第7話 解放
芝生から立ち上がると、デイヴィッドは軽く一息ついて顔を上げた。
「なんとか解答にたどり着けたな」
つぶやきながらふと空を見上げると、夕日に照らされて金色に輝く雲が徐々に形を変えながら頭上を流れていく。
「これほど開放的な気分になれたのは、初めてかもしれないな」
デイヴィッドは周囲を見渡した。広大な丘全体が敷地であり、シャクナゲが咲き誇った庭園は、素人目でも見事としか言いようのないものだった。
英南東部、バッキンガムシャーにあるレッドシールド家の別宅にデイヴィッドはいた。初めに招待の話を聞いた時は、ジョナサンの一族と面会するなど面倒だと断ったデイヴィッドだった。しかし、彼の研究はこのところ思考実験の繰り返しのみで、必ずしもケンブリッジに居続ける必要がない。そのことをジョナサンから指摘されて、考えを翻した。そもそも自分を言い負かすほどの、ジョナサンという特異な人格の形成がどのように為されたのか、彼の一族に興味はあった。ただ、招待を受けた決定的な理由は、ネオルネサンス様式の豪奢な宮殿でも、世界最高とも称されるパーティー料理でも、パトロンになってくれる可能性のある貴族や企業経営者の紹介でも、彼の父親に面会する際のイブニングコートを彼持ちで新調してくれることでも何でもなく、最高にリラックスできるデイヴィッド専用の芝生を用意するというジョナサンの一言だった。
「ここに来て正解だったな」
デイヴィッドはそう呟くと、屋敷に向かって歩き始めた。
「やあ、思考実験は捗ったのかい?」
聞き慣れた声にデイヴィッドが周囲を見回すと、少し離れた木立にもたれ掛かるようにしてジョナサンが竚んでいるのが目に入った。
「よくこの場所がわかったな。ああ、何とか、求める結果までたどり着けたよ。この庭のおかげさ。ケンブリッジも素晴らしいが、ここの芝は最高だ。何より誰かに邪魔されて思考を中断されることが一切ない」
「この庭を気に入ってくれたのかい?それは良かった」
デイヴィッドの癖である軽い皮肉を気にする様子もなく、ジョナサンは嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんさ。芝生の寝心地の良さと庭木の美しさ、花の香りの素晴らしさは言葉で言い尽くせないほどだ」
「ああ、庭園師が本職で銀行業は趣味と言われるほど、庭木に入れ込んだ先祖がいたからね。当然と言えばそうかな」
「これほど頭がすっきりする場所は、地球上を探しても滅多にはないと思うよ」
「ここが一年で最も美しい時期だからね。それに、この屋敷は専用の庭師だけで100人いるんだ。それで、君のための芝を君が好みそうな場所に配置してもらったのさ。予め、庭師の内何人かがケンブリッジまで検分に来た上でね」
「100人だって?ここに来て数日が過ぎたが、僕は一度として庭師を見かけたことはないぞ!それに、そんなことの為にわざわざケンブリッジまで?」
「そう驚くことじゃない。客人の目に入る場所では作業させない。それが我が家の鉄則なのさ。そもそも、世界中からロンドンに貴族が集うこの季節は、誰彼となく毎日10組は屋敷に滞在している。けれど、パーティの時を除き敷地内で顔を遭わすことがないように、父によって完璧にコントロールされているんだ。我が一族は東西に渡って関係を結んでるが故に、招待客の中には互いに敵対している場合もある。そういう人物同士が万が一でも鉢合わせになどならないように、滞在時期や日数、果ては散歩のコースまで、完璧にプランニングされているのさ」
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