としたまま、こちらを見つめている。


「そんなことしてない。これはわたしが」

「信じてください、私を。仲間を。大丈夫ですから」


 細いけど強い腕が優しく抱きしめてくれた。

 ダメ、やめて。

 抑えていたものが溢れてくる。


「大丈夫なことなんてない! わたしは……わたしは」


 嫌なのに、ダメなのに、ろくな抵抗もできなくて。

 腕の中で流れた涙が心の壁にヒビを入れた。


「……わたしは弱いの」


 音声に乗るか乗らないかの小さな声で、タキシードの胸に聞いてもらう。


「みんなが愛してくれた居場所も守れない。弱くて、醜い、ダメな存在……ねぇ、信じられる? 中のわたしはね、一〇年間なにもしてこなかった。ずっと引きこもりで、日の光さえ避けて生きてきたんだよ?」


 密着していた体がゆっくりと引き剥がされた。


 幻滅されてもいい、これでいいの。

 今は一刻も早くバトルを終わらせなきゃ。


「…………え?」


 想像していたのは侮蔑の視線。

 人生で何度も見てきた不快の表情。なのに、彼女は。

 海月カタナは泣いていた。


 そういえば、初めて会ったときもこの子は泣いた。わたしが好きな、あの歌を聞いたときに。


 辛いとき、怖いときには必ず聞いたあの歌を。

 一〇年前も歌った、あの歌を。

 あの子に歌った、あの歌を。


「もし……かし、て」


 かすかに聞こえた声は、幼い少女のようだった。


「――――お姉さん?」

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