第39話 開幕

「ジョニー、あと1時間ほどでオペラが始まるよ」

受話器の向こうからアーサーの楽し気な声が聞こえてくる。

「ジョニーって呼ぶな!え?」

「君から受け取ったプログラムを発動したと言ったんだ」

「アーサー、さっきセレモニーが終わったばかりだぜ。早すぎないか?」

「タイミングは君に任せると言ったじゃないか」

「確かに言ったさ。でもまさか僕がここにいる内に始めるなんて思いもしなかったよ」

「デイヴィッドがどう出るか、直接体感したいんじゃないかと思ってさ」

アーサーは相変わらず楽しそうに話しかけてくる。

「面白い展開にはなりそうだけど、できれば遠くから傍観したかったな。インサイダー取引の嫌疑を掛けられる心配だってあるし」

僕はため息混じりに本音を漏らした。

「大株主全員がここにいて、その全てが疑いの対象者となるのさ。となると逆に容疑そのものに意味がなくなるじゃないか。そうだろう、ジョニー?」

「ジョニーって言うな。それにしたって招待者のほとんどが施設内に残っているはずだぞ。いくらなんでも…」

「つまり各国首相クラス、有名マスコミ陣、そして、投資家連中だろう。皆、これから起こる事件を生で体験するんだぜ。君が求める市場パニック、想像以上になることは間違いない。世界を牛耳る奴らが総出演するんだ。ショーは最高の盛り上がりを見せてくれるはずだよ」

「そりゃあそうなんだが…」

「今ならマスコミ連中もここにいるから何もしなくてもニュースにしてくれるよ。ジョニー、俺は何事もさっさと進めたい質なんだ。ドラマ無しにただ長いだけの物語は退屈でしかない。じゃあ業務に戻るからまたな」

「ジョニーと呼…」

戸惑うこちらのことなど気にもせず、アーサーは通話を切った。

 宇宙エレベータ株式会社の来客用仮設宿泊所で、といっても世界の要人や大投資家用だから全てが五つ星ホテルのスイートルーム並だが、シャワーを浴びてガウン姿でくつろいだところでのアーサーからの連絡。予想以上の素早い動きにしばしため息が出る。これからヨーロッパ各市場が開き、アメリカ市場へと移っていく。株価は値幅制限があるから一日での暴落はたかが知れている。これから数日間、市場に嵐が吹き荒れて欲しいと考えれば、確かにこれ以上のタイミングはない。流石に投資家としても超一流なグローヴナー家の一員だけはあり、アーサーは僕の描いたシナリオを超える演出を仕掛けてくる。しかも彼自身、重要な出演者でもあるのだ。

「アーサー、役者としての君の演技に期待するよ」

独り言ちた後、僕は数本の電話をかけるために携帯端末を手にした。

「あ、ベアトリス姉さん。宇宙エレベータの株を全力で売ることをお奨めするよ。猶予はあと一時間だ」

「もう売ってしまったわ。あなたとアーサーが楽し気に話すのをセレモニーで見かけたんだもの」

万事お見通しか。まったく恐ろしい人だな。まあいい。義務は果たしたから、後でとんでもない責め苦を味わうこともないだろう。気持ちを切り替えて自分のプライベートバンクに電話する。

「僕だ。ナポレオンを一杯頼む」

予め決めておいた合言葉を口にする。

「ジョナサン様、承りました」

資産運用歴数十年のキャリアを持つ担当者の慇懃な態度が目に浮かぶようだ。あとは任せておいて間違いない。英国債の大量売りから大暴落を誘いこっそり買いに転じるという我が先祖がワーテルローの戦い時に諮った取引を何の問題もなく再現してくれるだろう。

 ほっとして喉の渇きを覚えた僕は、冷蔵庫からアクアを取り出した。インドネシアならではのミネラルウォーターを一気に飲み干す。さて、ここからは同国海軍も大事な独楽となる。うまく南国ならではの対応をしてくれることに期待しよう。

 僕は一息入れてから最も重要な相手に電話をした。

「父さん、ジョナサンです。お望み通り、デイヴィッドを奈落の底に叩き込んでやります。これから宇宙エレベータに大事件が起きますからニュースを楽しみにしていてください」

「わかった」

いつもの冷静な返答を耳にして安堵すると、僕は通話を切った。

 廊下を足早に駆ける気配がしたかと思うと扉を叩く音がした。

「どうぞ」

僕は返事をして、ゆっくりソファーに腰を下ろす。何はともあれインサイダー取引を疑われては拙い。これから数日は、何も知らない振りをし続ける必要があるのだ。扉が開き、来客対応用に雇われたホテルスタッフが顔を出した。

「ジョナサン・レッドシールド様、おくつろぎのところ申し訳ありませんが、地下シェルターへの移動をお願い致します」

「何があったんだい?」

「内密でお願いしたいのですが、正体不明の航空機がこちらに向かっているとのことでございます」

どうやら幕は上がったようだ。僕は心の中でファントムの仮面を被った。

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