第32話 『私たちの距離』

「おはようございます、ひかる殿。今朝はなにを食べましたか?」

「さすがひかる殿! 今回のバトルもいい動きでした!」

「危ないひかる殿! 敵の攻撃で小石が!」

「ひかる殿ひかる殿」

「ちょっとストーーップ!」


 瞳の桜がきれいに見えていたのだが、素早く遠ざかってしまった。


「どうされたのですか、ひかる殿。なにかトラブルでも」

「今まさにトラブルだよ! カタナちゃん昨日と違って朝からおかしいよ! 近い!」

「たしかに。いつも以上にベッタリでしたわね」

「キスすんのかと思ったわ」


 バトル帰りの二人にも言われ、少し恥ずかしくなった。

 そんなつもりはない……が、べつの下心はあるのだ。


「急にどうしたの? こっちにだって心の準備があるといいますか、なんといいますか」

「えっと、その、ひかる殿。ひとつお聞きしたいのですが、スタンプの販売ってしてますよね? メンバーシップ用ではなく通信ツール用の」

「ぐはぁ!」

 

 特に問題のない質問だったと思うが、ひかる殿は胸を押さえて植え込みに隠れた。


「ど、どうされました?」

「なんで知ってるの……デビューしてすぐに調子に乗って作った黒歴史なのに」


 聞けば手書きのイラストが改めて見ると痛々しく、ここ二年ほどは宣伝もしていないらしい。


「あら、可愛らしいじゃないですか。種類もお値段のわりに多いですし」

「ギャハハハハ! たまに添えてるこのポエムなんだよ!」

「ぎゃーっ! なんで早速見てるの! 契約上まだ販売ページは残ってるけど、あんまり広めたくないんだってぇ~!」


 二人が注意を引いてくれてる隙に私も購入したのは秘密だ。


「そ、それで! このスタンプがどうかしたの?」

「はい、実は……」


 次の言葉の前に思案の壁が立ち塞がった。


 説明するべきだろうか。

 恩人が古参さくらメイトなのだと。


 カラフル・ミラクルのリスナーたちがこぞって買い始めたおかげで、闇に葬られていたスタンプは広く知れ渡った。だが、昨日確認した販売実績は五件のみ。この中にお姉さんがいる。そして今も私を見てくれているかもしれない。

 だから、いつもよりひかる殿の近くにいた。

 少しでもあの人の目に留まるように。

 

「……知り合いがこのスタンプを使ってまして。三年ほど前に購入したとか」

「えぇ!」


 嘘は言っていない。が、一部に留めることにした。

 今はまだ、恩人のことまで伝えるのは得策ではない気がした。

 せっかく掴んだ糸口なんだ。落ち着け、私!

 

「ちょっとだれ! カタナちゃんの知り合いって! 買った人覚えてるよわたし。そんな初期に買ってくれたのなんて、片手の指で足りるもんねぇ?」

「苦労したんですわね……」

「立派になったな」

「だれの目線で見てるの!」


 まだ出会って数か月。

 ひかる殿が昔からの推しだというのなら、彼女のチームメイトである私はある程度好意的に見られているだろう。


 でも海月カタナが月島海だと知られれば、そのかぎりではない。

 もっと本質的なところで、ひかる殿とリスナーから信頼を得なければならない。


 Vテイナーのコメント欄には、本人はもちろんリスナーたちが作る空気感のようなものがある。ある程度の秩序と配信ごとのノリを生む見えない力は、けっして無視できるものではない。

 お姉さんにコンタクトを取るなら、サクラサクチャンネルの全面協力をお願いしたい。

 そのためにはもっともっと絆を深め、だれが見ても良好な関係を築く必要がある。

 例えばイベントで上位に残る、とか。


「だからですね、いいところを見せたいと言いますか。今回のイベントに俄然やる気が出たので、ひかる殿ともっと仲良くなりたくて」


 なんて口下手なんだ。

 もっと言い方というものがあるだろう、私!


「カタナちゃん」


 ほら見ろ。

 あれでは、知り合いを理由にしないと仲良くできないみたいじゃないか!


「こちらこそだよ! イベントがんばろうね!」


 あぁ、よかった。私の心配は杞憂だった。

 さすがあの人が応援するVテイナー。まぶしくて、まっすぐだ。


「そ、そしたらさ、上位特典のタキシードとウエディングドレス着てさ、新婚旅行とか……うへっうへへへへ」

「ヨダレが出てますわよ、はしたない」


 こちらとしても二人きりのコラボは嬉しい。

 ルナ殿に口を拭いてもらう姿はほぼ幼児だが、この人となら一位だって狙える。


「おっ? カタナ今、一位になれるかもって思っただろ?」

「むっ……顔に出ていましたか。修業が足りませんね」

「そうだなぁ。少なくともルーたちがいるのに、ちょっと安直すぎだなぁ」

 

 チームとはいえ、ジューンブライド・マッチはペアでの戦い。

 目の前の子犬少女と薔薇の女王もライバルなのだ。


「失念していたわけではありません。お二人を踏まえても、可能性は十分かと」

「言ってくれるじゃねぇか。イベント最終日のラストバトルは予約済みなんだ。そっちだけランク外とか笑えねぇぞ?」

「そちらこそ。パフォーマンスなしで我々に勝てるとは、思わないでいただきたい」


 可愛らしいひかる殿も恩人のことも、私を駆り立てる大事な理由。

 しかし剣士にとって戦いの滾りはなんとも甘美だ。


「さてと。そろそろ夜の分、バトり始めるぞー」

「えぇ、よろしくってよ」


 世話焼きと宣戦布告が終わったチームメイトが、悠々と並び立った。


「我々もいきますか。では、ひかる殿。お願いします」

「ま、毎回やんなきゃダメかな?」


 ひかる殿は恥ずかしそうに見回したが、三人の視線と催促するコメントの弾幕に、早々に観念した。


「カラフル・ミラクルーッ! ファイ!」

「応っ!」

「オー!」

「おーですわ!」


 私たちは今夜も過激な共同作業を競い合っていく。

 今日の結果は八勝二敗。ルー殿とルナ殿もなかなかの戦績だった。

 その後も連携を高め新たな戦法を編み出し。イベント中盤、私たち四人はイベントランキングの上位へ名を連ねた。

 この熱と雨は期間いっぱい続いていくと思っていた。信じて、疑わなかった。


 なのに、ジューンブライド・マッチの日数が残り五日に迫ったとき。

 なんの前触れも相談もなく。


 ――――Vテイナー桜色ひかるは引退を発表した。

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