第43話 上澄
「ええ、父さん、デイヴィットは最初の攻撃を凌ぎました。ええ、宇宙にいるロシアから来た乗務員の助言です」
父であるソール・レッドシールド男爵が受話器の向こうで気難し気な顔になっているのが気配でわかる。
「ええ、An-225 ムリーヤは進路変更させました。世界の主な首脳が集まっている今、地上施設に突込んで万が一彼らに被害が出ては、我々の持つ各国の債権そのものが無価値となりかねませんからね。ええ、解っています。次の手も、ええ、最高のタイミングで打ちますよ。ご心配なく。では後ほどまた」
ゆっくり1秒待った後、僕は父との回線を切った。
「ふー」
最も緊張する相手との通話を終えて、ほっと一息つく。アルコールよりはコーヒーを飲みたい気分だ。僕はカップにコピ・ルアクの粉を一さじ入れてそこにお湯を注ぐと、スプーンでかき回した。粉が沈むまでの間が煩わしくもあるが、インドネシアやその周辺国ならではのこのまったりとした時間が、謀の緊張から心身を解放させてくれる効果があることに最近気が付いた。
ジャコウネココーヒーのまろやかな酸味を楽しんでいると、アーサーから連絡が入った。
「ジョニー、次策のタイミングなんだが」
「アーサー、何百回言わせるんだ。ジョナサンと呼べ」
受話器の向こうからアーサーの笑い声が聞こえてくる。相変わらず嫌味な奴だと思いつつも、だからこそ今回のような作戦には最も頼りになる人間なんだよなと、くやしいが納得するしかない。
「悪いわるい。招待客がシェルターから解放されて、少し落ち着いた頃合いでどうだろうか?」
悪いとなどこれぽっちも思ってもいない軽い口調に腹が立つが、彼が推奨する時宜は、緊張と緩和、そしてまた緊張と、舞台の演出として望ましい形なのは確かだ。苛立ちを抑えて僕は返事をした。
「それでだいたい良いだろう。僕は手持ちのマスコミにAn-225 ムリーヤ近接と回避について同じタイミングでリークさせる。牢屋から解放されてほっとした投資家たちが慌てて株を売りに走るだろうから、株価の一段下げを見てから発報してくれ」
「了解。オヌシモワルヨノウ」
「何だよ、それ?」
アーサーの変な返事に問い返す。
「ヨーコから見せてもらった日本の時代劇映画によく出てくるセリフなんだ。お前も悪い奴だなって意味らしい。ジョニー、君にピッタリだろう?」
「ジョニーって言うな。アーサー、君も同じ穴のムジナじゃないか。悪?情勢を見極めて美味しいところだけ丁寧に味わうのが投資家としての本筋じゃないか。誉め言葉として聞いておくよ。じゃあ頼んだぞ」
アーサーの笑い声が聞こえる前に僕は回線を切った。
さあ、次幕の開演だ。これから起こる株式と債券市場の更なる混乱を思うと、投資家として興奮が抑えがたい。僕は粉が口に入らないように注意を払いながら、少しだけぬるくなったコピ・ルアクの上澄みをゆっくりと口に含んだ。微かに感じるチョコレート様の風味が、高まる心音を鎮めてくれた。
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