第42話 失敗

「レーダー確認。レールガン発射後もAn-225 ムリーヤの機影は存続しています」

 アーサーの声が司令室内に響き渡り、僕はその残響の中で呆然と立ち尽くした。室内にいるスタッフの動揺が一瞬で間欠泉のように吹き上がり、たぶんそれは宇宙エレベータ全施設に瞬時に伝わったと思われる。

「まさか失敗?アーサー、100発撃って全て外れるなんてことあるのか?僕の感覚ではにわかに信じられないのだが…」

蒼白になっているはずの僕の顔を冷静に見返すアーサーは鼻から息を吐いた。

「デイヴィッド、高速で移動する物体を撃ち落とすのはそれだけ難しいってことさ。アキラ、聞いているんだろう?かの大東亜戦争における君の国が誇る戦艦ヤマト主砲の最大到達距離と命中率を知っているよな?」

最初、僕に向かって話していたアーサーは、急に声を張り上げて宇宙エレベータミドル施設にいるアキラに問いかけた。

「戦艦大和主砲の最大射程距離は、約42,000m。大東亜戦争中に数百発発射されて、駆逐艦を一隻大破したかどうか。つまり命中率は多めに見ても1%にまるっきり届いていない。一発も当たっていないとの説もある」

アキラの不愉快そうな声がスピーカーから聞こえてきた。僕は迎撃というものの難しさをこのやりとりの中でようやく理解した。

「たいして速度の出ない艦船に対する攻撃、しかも攻撃時の距離はせいぜい20km。それでも命中率はその程度だ。ましてや時速800kmで飛ぶムリーヤを遠距離から狙って落とすのは至難の業なんだ。だからこそ、戦闘機を狙うミサイルには誘導システムが備わっているんじゃないか。対空の命中率において最も実績のあるスティンガー地対空ミサイルの命中率は79%と言われているが、有効射程は4,800m。あくまで近距離低空飛行の航空機を対象としたものだ。何10kmも先の、しかも高度10,000mを飛ぶ航空機を狙ってのものではない」

専門家らしいアーサーの説明に反論の余地はない。僕はため息をつくばかりだった。

「終わったことにくよくよしている時間はない。さあどうする?逃げるのも一つの手だぞ」

アーサーが決断を求めてくる。復旧に時間を要するものの、宇宙エレベータのテザーを切り離すしかない。考えたその時、場違いにもホテルスタッフが一人指令室内に入って来ると小声で僕に耳打ちした。

「ジョナサン・レッドシールド様がシェルターへの退避を拒否されています」

男はそう言うと黙って僕の指示を待った。

「わかった。好きにさせておけ。念のため彼にシェルターへの案内図を渡したら、君も他のスタッフに声を掛けて全員でシェルターに避難してくれたまえ」

僕の指示に、男は軽く会釈をして指令室から出て行った。ジョナサンの行動は思ってもいないものだった。彼にもしもの事があれば、レッドシールド家との断絶は間違いない。それはそのまま人生の破滅を意味するが、今は宇宙エレベータ全体の事を考えよう。それこそが、必然的にジョナサンを守る事にもなるのだから。気を取り直して、航空機特攻という目に前の難問に意識を戻そうとしたその時、ジョナサンのある言葉が僕の脳裏をかすめた。

「時には間違ったり、失敗したり、弱音を吐いたり、そういう人間こそ手を差し伸べられるものなんだよ」

その途端、自分に頼りになる仲間がいるのかいないのか、誰が敵で誰が味方なのか、確かめたい衝動が僕の身体を駆け巡った。失敗、そんなもの怖くない。いざとなれば一からやり直せば良いんだ。僕は決断した。

「現在、所属不明のAn-225 ムリーヤが当施設に向けて航行中。爆薬積載と特攻の危険性がある。指令室を除く地上全従業員は、シェルターに退避のこと。当施設はこれより対空爆障壁を展開する。ロアー施設は速やかにテザーを切り離せ」

マイクを取り上げると、僕は宇宙エレベータの全従業員に向けて呼び掛けた。視界の角でアーサーの背中が僅かに動くのがわかった。

「待てデイヴィット、切り離すのは地上施設の方だ」

声の主はアッパー施設にいるトリプルAの一人アシュケナージだった。

「アシュケナージ、どういう事だ?」

僕の心中は喜びと興奮で沸き返ったが、その思いを秘めて冷静に問いを発した。

「切り離し後は即座にテザーを高度1万5千mまで引き上げる。An-225 ムリーヤはその高さまでは飛ぶことができないんだ。爆薬を満載していれば尚更な。こちらで切り離したらどうやっても復旧するのにロケットを飛ばさざるを得ない。そちらでなら多少手間は掛かってもその必要がないじゃないか」

僕はアシュケナージ案の是非を問うためにアーサーを振り返った。アーサーは驚いたような複雑な表情をしていたが、こちらを見て首を縦に振った。僕も頷き返す。

「指示変更。退避は一旦やめて地上側昇降担当者はテザーを切り離せ。それが済み次第ロアー施設はテザーの巻き上げ開始。急げ、時間がないぞ」

僕は自信を持って力強く指示を出した。

「アシュケナージ、それにしてもマイナーな輸送機の事まで良く知っているな?」

僕はロアー施設のモニターに向かって話しかけた。

「旧東側諸国の情報なら俺に任せておけ」

普段は抑揚のないアシュケナージであるが、その声にはいつになく力強さが感じられた。

「そうか、ありがとう。助かるよ」

僕の言葉に指令室がざわつくのを感じた。そう言えばここの誰かに礼を言うのは初めての事かもしれないと苦笑する。


「地上部のテザー切り離し完了。ロアー施設による巻き上げ始まっています」

ヨーコの報告に僕はほっと息を吐いて椅子に座った。

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